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長野県は長距離王国

長野県は、陸上の長距離の名ランナーを多数輩出しています。私が1981年から約40年間に亘って積み上げてきた知識を振り絞って、長野県にゆかりのある長距離ランナーを思い返して記します。

名ランナーの思い出①:和田仁志vs中村恵一郎

中学生で陸上競技を始めた私と同学年に、”怪物ランナー”と言われた和田仁志(赤穂中⇒伊那北高⇒立命館大)という選手がいました。ジュニア時代は規格外の強さを誇っていました。

1981年の全日本中学校陸上競技選手権大会の男子1年生1500mで優勝して全国にその名を知られるようになると、3年生では、800mで1分53秒15(歴代3位)、1500mで3分56秒2(歴代9位)という破格の中学記録を残しました。800mは33年間、1500mは29年間も破られなかった大記録です。

高校入学後も、秋田インターハイの男子1500mを1年生で制するなど、怪物ぶりを発揮し続け、世界を舞台に活躍すること間違いなし、と未来を大いに嘱望されていました。ところが、元々早熟気味だったせいか、高校2年生時に800mのベストを1分51秒98まで伸ばして以降は、その成長スピードが停滞していきます。日本のトップクラスとは言い難い状況となり、立命館大学卒業と同時に競技からは引退してしまいました。

その和田選手には、同県に同学年のライバル、中村恵一郎選手(屋代中⇒篠ノ井高⇒早稲田大学)がいました。中学2、3年生のジュニアオリンピック少年B3000mを連覇しています。記憶が曖昧ですが、どちらかは、和田選手を破って優勝しています。高校2年生時にはインターハイの800mで優勝、高校3年生時には、インターハイ800m・1500mの二冠を達成しています。進学した早稲田大学では、箱根駅伝に四年連続で出走(3区9位⇒1区6位⇒1区8位⇒6区7位)しています。

名ランナーの思い出②:伊藤国光・中山竹通

ちょっと前の長野県出身の名ランナーでは、上伊那農業からカネボウで活躍した伊藤国光選手、池田工業高校時代は全国的に無名ながら、1983年創設のダイエー陸上部加入後に一気に日本のトップランナーに上り詰めた中山竹通選手が思い浮かびます。いずれも日本マラソン史にその名を刻む名ランナーです。

伊藤選手は、小柄ながらバネの利いた回転の早いピッチ走法で、首を左右に振りながらの力走が印象深い選手でした。2時間7分57秒(日本歴代16位)のベストタイムを持ち、世界トップクラスの実力の持ち主と言われた伊藤選手が、マラソンのオリンピック日本代表には届かず、24回出場したマラソンレースで未勝利というのは、「マラソン界の七不思議」と言われています。

現役引退後はカネボウの監督として、高岡寿成選手や早田俊幸選手、入船敏選手などの名ランナーを育てました。現在は、JFEスチール競走部監督を務めています。生まれ故郷の伊那市で毎春開催されている「長野県高校新人駅伝競走大会」(春の高校伊那駅伝)の最優秀選手(男女各1名)には「伊藤国光杯」が贈呈されます。

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伊藤国光選手

中山選手は、優勝を期待されて出場した1988年のソウル五輪4位に終わった際、「1位でなければビリでも同じ」と言い放ったと言われます。前半から積極的に飛び出してぶっちぎるイメージがあり、「強いなあ」と感じた選手でした。180㎝の長身を利したダイナミックなストライド走法で、2時間10分以内で5回も走っています。我が道を行くかのようなレース運び、個性的な言動と孤高な野武士のような振る舞いも特徴でした。

捲土重来を期して連続出場した1992年のバルセロナ五輪では、ラストのトラック勝負に敗れて4位とまたもメダル獲得を逃しました。現役引退後は、大阪産業大学や愛知製鋼で指導者を務めた時期もありましたが、日本陸連の本流からは一貫して距離を置き、独自に解説者や講演活動を続けています。

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中山竹通選手

名ランナーの思い出③:佐久長聖高校出身ランナー

長野県の高校駅伝男子で無敵の強さを誇るのが、佐久長聖高校チームです。同校からは、綺羅星の如く、日本のトップランナーが巣立っています。

同校を新興チームから全国屈指の強豪校に育て上げたのは、両角速氏です。両角氏が東海大学の駅伝監督に転じた後は、両角氏の教え子で同校OB、山梨学院大学で主将も務めた高見澤勝氏が監督を務めています。

佐久長聖高校が全国的に頭角を現してきたのは1990年代の後半ですが、その初期の大スターに佐藤清治選手がいます。高校1年生でインターハイ1500m優勝、日本高校記録を更新すると、めざましい勢いで成長していき、高校在学中に、800m、1500m、3000m、5000mの4種目で高校記録を更新するモンスターぶりを発揮しました。とりわけ高校3年時に樹立した1500mの3分38秒49は不滅の大記録と言われ、今年洛南高校の佐藤圭汰選手に破られる(3分37秒18)までの22年間、高校記録として君臨しました。ところが順天堂大学進学後はその圧倒的強さは影を潜め、私が仕事で忙しくなった時期とも重なり、気が付いた時には現役引退していました。

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佐藤清治選手

佐久長聖高校出身の他のOBには、上野裕一郎選手、佐藤悠基選手(静岡出身 ロンドン五輪5000m/10000m代表)、村澤明伸選手、大迫傑選手(東京出身 リオ五輪5000m/10000m、東京五輪マラソン代表)ら、日本指折りのランナーが目白押しです。師走の京都で行われる全国高校駅伝の一区では、2015~2017年と三年連続で佐久長聖高校の選手(關颯人選手、名取瞭太選手、中谷雄飛選手)が区間賞を獲得しています。

今年度の大学駅伝の強豪チームにも、佐久長聖高校出身選手が多数在籍していますし、暮れの全国高校駅伝でも2年生エースの吉岡大翔選手を軸とする佐久長聖高校チームは、活躍が期待されています。


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