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2020年代は隙間で生き延びる

『2020年代はどうなる』というテーマは、2020年1月8日のnoteで一度書き残しました。2020年を半分以上過ぎた現在の状況を見据えて、自分なりの生き延び方を備忘録的に書き残しておこうと思います。

世界規模に拡大した新型コロナウイルス危機

2020年前半の話題は、新型コロナウイルスに尽きます。感染症の正体は徐々に判明しつつあります。伝播力・感染力は強いものの、感染者が高齢者や持病持ちでなければ、感染しても重症化する確率は低いという結果が出つつあります。

それでも未だに治療の特効薬や予防ワクチンの登場には至っておらず、集団感染が発生した場合には医療体制の崩壊リスクがあるため、まだまだ警戒感は消せません。外出時のマスク着用、イベント開催の制約、移動の制限が解除されるのはしばらく先になりそうです。

今回の新型コロナウイルスの流行と定着は、人々の従来の行動様式や生活習慣には影響を与えるでしょうが、根本的な世相変化には至らないでしょう。ただ、これまで見逃されてきた旧主流派の既得権益や公的セクターの非効率、不合理な習慣の解体には拍車がかかりそうです。

今は不安定でも、フリーを求めておいてよかった

我を通して、昨年11月に会社員を卒業し、自由な時間と身分を確保しておいた決断は間違っていないと思っています。

『自分の意に沿わない絶望的な環境に我慢する必要がない条件を整える』ことに注力してきた結果、ライスワークをしなくても数年間は耐えられるだけの余力を蓄えてきました。本当にじっくりと、ゆっくりと自分を思い切り甘やかしながら、世界の趨勢を見守ってきました。移動の自由が制限されて、頻繁に旅行に行けないことにストレスは感じるものの、その代わりに試せていることも多々あります。

会社員という身分がなくなったことで、私の身分はすこぶる不安定になりました。公に私の存在価値を認めてくれる人も場もないので、卑屈な気持ちになる機会はゼロではありません。ただ、これは最初から覚悟していたことであり、想定範囲内と最後は割り切ることができます。孤独に耐える覚悟はどんどん強固になっており、精神は図太くなってきています。

時代の先端を追うのは愚策

私の50代の運勢はこのまま緩やかな下降曲線を描き続けるのでしょう。自ら負け犬人生を肯定し、時代の流れからは完全に取り残されてしまったかもなあ…… という自虐と諦念感はあります。もはや時代の先端をいく流れを全てフォローしていく体力も気力も持ち合わせていません。

切り口をどこに求めるかで様相は異なるものの、十年単位では着実に世相は変化し続けています。その変化の中で、完全に廃れてしまった習慣や技術もあれば、時代が巡って「今、それが受けるの?」と感じる潮流もあります。私のように「人生後半戦」に身を置く人間は、肌感覚的に違和感のある潮流を無理して追わず、現在の場所・立ち位置で『絶対に消滅させてはいけないもの』を守り続けるのも一つの選択だと思っています。

新しい流れを無視するということではありません。重要なのは、何をフォローし、何を変えずに守り続けるべきなのか、という判断かな、と思います。人間の根源に関わるような優れた文化やコンテンツは、一旦忘れ去られても生き残り、ブーム再燃はありえます。完全に停止した時計は、一日に二回正しい時を指します。人生を完全に投げる訳ではなく、身を潜めながら力を蓄えて、無理せずワンチャンスにかけることにしたいと思っています。

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