見出し画像

小さな結果で繋ぐ

本日は、自分の中で結論が出ておらず、なかなかに重たいテーマです。一つの取り組みとしての『小さな結果で繋ぐ』を考えます。

未来に繋がらない過去はない

このテーマを考えるきっかけは、Voicyで松永エリック氏がパーソナリティを務める『エリック教授の超音楽的放談』(2020/9/30)の「《Vol.338》未来の繋がらない過去はない」という音声を聴いたことです。

私の要約は以下の通りです。

● 父親からは「結果を出さないと意味がない(成果主義)」という教育を受けてきたが、ある時それは直観的に間違っていると気付いた。
● 成長できたのは失敗から学んだ時。そこから面白いストーリーを作っていけばいい。
● 出なかった結果にも意味がある。過去をどう解釈し、糧にして前に進んでいけばいい。頑張った自分を否定しない。

それでも結果至上主義は捨てられない

私も結果至上主義的な価値観は好きではないし、反発すら感じます。
「結果が全て」
「結果の出ない努力は努力ではない」
「結果を出してない奴なんてクソ」
と事情を一切考えずに断罪するのは、野蛮だし、視野の狭い短絡的な態度だと思っています。

一方で、「『結果が全て』という現実から逃げてはいけない」という価値観も私の中には根強くあります。結果が出せない人のことばには説得力がありませんし、相手にもされないのが現実です。私には、自分が本気で取り組んだものは絶対に狙った結果を出したいし、出すのが当たり前、という思いもあります。

なので、現実を直視して、自分の見込みとずれた結果しか残せていないと感じると、自分の不甲斐なさにひどく絶望し、挫折感が残ります。

努力は必ず報われる… 結果の出ない努力もある

王貞治氏の名言『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。』はよく知られています。

王さんは人格者として知られています。このことばは、「私はそういう意識で取り組んでいる。その覚悟のない人間に頂点を狙う資格はない」という冷徹な真実を含む自らの信念を語っただけで、それを他人に強要したり、他人を揶揄したりするような意図はないのだろうと思います。

しかし、頂点を極めた人が語る重たいことばであり、自分の選んだ世界で成果を出したい、認められたいと踏ん張る人間に無言の圧力をかけてきます。

誰もが評価する圧倒的な結果を出した人間にしか吐けないことば、見ることのできない光景、立てない場所があることを多くの人は理解します。偉業を達成した人の突出した才能と死ぬ気で努力する凄さを目の当たりにしていれば、その人を素直に感服し、称賛することもできます。

ところが、中途半端な努力しかできなかった…、才能がなかった…、予期せぬ不運に見舞われた… 他人に邪魔された… 大多数の人たちが定めた目標を果たせぬまま挫折・脱落していきます。結果で報われない努力は必ずあります。結果だけを追い求めていると、絶望があります。

過去も現在も未来に必ず繋がる

私の精神は、他人に惑わされている、自己評価を他者比較に委ねているという意味で良好ではないな、と本日のエリック氏の音声で、再確認しました。これまで何度も、何度も、何度も気付いて奮い立たせるのですが、精神がダークサイドに堕ちる機会はなかなか減りません。

健全な自尊心を維持し、向上心を持ち続けるためには、小さくとも毎日何か目に見える結果を出して、ささやかな自信を取り戻し続けることかもしれません。不器用でも歩き続ける自分を承認し、鼓舞する努力を続けようと思います。


サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。