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起業とは何なのか

本日夜に、参加を決めている勉強会の第一回キックオフMTGがZoomでありました。テーマは『事業はどのように立ち上がるのか』というものであり、言い換えると『起業』の議論です。先日読んで読書感想文をあげた 田所雅之『超入門 ストーリーでわかる「起業の科学」』(朝日新聞出版2021)は、その課題図書の一つでした。

色々と話しているうちに、『起業とは何なのか?』という問いが沸き上がりましたので、短時間で考えたことを書き残しておきます。

すれ違う「起業」の意味

「起業」ということばから連想するイメージは、人によって千差万別かもしれません。最近では、起業=”スタートアップ”のような位置付けになっているきらいがあります。

スタートアップ(Startup:新たな市場を見つけ、巨額のリターンを得ることを目指す未来志向の企業や組織)

超入門 ストーリーでわかる「起業の科学」P1

「起業」とは、「何らかのビジネスを始める」「事業を興す」ということで大きな間違いはないような気もしますが、「起業」をどのように位置付け、どのような観点から眺め、どのような粒度で捉えているかは、その後の議論の進め方に大きな影響を与える気がしています。

「起業」が目的化することへの違和感

「起業」自体が目的化していることには、私には違和感があります。「起業」を職業的に捉えて、(成功した)「起業家」と呼ばれることを目指して活動に励むのは、なんか違うのではないか、という気もしています。

世の中の埋もれた問題、大切なのに誰も取り組まずに放置されている問題、解決策がプアーな状態で取り残されている問題にフォーカスして、よりよい問題解決を提示する為に、興す事業こそ真の「起業」と呼ばれるべきものではないか、という思いがあります。

誰もやらないリスクがあることを手掛けようとするからこそ、あたれば自分の取り分が大きくなるのは事実でしょう。それを目論んで、行動を起こすことは否定されるものではないものの、一方で邪な感じも本能的にしてしまいます。自分の夢(欲望)を叶える為の起業が、世の中を進歩させてきたことも事実ではあるものの、どことなく不純な臭いも感じてしまいます。綺麗事に過ぎないことは百も承知ですが、公共の利益に資する、社会問題を解決する為の起業が望ましいと思ってしまいます。

結論は持ち越し

「起業」とは善悪を議論するようなものではなく、単なる現象として扱うべきものなのかもしれません。本日時点での結論はありません。荒っぽい締め方で申し訳ありません。

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