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名言が与えてくれるもの27:人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない。

誰もが、心に深く響いた忘れられないことばを持っていると思います。名言が与えてくれるものシリーズの第27回は、『人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない』ということばです。


戦慄を覚えたことば

このことばは、田中眞紀子氏(1944/1/14-)のことばです。眞紀子氏の父は、「昭和の今太閤」と呼ばれ、第64、65代内閣総理大臣を務めた田中角栄氏(1918/5/4-1993/12/16)です。果たして『名言』と呼んでいいのか、悩んでしまうことばです。

眞紀子氏は、角栄氏の死去後に政治家活動をはじめ、衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(第52代)、外務大臣(第113代)、衆議院文部科学委員長、衆議院外務委員長、文部科学大臣(第17代)を歴任し、歯に衣着せぬ奔放な発言で、国民的人気を集めました。

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田中眞紀子氏

このことばを初めて聞いた時には、「なんと傲慢な人なんだろう」と戦慄を覚えました。社会経験を積み重ねた今となっては、彼女の感覚を全く想像できなくはありません。とはいえ、人間を「味方」「敵」「使用人」と三分する感覚は、私には今もって理解不能であり、受諾不能です。「味方」「敵」に二分するのは、まだ相手を血の通った人間として認知していることが感じられますが、問題なのは「使用人」です。

自分には全く理解できない/したくない人間観

このことばを知った当初は、自分が「使用人」と見なした相手を、感情も個性も人格もある人間として慮ることなく、単なる「駒」にように捉えて平気でいられる価値観に驚き、同時に激しい反発を感じました。

もっとも、田中眞紀子氏の言動や振る舞いをみていると、どうやら当人自身が、そういう差別的な特権意識を自覚した上で言っている訳ではないこともわかってきて、更に怖ろしくなりました。

生まれながらに支配する側・命令する側にいて、周囲を指図することが当たり前、周囲の人間が自分に気を遣い、自分の意向に従うのが当然、という環境で育ってきてしまった人にとって、「使用人」を、人として見下している、差別しているという意識は、おそらく微塵もないのでしょう。「使用人」は、単に「使用人」という人種なのであって、自分と対等の存在として扱うべき対象ではないのでしょう。

実生活では、「使用人」と位置付けている人たちにも、愛着と尊敬を持って接遇しているのかもしれません。ただ、根底には「私は命令する人、あんたはそれに従う人、そんなの当たり前の話」という、揺るぎのない前提条件があり、その関係性が逆転することもある、という意識は到底持ち合わせていないのだろうと思います。

「使用人」は、その有用性がなくなればポイ捨てするのが当たり前であり、いつでも、どこでも、誰とでも取り換えが可能な、一パーツに過ぎません。

確実に存在する人種

私にはおよそ想像が及ばない価値観でしたから、かなりの驚きだったのですが、世の中には、他人を「使用人」扱いする感覚の人が、~程度差はあるものの~ 一定数は確実に存在することもわかってきました。

先天的にそういう気質の人もいれば、長年崇められる地位に居座り続けてしまった為に、その環境に慣れ親しみ過ぎて、人を利用価値の有無、優劣で評価する習慣が身に付いてしまった人もいます。後天的にそういう感覚になってしまう人は、先輩ー後輩関係、役職の上下関係の厳しい世界で長く過ごしていると、自然に染み付いてしまうものなのかな、と思います。

「使用人」扱いされる環境に慣れ過ぎて

私は自分ではあまり自覚していないのですが、「プライドが高い人」という見られ方をすることがあります。打ち解けて付き合いの深い人から弄られるのは全然平気ですが、大して親しくもない人から、上から目線で弄られると、あからさまに不快感を表に出すことがあります。

露骨に嫌な顔をしたり、無言でスルーしたりもするので、相手や周囲からは「冗談の通じない奴」「空気を読めない奴」「可愛げのない奴」と揶揄されてしまいがちなタイプだと思います。

自分への上から目線、無礼で馴れ馴れしい態度にはかなり敏感な方なので、自分を「使用人」的な扱いで接してくる人は、基本的には嫌悪の対象です。ただし、年齢を重ねて場数を踏んだことで、その傾向はかなり緩和され、許容範囲は随分広くなったようには思います。「ああ、この人、そういう感じの人なんだな」「自分はここではそういう位置付けで振る舞うべきなんだな」と割り切って、オトナの振る舞いでやり過ごせる場面も増えました。

自分がそういう扱いを受けるのが嫌いなので、自分もできる限り相手にこのような印象を与えないように、相手へのリスペクトの姿勢を崩さないようにしようと心掛けてはいます。とはいえ、必要以上に卑屈に相手にへりくだるのは無理なので、対等の気持ちを意識した振る舞いを維持しようとします。

結果的には、それが「態度がデカい奴」という印象を与え、相手を不快にさせることもしばしばあって、距離を縮めることに失敗することも多いです。人間関係の構築には、いつまで経っても悩みは尽きません。


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