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『アイヒマンと日本人』を読む

本日は、山崎雅弘『アイヒマンと日本人』(祥伝社新書2023)の読書感想文です。


日本人が気になる人物

本書で取り上げられているオットー・アドルフ・アイヒマン(Otto Adolf Eichmann 1906/3/19-1962/6/1)は、ナチスドイツの親衛隊中佐であり、第二次世界大戦中にナチスによって遂行されたホロコーストの実務遂行において重要な役割を担ったとされる人物です。アイヒマンは、戦争犯罪者としての罪を逃れる為に偽名で潜伏していたアルゼンチンのブエノスアイレスで、1960年5月、イスラエルの諜報特務庁(モサド)によって捕縛され、連行されたイスラエルで超法規的措置により死刑判決・執行を受け、56歳で生涯を閉じています。彼の謎めいた最後は、昨年9月に公開された映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』(イスラエル・アメリカ合作2022)に描かれていました。見逃してしまったのが悔やまれます。

1961年4月〜8月に行われた公判を傍聴した、ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント(Hannah Arendt 1906/10/14-1975/12/4)が著した『イェルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』(1964)は非常に有名です。

600万人以上の犠牲者を出し、人類史上最悪の虐殺と言われるホロコーストに関与したアイヒマンは、実は反ユダヤ主義者ではなかったという説もあるようです。エキセントリックな人物という訳でもなく、組織の上位者の命令や指示には絶対服従を貫く真面目な性格で、出世と保身にしか興味を示さない「凡庸な小役人」的であったことに、逆に衝撃が走ったとされます。

現代日本にも棲息するアイヒマン的人物

著者は、日本はアイヒマンという人物への関心が高い国だと書いています。私もアイヒマンという人物に興味を持っている一人であり、(アーレントの著書は読んでいませんが)色々と情報を集めていた時期がありました。

本書の読みどころは、第五章 日本人の中にもあり「アイヒマン的なまじめさ」であり、著者が一番読者に訴えたかった内容でしょう。私の中にもアイヒマン的要素が確実に巣食っており、正常な感覚が麻痺してしまっている自覚もあります。

アイヒマンは、自身の公判時に

1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない

と発言したとされています。何とも空恐ろしいことばですが、組織で自身の仕事に没頭しているとこのような感覚に囚われるのは私も理解できなくはありません。

己の「卑怯さ」を表明的な「まじめさ」でカモフラージュする「アイヒマン的思考」

本書P223

に搦め捕られてしまわないように、自分の内面に価値判断を持つことが重要だと再認識する必要がありそうです。

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