規模感を正しく評価する
本日は、ずっと持ち続けている考えの掘り下げです。無意識の内に作り上げている規模感をもとに物事を理解しようとすると、時に勘違いや間違いの落とし穴にはまるような気がするという話です。過去にも似た記事を書いていますが、改めて整理したいと思います。
人口1.2億人の国、日本の常識
私は、人口が約1.2億人の日本で生きている日本国籍の53歳の男で、日本で教育を受けて、日本企業で働いてきた経歴ですから、あらゆることを、日本の規模感から導かれた価値観や常識で物事を認知しがちです。
例えば、2000年代からの日本のGDP成長率は、よくてせいぜいプラス2%程度で、マイナス成長の年も普通にありましたから、プラス成長なら御の字くらいの感覚があります。毎年6%以上の成長を続けてきた中国経済やコンスタントに+2-3%を記録するアメリカ経済に較べると、見劣りするように思ってしまうし、そのような報道もなされてきました。
しかしながら、中国の人口は日本の10倍以上もある(2020年で約14.1億人。この10年間で7,206万人増増加)ので、6%成長で国民の隅々まで恩恵に行き渡り、生活が豊かになっていっている実感があるかは疑問です。
日本で「地方の小都市」と言われてイメージするのは、人口が10~30万人くらいの市でしょうか。中国で「地方の小都市」ならば、人口は、100~300万人が相場でしょう。地方経済が衰退してしまって、恩恵が行き渡らないといった場合、影響を受ける人、インパクトの大きさが10倍以上違う訳です。
逆にイメージの良い北欧諸国は、人口が1千万人以下であり、規模が日本よりも遥かに小さいのが実情です。手厚い社会保障制度や教育制度が称賛される傾向がありますが、あの規模だからやれる施策だとも言える訳で、同じレベルのことを日本でやれるのかは甚だ疑問です。
日本で通用する常識で、他国を眺めるのは、起こっている事象の本質を見誤るもとです。判断する際の”物差し”(私はこの表現を好みます)を間違えないことが重要だと思っています。
ことばがイメージさせるものも違う
アメリカの人口は、3.3億人(2020年)で、日本の約3倍です。アメリカ=ニューヨーク、ワシントンDC、シリコンバレーをイメージすると大間違いで、大部分は田舎の街です。Townshipと呼ばれるエリアの住民の閉鎖性とよそ者へのガード意識は、日本の田舎の比ではないかもしれません。
”戦争”ということばから、多くの日本人が真っ先に連想するのは、先の太平洋戦争でしょう。日常で”日本の戦争”を題材に会話すると、そこに集う人の頭の中には、無意識に太平洋戦争がイメージされていると思うのです。敗戦で国土も自尊心も破壊された太平洋戦争が日本国民に及ぼした影響は、直接戦争を経験していない世代にとっても絶大です。
しかしながら、アメリカは太平洋戦争以降も世界中で多くの戦争を経験しています。人によって、”戦争”にも色々あったけど…… という反応で、朝鮮戦争だったり、ベトナム戦争だったり、湾岸戦争だったり、と様々です。昔、南部のある地域に出張で行った際には、「このあたりの人にとって、”戦争”から連想するのは、南北戦争のこと」と言われ、戸惑いました。
2001年に911事件が起こった時、アメリカの報道機関が日本軍の真珠湾攻撃を引き合いに出していました。私は、日本人として複雑な気分だったのですが、ある時にある南部の町のレストランに入り、トイレにいったら真珠湾攻撃の時の新聞記事が額に入って飾ってあるのを見ました。「これか……」と妙に実感したことがあります。
市場規模の違い
私が、約四年間アメリカの中西部で生活できたのは、非常に貴重な経験だったと今更ながら思います。思考する時の枠が、人口1.2億人、国土面積が37.8万㎢の国の規模感以外に、人口3.3億人、国土面積983.4万㎢というアメリカの規模感も、肌感覚で理解できるからです。
仮に両国の富裕層の比率が2%と想定すると、日本は240万人、アメリカは660万人となり、絶対数での比較だとかなり大きな差です。富裕層ビジネス市場のターゲットが、日本の3倍もいると見込めるなら、かけられるリソースや仕掛ける規模は違ってきます。
政治や軍事のトピックスは、国単位でも支障ないかもしれませんが、経済、ビジネス、社会、エンタメといった分野の海外の話を聞く時、1.2億人の国の価値観のバイアスに囚われていないか、注意が必要だと思います。
海外で、東京だけを切り取って、日本文化を一元的に理解して断定されたりすると、私たちは違和感を感じます。アメリカ国内は、東海岸、中西部、南部、西海岸で、経済規模も盛んな産業も、気質も、喋ることばの方言も大きく違います。ハワイやアラスカも含めれば更に多様です。
”アメリカ”という大きな主語で、断じたり、論じたり、するのは、時に乱暴過ぎる場合があるし、まして日本の規模感で物事を想像するのは間違いのもとだと感じます。
アメリカはエンタメ王国なのか?
たとえば、映画産業はどうでしょう。一般にハリウッド映画は日本映画よりカネのかかっていそうな作品が多いように感じます。それは、単純にアメリカ国内で映画を観る人の市場が日本よりデカいからと推測しています。
映画は、どんなに低予算で作っても限界があります。市場の違いで、リターンを得られる絶対額が日本よりも格段に大きく期待できるのであれば、より多額の費用をかけるチャンスは日本より多そうだと想像できます。
多くの人が、米国は映画王国と考えていると思います。しかしながら、米国のGDPに占める映画関連ビジネスの貢献度はかなりマイナーで、むしろ日本のGDPに占める映画ビジネス関連の比率の方が高いかもしれません。
映画はコンテンツビジネスであると共にマスビジネスだと思うので、日本映画は、世界市場を意識して作品作りをすることで、まだまだ発展の余地がありそうです。1.2億人のターゲットだとリターンにはキャップがあるので、十分な予算を確保できないでしょう。
ことばの問題はありますが、日本のトップアーティストは、アメリカよりも人口が多くて、市場規模がデカくなりそうな中国やインド市場を狙った方が、リターンが大きいかもしれません。