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『シン・ウルトラマン』を観る

昨夜は、夕飯の晩酌が影響したのか、電気をつけたまま朝まで寝落ちしてしまい、またしてもnote連続投稿を途切れさせる失態を犯してしまいました。今年になってからたびたび失態をやらかしており、そろそろ真剣に対策を考える時期に来ています。

これまでは、「その場で書いて即投稿」の姿勢を貫いてきましたが、記事を書くのが辛い時に備えて、upする用の記事の在庫をストックしておくのも一案かもしれません。時間が確保できている時に、長期で取り組むテーマを書き進めていくようにします。

本日は、映画『シン・ウルトラマン』の感想文です。先ほど鑑賞を終えたばかりのほやほやなので、情報は薄く、粗削りな内容となりますが、高揚感が残っている今のうちに、勢いで書いていきます。

満を持しての映画鑑賞

この待望の作品が、先週金曜日(2022/5/13)に封切られるということは、事前にキャッチしていました。職場近くにある映画館では水曜日がメンズデーで、鑑賞券が1,100円になるので、本日(2022/5/18)仕事終わりの19:10からの回を観ることは、先週の時点で決めていました。

お陰で、今日を待ち侘びる気持ちで、緊張感を維持することが出来ていた気がします。今月から来月にかけては、私の観たい映画が続々と封切られますので、うまくいくようならば今後もこのパターンは多用するつもりです。

映画開始時間までには少し余裕があったので、先に食事を済ませ、ホットコーヒーを買って映画の座席に腰を沈めました。

期待を裏切らないすごさ

結論としては、事前に高まっていた期待を全く裏切らないクオリティを維持していると感じました。さすがは庵野秀明チームの仕事です。毎回、期待を確実に超えてくる、安心の品質レベルを保っていることには、尊敬の念を抱きます。

娯楽作品として『最大多数の観客を満足させる』ことに重心を置いた作品なのだと思いました。

ウルトラマンにはカルト的な信奉者(庵野氏自身がマニアです)がいますから、この映画に並々ならぬ期待を持って観にくる人(私もそのひとり)を満足させる必要があります。一方で、ウルトラマンの存在を全く知らない若者・子どももいます。幅広い客層に、エッセンスを1時間50分程度に凝縮して一つの作品に仕立て上げる作業は並大抵の苦労ではなかったと思います。

その試みは成功していたと思うし、絶対に満足させなけれないけない、というプレッシャーを乗り越えての作品なのだということが伝わってきました。作り手の真剣さが随所に滲み出ていた気がします。

勿論、ケチをつけたくなるような部分が皆無ではないし、あらゆる要素を詰め込み過ぎではないか、役者の個性を100%引き出せていないのではないか、あのシーンは必要なのか、など思わないこともありません。しかし、それらを踏まえても多くの人が、85~90点クラスと評価するのではないでしょうか。むしろ、100点満点を狙わないことがコンセプトだったのではないか…… というような演出・企画だったとすら思います。

シン・ゴジラの姉妹作品

敢えて暴論を承知で私見を述べると、『シン・ゴジラの姉妹作品』です。作品を貫いている軸(それが何であるかの考察は、この記事では封印します)は、踏襲されていると感じました。

ウルトラマンへの最大限のリスペクトがあることは百も承知ですが、映画作りの基盤と基本的手法は、『シン・ゴジラ』路線なんだろうなあと思ってしまいました。随所に、エヴァンゲリオンっぽさ、オタク好みの演出、人間ドラマ(斎藤工と山本耕史のシーンが引き締めている)が挿入されていて、色々な角度から語れるように仕上げています。

その詰め込みぶりを、最大多数の観客に届ける為の「あざとさ」と表現するのは横柄過ぎるように思います。わかっていてやっていることが痛い程わかりました。稀代の英雄、名作である『ウルトラマン』を現代に甦らせることの難しさに敢えて挑んだことが素晴らしいと思いました。

エンディングテーマ曲を米津玄師に依頼したのは慧眼だし、この複雑な世界観の映画に100%応える楽曲を作りあげる彼の才能は見事です。

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