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WillよりもWon'tを優先する癖

昨日は、『結婚の【Won't系】と【Can't系】』というテーマでnoteを書きました。

本日はその変型版で、『WillよりもWon'tを優先する癖』というテーマで、自分の嗜好を考えてみたいと思います。50を超えたオッさんが、自分探しのようなことをやっているのはみっともない…… という思いはあるものの、自分の備忘のために書き残します。

Willのないのがコンプレックス

私には何が何でも成し遂げたいと考えている夢や目標がありません。50歳を超えた現在だからではなく、子供の頃からそうでした。夢よりも、実社会での実現性を重視してきたように思います。今も、漠然とした理想や思いつきでやってみたいことならば沢山ありますが、焦点を絞り、覚悟を決めて行動することができていません。

生きる上での絶対的な軸となる『Will』がないので、人生の目標もなかなか明確化できないし、行動も継続しないし、同志も集まらないし、困難にぶち当たった時に突破する意欲も育たない……  常にぶれ続けていて、みっともないなあというコンプレックスをずっと持ち続けています。

特筆すべき人生の選択はしていない

とはいえ、自分の進む道は自分で考えて、決断してきました。ただその決断は、使命感と責任感を背負って下したというよりは、やりたくないものを避けた結果の消去法や時間切れで何となく決めたような気もしています。willを貫くのではなく、won'tを避けるタイプの選択でした。

中学、高校は地元の公立校に進み、大学卒業後には民間企業に就職し、会社員として組織に雇われる者の価値観で、社会を泳いできました。定年には早く勤続28年半で退職したのは一般的にはイレギュラーかもしれませんが、割と現実的で合理的な面白味のない選択の連続だったと思います。突飛なことはせず、手堅く周囲からも理解され易いことをやってきました。

なので、私が進もうとする方向性に、周囲から猛反対を受けて止められたりした経験はほぼありません。日本政府からみれば、可もなく不可もなく、平均的で都合のいい人材だったのではないでしょうか。

社会に出る前から流されてきた

小学生の頃から「オトナになったら何になる?」という質問には「真っ当なオトナになる」というふわっとした答えをしていました。

建築士、漫画家、新聞記者、エンジニア、学者なんかは、漠然と憧れていた職業です。でも、大学生になる頃には、大学を卒業したら一般企業に就職するという進路は決めていました。前述の職業は単にイメージで憧れていただけで、それを目指して必死に努力していた訳ではなかったのです。

進学する際も、もともとは経済学部志望でした。第一志望の大学に落ちてしまったので、進学したのは法学部でした。結局、何が何でも経済学を学びたいと強く思っていた訳ではなく、ふわっとしていたのです。

法律系の学問にはあまり興味がなかったものの、やってみると勉強はそこそこ楽しかったです。「リーガルマインド」と言われるもののさわりに触れた経験は無駄ではなかったと思います。アカデミックなものは割と好きです。

ただ徹底的に理詰めで考えるのは苦手で、論理的思考能力に長けた気質でもないので、法曹系の職業には向いてない気がしました。

Won'tははっきりしている

自分がやりたくないこと、向いてないこと、従いたくないこと、気分の良くないことにはかなり自覚的です。No!の範囲ははっきりしています。

心底好きなことを貫くよりも、心底嫌なことを避ける方を優先します。その決断が、不合理でリスキーなものであったとしてもです。

対人関係構築にも意欲がありません。人間関係での軋轢は人生でもっとも避けたいことです。人に好かれるよりも、不必要に嫌われないことに重心を置いています。どんなに自分が好きで興味のあるタスクであったとしても、それをやるのに苦手な人間と濃く関わる必要がある場合は逡巡します。

特に苦手なのは高圧的なタイプの人です。懐に飛び込んで可愛がってもらおうと思うより、「エラそうにすんな!」と内心で反発を感じて距離を置いてしまう方です。職業選択では、徒弟制度的修行が必要な仕事は絶対に避けたいと思っていました。

まとめ

我ながら、面倒クサい奴だなあ、損しているなあ、と思います。でも、真摯に自分と付き合っていくしかないと覚悟を決めています。自分の選択の癖を知り、後20年歩んでいくつもりです。

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