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人生の定点観測〜これまでとこれからと

2020年5月の最終日です。本日は、現状の私の気持ち、雑感を残します。

Stay Home期間の修正

マンネリが嫌いで、日々変化を欲する気質の私が、何とか気持ちに折り合いをつけて、サバイバルしてきました。Stay Homeに慣れてしまって、自分の足で動いて、外部からの刺激を受ける経験が大きく減っています。

緊急事態宣言は解除されたものの、今回の騒動が社会に残している疵痕は大きく、これから先、私がこれまで慣れ親しんだ状況への回帰は期待できないだろうと諦めています。そう割り切って、新しく生まれる常識に適応して、愉快に生き抜く術を考えていく日々になりそうです。

これまでの私

若い頃の私は「一度きりの人生を最高なものにしないと意味がない」と気負う思う反面、「失敗して恥をかきたくない「取り返しのつかない過ちを犯したくない」という消極的な強迫観念にも支配されていました。

自分の妄想の中で勝手に築き上げた理想と、日々直面する現実とのギャップの大きさに苦しみ、自己肯定感を高めることがなかなかできないことが多かったような気がします。

自分の自尊心を守ることに神経質になり過ぎていました。自分の持っている才能の無さや努力不足、高徳とは言えない人間性が露呈して、挫折感を味わうことがないよう、ディフェンス重視の人生設計をし、実行してきました。「大勝できなくてもいいから、大敗はしない」ということを第一に、合格点で満足する処世術でやってきました。結果として、人生を揺るがすような大きな破綻はなかったものの、他人や世間体に評価を委ねる他律的な人生からは抜け出せませんでした。

中途半端に自分のエゴを発揮すると大抵は叩かれ、人が離れていきました。そこで反省して潔く自己を捨て、他人の役に立つ生き方を徹底することもできたなあ、という思いもあります。でも貫き通すことは無理でした。

これからの私

差し当たりの到達点として意識していた『人生五十年』をクリアし、人生後半戦を意識し始めた頃から心境の変化がありました。これまで獲得したものの延長線上にこれから先の人生を形作ることが、どうにも退屈でつまらないものに思えてきました。

周囲を気にして安全運転ばかりを選択せずに、もう少し雑に生きてもいいんじゃないか? という感覚へと変化しました。私は、小学校の通知表で、"責任感"とか"協調性"の項目に△がついていた人間です。組織不適合者の素質が潜んでいるのです。

これまでは自分のワガママやエゴを極力押し殺して、社会の常識に適合する生き方をしてきたんだし、我慢していたこと、抑えてきたこと、を少し出させて欲しい、という願望が強くなっていきました。私に与えられている残りの時間はオマケみたいなもんだろう、というアナーキーな発想が高じて今があります。

2020年5月31日時点の定点観測。現状の私は、優等生的な考えを完全に捨てています。悔いの残らぬよう、ワガママな生き方を今は選択します。

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