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今こそ未来学を学ぶべき

本日は、リサーチフェロー活動の課題で出された文章を読んで初めて知った『未来学』についてです。強く興味を惹かれたので、感想にまとめます。課題と記事で一石二鳥を期待します。

事業構想学=未来学

事業構想学は未来学である。

というインパクトのある書き出しで課題の文書は始まります。この場合の”未来”とは、現在の延長線上に考える未来ではなく、これまで誰もみたことがない創り上げるべき未来を意味します。連続的ではない、未来を構想するのが事業構想学であり、未来学である、という訳です。二つを合体させて、『未来構想学』と言い換えることもできそうです。

一般的な学問が、過去の偉人が発見した自然法則や社会法則、経験を学ぶことにあるのだとすると、過去の延長線上に未来が描ける時代には、学問の有益性は担保されています。

しかしながら、変化の激しい時代には、過去の経験に頼るだけでは不十分であり、時代の本質を捉えて未来を構想する力が求められそうです。

未来学の源流は1960年代に

未来学の源流は、日本が高度経済成長の真っ只中を歩んでいた1964年の夏に生まれた「万国博をかんがえる会」という小さな研究会であるといいます。1970年に大阪で開催することが決定していた万国博覧会をどうあるべきかを、人類学者の梅棹忠夫氏、SF作家の小松左京氏らが中心になった活動は、やがて手塚治虫氏、岡本太郎氏、星新一氏ら、当時の気鋭の文化人をも巻き込み、万博のコンセプト形成に大きな影響を与えたと言われます。

それまでの万国博覧会は、国威発揚のための産業見本市という色彩が強かったものの、このグループが唱えた『理想の未来のコンセプト』は、色々な分野へと波及していき、日本社会に影響を与えていきました。現在に続く日本未来学会は、この会の活動を引き継いだものとされています。

理想を掲げることの重要性

はじめた事業を長く運営する為には、変化することは避けられません。時流に乗って順調に業績を伸ばしても、変化を怖れて、理想を忘れ、目先の対応に終始していると、やがて衰退の道を辿ることになります。

未来思考、未来志向は、事業を革新的・持続的・最適にしていく、というのが未来学の信念です。現在の傾向を延長した先に想定される未来を予測する(Forecasting)立場よりも、望ましい未来から逆算して現在と未来の線引きをする(Backcasting)立場を支持するのが、未来学の特徴です。

Forecastingで生きてきた私

この課題文を読んで思ったのは、「自分はごりごりのForecasting思考で生きてきたんだなあ」ということでした。自分がForecasting思考の人間だということに気付けたことが、最大の収穫でした。

私がBackcastingの発想を簡単に採用できないのは、掲げた理想が殆ど実現せずに挫折してばかりだった、というマイナスの実経験と、諦めた夢や理想の代わりに消去法で選んだ未来が、意外と自分の嗜好や価値観にフィットして、悪くなかったというプラスの実体験を持っているからだとわかりました。

ただ、冷静に考えると、それは単に私の生きた時代がそれ程の激動の時代ではなかった証左なのかもしれません。人生後半戦で自分の人生を上書きするため、諦めずにBackcastingの手法を採り入れてみようという気になっています。

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