調えにいくこと
今日は、日中の気温が一気に上がったあと、夕方には断続的に激しい雨が降る不安定な天気でした。夏がもうすぐそこまで迫ってきていると感じてしまう一日でした。もう少し、初夏の過ごしやすい気候に身を委ねていたい気分ですが、私の思いとは別に時は止まることなく刻み続けていきます。本日は、『調えにいくこと』という現時点では着地点がよく見えていないテーマで書いてみようと思います。
「整える」と「調える」
最近になってようやく、「ととのえる」という表現を使いたい時、私はよく考えずに「整える」という漢字を当てていて、同じくよく使われる「調える」を使っていなかったことに気付きました。(「斉る」という表現もあるようですが、私には使いこなせない気がします。)
「整」と「調」それぞれの辞書的な意味を調べてみると以下の通りになっていました。
こうして解説を読むと、ニュアンス的は「調える」と表現すべき場面でも、「整える」一刀流で押し通してきた気がします。漢字を正しく使い分けてこなかったことで、きちんと自分の意図が伝わっていなかった可能性がありそうで、軽率だった、無防備だったと反省する気持ちになりました。
「調える」ことを意識する
これまで、あまり意識せずに「整える」一本足打法に終始してきたことは、少なからず私の人生観や性格に影響しているような気がしてきました。「整える」と表現すると、現在乱雑に散らかっている状態を整理整頓して修正するニュアンスが強くなります。あるべき理想の状態がはっきりしていて、その状態に極力近付けられるようにアレンジするイメージでしょうか。私には、既知の事象に対して、杓子定規に理解して断定するきらいがあります。
両者の違いに気付いた時、これまでの私に欠けていて、本当に求められていたのは、「調える」という態度だったのではないか、と思いました。「調える」と綴ることによって、物事をまとめる、条件を揃える、といった建設的、宥和的なニュアンスが加わり、より柔らかな印象になるような気がしています。「調整」「調和」といった用語は、日常会話や文章でも頻繁に使ってきたものの、これだと硬質な響きが強く押し出されていて時に具合がよくない感じになります。
今後、「整える」と「調える」のニュアンスの違いを意識して、場面に応じて使い分けていこうと思った次第です。
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