『期待』の落とし穴
『期待』とは?
普段、その意味を強く意識せずに多用してしまっている『期待』という言葉について、辞書ではどうなっているのか確認してみました。
【期待】(名)よい結果や状態を予期して、その実現を待ち望むこと。 「完成を-する」 「 -はずれ」〜大辞林 第三版の解説
この大辞林の解説は一般的であり、理解しやすいです。【よい結果や状態】は、『期待』をする人によって、その基準がマチマチなので、人と人との関係では、しばしばすれ違いによるトラブルを引き起こします。
『期待』の基準ギャップを埋めておく
『期待』の基準ギャップが起こっているのは、たとえば夫婦間です。結婚当初はお互いの相手に対する『期待』が頗る高い所からスタートします。相手に『期待』するレベルと実態にはもともと差があるのが当然ですから、日々少しづつ『期待ハズレ』のギャップは積み重なっていきます。その度に爆弾が埋め込まれていくようなもので、いつか爆発するかもしれません。
夫側では、
☑ 夕飯が準備されているものと『期待』して平日に早く帰宅すると、妻から露骨に嫌な顔をされ、邪険に扱われた……
☑ 大喜びしてくれるだろうと『期待』してお土産に買って帰った有名な和菓子をやんわり拒否された……
妻側では、
☑ 我が子に愛情を注いでくれる子煩悩な父親になってくれると『期待』した夫が、実は何をやっても不器用で、子育てや躾に確たるポリシーを持っていなかった……
☑ これくらい守れるだろうと『期待』された生活習慣(洗濯物やゴミの分別、便座の上げ下げなど)ができない……
過剰な『期待』はしないと決めている
思うに、私が『期待』ということばを使う時には、「目標」とか「願望」とか積極的・自動的なイメージよりも、消極的・他律的なニュアンスを込めて使っている気がしています。
私は若い頃「なんかいいことないかなぁ……」が口癖でした。自分を楽しませること、面白がらせることについて他者任せなところがあります。夢や目標を達成したと思ったら、他力本願的な態度では絶対にうまくいきません。何事も自己責任であることを意識するようにと気を引き締めるのですが、根底の所でしばしば甘さが顔を出します。
成し遂げたいと思ったことに対して、「神頼み」「あなた任せ」を『期待』しています。大した努力をしなくとも、無意識に思い描いているまあこれぐらいにはなるであろう未来という【よい結果や状態】を想定して、『期待』という言葉を使用していることに気付きます。
世の中で仕事が出来ると言われる人、人生の楽しみ方が上手くて幸せそうに見える人は、この『期待』をコントロールするのがうまいように感じます。徹底的にリスクを排除して、全力でやるべきことに集中できる人が評価される人でしょう。今日から改善の第一歩を、『期待』します…… いや、これでは駄目だな。
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