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「規模の違い」が軽視されがち

本日は、ビジネス書のタイトルにでもなりそうな大上段に振りかぶったものです。特別な教育を受けたMBAホルダーでも、ビジネス業界で輝かしい実績を残しているコンサルタントでもない凡人の私が偉そうに語るにはお門違いの内容かもしれません。それでも脳味噌と勇気を振り絞って、私見を書き残したいと思います。

何か物事を理解したり、解決策を打ち出したりする時に、「規模」の問題は絶対に想定しておかなければいけない要素だと思います。私は「物差し」という用語の方を好みます。

「規模」も「物差し」も「スケール(scale)」を意味しますが、「思考する際の前提条件」と言い換えてもいいかもしれません。私は自分の理解やイメージの及ぶ価値観の範囲内で物事を捉えていくのは甚だ危険だ、という感覚を大事にしようという思いがあります。

例えば、人口1.2億人の日本の安倍首相と、3.3億人のアメリカのトランプ大統領と14.3億人の中国の習近平総書記とでは、求められるリーダーシップや採るべき解決策は違って当然です。国民性の違いとか抱えている問題とかを持ち出してきて更に複雑化する以前に、数の大小による制約は無視できないと思っています。詳しく知らない国の情報に接した時に、人口1億2千万人の国の規模感で理解しようとすると間違う、という感覚です。

解決策の議論をする時に、この「規模」の問題が、しばしば軽視されているように感じる時があります。

日本の社会問題を議論する時、外国の状況や仕組みを知り、解決法を探る取り組みには意味があると思います。その研究対象として北欧諸国の社会制度や教育システムがしばしば持て囃されるのを目にする機会があります。ただ、北欧諸国の人口は以下の通りです。

スウェーデン 1,004万人(91位)
デンマーク 577万人(115位)
フィンランド 553万人(116位)
ノルウェー 538万人(119位)

それぞれ日本の人口の10分の1以下の規模ですし、住民はそれぞれの首都、ストックホルム、コペンハーゲン、ヘルシンキ、オスロに集中しているものと考えられます。そもそもの規模感が違えば、原理的にどんなに優れた施策でも、人口規模の制約から、日本に合わないもの、正しくても導入できないものがありそうです。しくみが熱心に研究され、議論が進むほど、「規模の違い」による制約が軽視されがちです。

自分の日々の行動でも「物差し」はたえず状況に応じて変化させないといけないと思っています。時に、価値観がブレている、と見られるかもしれませんが、適用する「物差し」を間違えて何度も痛い目にあった経験をしているので、このことは必要以上に意識しています。

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