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マスターズの思い出 in 2005

本日は、私の記憶に最も強く刻まれている2005年のマスターズを思い返す『マスターズの思い出 in 2005』です。松山英樹選手の悲願の初優勝の余韻が消えない間に、書き残しておこうと思います。

アメリカで観た最後のマスターズ

2005年の優勝者は、タイガー・ウッズ(Tiger Woods 1975/12/30-)です。2位のクリス・ディマルコ(Chris DiMarco 1968/ 8/23 -)とのプレーオフを制し、3年振り四度目の優勝でした。

ウッズは、1997年のマスターズで、21歳3カ月の史上最年少、当時の最少ストローク(-18)、2位に12打差をつけての圧倒的な強さで初優勝を飾り、2001-2002年には二連覇しています。

私は、2005年6月に帰国の辞令を受けていて、4月第二週のこの週末は残り少ないアメリカを楽しもうと、妻とテネシー州のメンフィスとナッシュビルを旅していました。日曜日の夕方、ナッシュビル市内のビアパブで、最終日の熱戦をテレビ中継で観ていました。

歴史に残るスーパーショット!

2005年4月10日の最終日は、前日の3日目が日没サスペンデッドにより、9Hで終了となったため、54ホールでの勝負になりました。最新日をスタートする時点で、ウッズは‐8で首位のディマルコと5打差の2位でしたが、いきなり4連続バーディをマークするなど‐11にスコアを伸ばし、逆にスコアを乱したディマルコに3打差をつけて、4ラウンド目に突入します。

ここから2位のディマルコが立て直し、”サンデー・バック・ナイン”と呼ばれる10~18番での二人のスリリングな攻防は、今でも語り草となっています。

ウッズが10番でボギーとし、差は2打差へ。14番のパー4、ディマルコが残り202ヤードの2打目を、ピンそばにピタリとつけるスーパーショットを放ち、バーディを奪取。ウッズのバーディパットは惜しくも外れ、差はいよいよ1打差へ。続く勝負どころの15番短いロングは、共にバーディで譲らず、1打差は変わりません。

次の16番ショートホール、先に打つディマルコはグリーン中央にパーオンしてバーディチャンス。8番アイアンで打ったウッズのボールはやや左に飛び、「ここへ行くと絶対に寄らない」と言われるグリーンの左エッジに外します。ボギーを覚悟しなければいけない難しいアプローチが残り、ウッズは絶対絶命のピンチに陥りました。

ところが、ここからウッズのスーパーチップインバーディが飛び出します。あさっての方向に打ち出されたボールが傾斜をつたってどんどんカップに吸い寄せられていきます。カップ手前で一瞬止まり、そして転がり落ちる…… 想像を超越する劇的な展開です。まさに神業でした。

このショット、別の角度から観ると、凄さが更に実感できると思います。マスターズのオフィシャルサイトの冒頭に別の角度からの動画が収められています。ウッズの計算され尽くした頭脳的で完璧なショットであったことがよくわかると思います。

熱戦に興奮止まらず

ボールがカップに転がり落ちた瞬間、私は思わず声を挙げ、鳥肌が立つのがわかりました。店の中は、テレビを凝視していた人たちの大歓声で騒然となりました。このような歴史的な瞬間をテレビの画面を通してではありますが、ライブで味わえたことは本当に幸運でした。

勝負を見届けるまで宿に帰れなくなりました。このスーパーショットで2打差となり、確定したと思われたウッズの勝利は簡単ではありませんでした。ウッズは、続く17番、18番とまさかの連続ボギー。連続パーのディマルコに追い付かれ、同スコアでのプレーオフにもつれ込みます。

プレーオフの1ホール目は同じ18番です。完璧なショット2発でバーディチャンスにつけたウッズは、下りの難しいパットをカップのど真ん中から捻じ込んで優勝を決めました。このウイニングパットを決めるまでのウッズのルーティンは美しく、表情や姿は威厳に満ち溢れていました。スーパースターである彼のキャリアの中でも、この2005年は最高の勝利の一つだったと私は思います。

一方で後一歩のところで敗れたディマルコが、18番とプレーオフの18番で、ほぼ同じ場所から放ったあわやチップインバーディというアプローチショットは本当に見事でした。勝利の女神は私と同い年の彼に微笑んでも全然おかしくない展開でした。勝負の決着がついた後も悪びれることなく、淡々と振り返る姿は感動的で、美しい敗者でした。

アメリカの思い出とも

16年も前の話になると、細かな記憶は散逸してしまっています。今回このnoteを書くにあたって、2005年のマスターズの熱戦を調べ直している間に、付随して色々と思い返しました。

私たち夫婦がテレビを観ていたテネシー州の州都ナッシュビルは、仕事の関係で行く機会も多くて、思い出深い街です。カントリーミュージックの本場で、ダウンタウンも比較的治安がよい快適な街でした。

あの夜は、お気に入りだった”Sheraton Music City"というホテルに泊まったと記憶しています。荘厳な門があり、コロニアル様式の建物でした。久々にアメリカ時代の懐かしい気持ちが蘇りました。



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