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現実逃避の時間

松本での単身赴任生活も2年半を超え、おおむね生活習慣が確立し、意識しなくてもオートマチックに日々の生活サイクルが回るようになってきたと感じます。それ自体は喜ばしいことですが、私の悪い癖で、そうしたリズムが単調だと感じると、刺激と変化を欲して余計なアレンジを加えたくなります。その結果、予期せぬ形で厄介な方向に進めてしまう傾向があります。現実逃避の時間作りはその一端で、ちょっと最近増えているな、と感じています。そうした問題意識から、本日は自分への警告の意味で、一筆進めてみます。

小さな「夢」の寄せ集めでいい

私は、どんな障害にぶち当たったとしてもこれだけは人生をかけて成し遂げたい、という壮大な夢を持っていない人間だ、と感じています。それは、年齢を重ねた今だからそうだという訳ではなく、昔からそうでした。夢に向かって、遮二無二に努力する、という経験が少なく、大きな成功が少ないのがコンプレックスでもありました。

もっとも、『息子のよき父になる』『妻のよき夫になる』という、ゴールが明確ではない、永遠に追い求めねばならないと考えている夢は持ち続けていますし、『照干一隅』『おおらかに、朗らかに、柔軟に』といったスローガン的な夢はあります。また、「●●に行きたい」「〇〇に会いたい」「△△を達成したい」といった、お手軽で、スケールが小さく、責任を伴わない夢は沢山持ち合わせているし、日々次から次へと無尽蔵に沸いてきます。そういうものを含めて「夢」とカテゴライズするなら、「夢」を一切持たない、無欲の人間という訳でもありません。

ここまできたらもう開き直って(私の得意技)、小さな、俗物的な「夢」を寄せ集めて生きる小粒な人間に徹しよう、と思います。仕事が休みになる毎週末をワクワクして迎えられるよう、ぬかりなく計画していきます。

現実逃避の時間を持つ

私は自称、現実主義者です。実現可能な未来しか信用しないし、選択する道は理詰めで考え、実現可能性の確率を重視します。若い頃は、自分の性格が『安定志向』だと言われて、カチンときて反発したこともありましたが、今にして思えば、赤の他人の方が私の特質を見抜いていたのだと思います。『安定志向』『安全志向』『現状維持』…… そんな特性が強いタイプの人間なのだと思います。

そういう性格の私に必要なのは、「余裕」です。いかに平常心で波風立てずに日常を過ごせるかが極めて重要です。追い立てられると、精神のバランスを乱し、ミスを起こす確率が高まるので要注意です。

そんな特性を持つ私にとって大切なのが、「現実逃避」の時間です。真正面から社会を見据えると、絶望的な気分になる場合が少なくありません。現実主義者を自称すらからこそ、現実を直視するのは思いの外しんどいのです。自分の力で状況を変えられないことが殆どなので、自分にできることを優先してやり過ごすしかないと諦めています。「現実逃避」の時間は、綺麗な、プラスに聞こえることばに言い換えると「瞑想」の時間です。今日も、部屋に戻ってから、数時間を費やしました。

最近は、燃費の悪さが顕著になってきて、根を詰めて作業をした後は、現実逃避の時間が、その1.5~2.0倍くらい必要になっています。老化も影響しているのでしょう。仕方がないことです。

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