信じていた価値観が覆りつつある日々
本日は、最近の私の精神状態について言語化を試みたいと思います。気分の浮き沈みは常にあるものですが、内省的に傾いている今週は、タイトルのような瞬間が特に多い気がしています。
7月は内省寄り
以前の会社で営業関係の仕事をしていた頃の7月は、ルーチン業務に加えて、下期(10月~3月期)の販売計画見直し作業が重なって慌ただしく、残業も多くなる時期でした。普段守っている生活習慣やリズムが崩れたり、予期せぬ修正作業の連続からピリピリして、精神的に不安定なことが多かったように思います。
20年以上そのような習慣で過ごしてきたせいなのか、毎年7月になると、自分がこれから歩もうとしている道の結末や、現在の境遇について懐疑的になることも多くて、コミュニケーションに消極的になり、ベクトルが内に向かいがちになります。
迫ってくるものの大きさから、逃れたい、逸らしたい、という気持ちが働き、自堕落・消極的・悲観的に傾きがちで、今一つエンジンのかからない時期です。2018年11月にnoteの毎日投稿を開始してから、4回目の7月になりますが、読み返すと過去3年も精神的に落ち着かない中で書かれたことが滲み出ている記事が多い気がします。今年の7月も、はっきり言って不調です。書きたいテーマがなかなか浮かばず、方向性も定まらず、毎日の記事を書くのが億劫になっています。
何でそう考えていたんだろう、という瞬間
最近、些細なことに対して疑いを持つ機会が増えています。これまでは変に意識せずに無条件に思い込んでいた考えに、『?』という疑念がよぎったり、これまで軽視してきた自分と真逆の考えのことが急に気になり、調べてみると『何かこれまで思っていたのとは違うなあ……』という経験が増えたりしています。
曲がりなりにも長年積み上げてきた経験には自信があったし、大切に守ろうとしてきた強固な価値観があり、それは今後も揺らぐことはない、と思ってきました。自分の考えに頑なになってはいけないと思うし、変化や修正は望む所なのですが、土台になっている考え方の至る所に穴が空き、水がちょろちょろと漏れ出し始めているような感覚があります。
価値観は揺れ動いてもいい
一度確立した価値観に執着する必要はありません。いつまでも同じ場所に止まっている必要はないし、そんなことは周囲も許さないのが現実です。予期せぬ変化を楽しむくらいの余裕が欲しいところです。短期的にやりたいことは一杯あるのに、中長期の明確な目標がぼんやりしていることに苛立ちを感じています。
「考え過ぎる前に、行動せよ」という真っ当なアドバイスは、これまで何度浴びせられてきたことでしょう。私は、秒で動ける時もあれば、折角のチャンスにも、腰が重くて動けない時もあります。今は、うずくまって、ぼんやりしていることへの欲求がまさっている気がします。強制的に仕事にいける環境があることに助けられてもいます。
幸いなことに、着地点を全くイメージせずにこの記事を書き始め、頭に浮かんだ内容を、次々とあまり脚色せずに吐きだし続けていているうちに、徐々に気分が上向いてきました。ここで一旦、筆を置きます。明日、読み直して、酷い内容になっていることに気付くと思うので、大幅に手を入れます。今日は、モヤモヤを絞り出すための時間になってしまいました。
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