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『ねことじいちゃん』を観る

私が日々書いているnoteは『人生をどう生きるか』というような、自分が関心を寄せている大きなテーマに偏りがちです。私自身が「人生後半戦をどのように生きようか」と、あれこれ思い悩んでいるからです。

人生がそんなに甘いものではなく、現状が一瞬で逆転するような劇的な変化が簡単には自分に訪れないことは自覚しています。行動の積み重ねが将来に繋がるので、日々の小さな努力と工夫が大切だ、と思っています。

何かを達成したいと思い定めたならば、達成までのプロセスを逆算して、日常の行動レベルに落とし込んでいかなければいけない、と言われます。一日一日を大切に、トライ&エラーを繰り返しながら、明日に繋げていかねばならない、と要求されています。

私は、自分を信じてやっていても、なかなか変化が感じられず、ジョボい状況が続き過ぎて、自分自身の進歩や成長を信じられなくなったり、周囲から自分の望むような評価を受けられないと精神的に落ち込むことが多いです。

そういった肩肘張った私の気持ちを一旦横に置いて、クアラルンプールから日本への帰りの飛行機の中でリラックスして観たのが『ねことじいちゃん』という邦画です。普段の私が、映画館へ足を運んで観ることはないだろうタイプの映画だと断言できます。でも良い映画でした。

この映画は、妻(田中裕子)に先立たれた老人、大吉(落語家の立川志の輔が演じています)と飼い猫のたまを主人公に、離島で生活する人々の日常生活を描いた小作品です。

大吉の周囲の登場人物が魅力的です。大吉の昔なじみの友人で釣りの達人の巌さん(小林薫)、その巌さんとかつて実らぬロマンスがあったと思われるさっちゃん(銀粉蝶)、有名病院を辞めて離島に赴任した若先生(柄本佑)、都会生活に疲れて島に古民家カフェを開くみちこさん(柴咲コウ)などです。

それぞれの登場人物のエピソードを2時間の枠内に無理矢理盛り込むため、お話としては十分に処理しきれておらず、消化不良気味の印象はあるものの、離島の美しい風景と多数登場する猫の姿を観ているだけで気持ちが癒されました。

この映画には、はっきりとした悪人が出てきません。なので、ストーリーがどうとか、人物描写がどうとか、批判めいた野暮なことは考えずに観る方がいいのかもしれません。

幸せとは、大切な人達に囲まれて、平凡でも平穏な時間がゆっくりと過ぎていくことかもしれない、と思いました。ありのままの自分でいいんだよ、と周囲から認めてもらえている環境にいる安心感は貴重です。

日々焦りまくって、ささくれだっている内面を見直し、一服の清涼剤を得たような気がしました。一つの価値観に凝り固まらず、柔軟に思考を拡げてみる機会が必要だったから、この映画と出会いがあったのかもしれません。


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