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防人という生き方について


本日のnoteは「防人という生き方」についての考察です。

防人との出会い

防人と書いて「さきもり」です。辺境を防衛する兵士(乃至は制度)を意味することばです。唐の制度を、日本の律令制度下の軍事制度に導入する際に採用されたと言われます。その詳しい背景を知らない子どもの頃から、このことばの響きをなぜか「美しい」と感じてきました。

防人ということばとの出会いは、学校の古典の授業で教えられる以前、さだまさし『防人の詩』です。日露戦争の旅順要塞攻略戦を描いた映画『二百三高地』(1980年)の主題歌として使われました。

切ない歌詞を持ち、この曲を熱唱する時のさだまさしさんは感動的です。今も耳にすると涙が出そうになります。印象的な「…死にますか」の繰り返しも感動的ですが、年齢を重ねた今は、以下のフレーズがぐっときます。

去る人があれば 来る人もあって
欠け行く月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

さだまさし楽曲が取り上げるテーマと紡いでいくことばが、何層にも重みが加わって、今の私の心に迫ってきます。さださんは、いい歌を作り続けるだけで満足することなく、映画製作など様々な分野で挑戦をされてきました。その挑戦には、商業的な大失敗もあり、多額の借金を背負った経験もあります。しかし、不死鳥のように今でも新作を発表し続けています。日本が誇る唯一無二の偉大なアーティストだと思います。

名もなき人たち

防人は、辺境防衛の為に日本各地から強制的に徴兵されました。それぞれ好き好んで防人になった訳ではありません。職務は危険と隣り合わせであり、命の保障も、残していく家族への補償もない苛酷な任務だったようです。万葉集には詠み人知らずの防人歌がいくつも収められています。

沿岸を守るという大きな目的の為、使い捨てにされることを目的に動員され、後に誰からも思い返されることもなく、歴史にその名を残すこともなく、この世に存在した証も担保されなかった大多数の人々の思いを想像してみました。

自分も似たようなもんではないか…… 
誰かの防人として存在し、死んでいくんだ…… 
それは決して恥ずべきことではないんだ…… 

という気持ちになりました。時代や形や役割を違えど、私も、現代の防人のひとりとして生涯を終えることを宿命付けられた人間だと思います。

不本意な防人だって構わないよね

自衛官、警察官、消防官、海上保安官といった人たちは、常に危険と隣り合わせであり、『現代の防人』と言ってもよいかもしれません。

防人をもっと広義に捉えて、人々の利益を守りながら、社会や公共の秩序を守る仕事に従事する人、もっと極端に捉えれば、誰かを支えようと淡々と生きている人は、全て『現代の防人』と言えるのではないでしょうか。

最終的には名もなき人で終わるかもしれないけれど、懸命に社会を支える役割を担うことを期待され、それに応えて生涯を終えるのです。

防人仕事や、見返りがないことに不満を抱く人も少なくないでしょうが、結局誰かの防人になる生き方が人類の歴史を紡いでいくのでしょう。自分のできる貢献を精一杯やって、「頼むぞ」と後に続く人達にバトンを渡していくしかないように思います。

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