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やりたいことをやりきったら

本日は、2021年4月21日 52歳と332日目を生きる私の定点記録です。本日は所用で名古屋へやって来ています。


やりたいことをやれ! の条件

自分のやりたいことで成功を遂げた著名人が、未来ある若い人たちへのアドバイスを求められた時に、

君の心底やりたいことをやれ!

と言っている場面に出くわすことがあります。これは、”条件付きで”真実だと思いますし、賛成したい意見です。それは、

●  心底やりたいことでないと、なかなか継続は覚束ない。困難に直面した時、踏ん張れない。
●  やりたいことをやりきったという実感があれば、どういう結末を迎えようが納得できる。
●  やりたいことをやらなかった後悔に苛まれるのは勿体ない。

といった自らの信念と実体験からの発言であり、嘘はないと思うからです。

とはいえ、最初はやりたくない、向いていないと思っていたことが意外と楽しくなって続けられることもあるし、やりたいことをやって、狙った結果が出なかったら、身中穏やかではいられないし、あれはやらなくて成功だったということもあり得ます。また、その人の心底やりたいことが、犯罪行為や他害的な迷惑行為であれば、社会的には到底認められないでしょう。

なので、ことばを少し補足し、

●  やりたいことで、やってもいいことをやれ。
●  やりたいことを、やってもいい時期はあるが、撤退の期限は切れ。
●  人間としての義務を優先しなければならない時は、やりたいことをあえてやらない選択もある。

くらいに落として考えた方がいいと思っています。心底やりたいことがみつからないと悩んでいる人が、やりたいことをやっていないことで劣等感や焦燥感や脅迫観念に取り憑かれると、人生がすこぶる辛くなります。

私の『やりたいことをやれ』経験

私にとって、長年勤めた会社員を早期退職(そういう制度はなかったが自主的に)で辞めて、自分の自由に使える時間を確保する、という行動は、『やりたいことをやれ!』の実践に他なりません。労働する義務からの一時的な解放は、私にとってかなり優先度の高いやりたいことでした。

社会通年的には、非常識な部類に入る行動であり、損得勘定で言えば損する方向の選択だろう、という自覚は当然あります。多少のストレスや不満はあれど、会社や仕事が嫌で嫌でたまらなかった訳ではないし、それを我慢できない程精神的に追い詰められていたわけでもなく、日々生きるのが苦痛に感じる深刻な状態でもありませんでした。

でも、今回ばかりは、やりたいことを我慢する意味がないと判断しました。『やりたいことをやれ』の気持ちが高まって爆発寸前の時期だと思ったし、実践に移す為の条件設定、環境整備は周到にやってきた自負がありました。

やりたいことをやった結果なので、悔いはありません。今のところ、期待以上のことも、期待以下のこともありました。自分の中に「まあ、こんなものなのかなあ……」という納得感はあります。

やりきったら

最近は、このままの生活を続けていくことへの魅力は薄れています。多少は外部からストレスのかかる環境、新たな挑戦の機会を欲しています。

私はやりたいことをやりきったのかもしれません。やりたいことをやりきったら次のステージを模索して、再びもがくべきでしょう。ここは流れに逆らわずに、環境を転換させて行く時期に来ているなあと感じています。

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