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心を穏やかにする時間

今の私は、割とゆったりとした日々を過ごしており、「心を穏やかにする時間」をとても大切に考えて生活しています。私は精神的に強い方ではないので、ピリピリした緊張感が張り詰めている空間で長時間過ごしていると、疲労感を覚え、心がささくれていくのがわかります。「心を穏やかにする時間」を確保するとはどういうことなのか、言語化していきます。

至福の時間は緊張感の中にある

「心を穏やかにする時間を大切にしたい」と考えている反面、心の底からの充足感を味わいたいのであれば、緊張感のある環境で藻掻き続けることが必要だ、という考えも支持しています。周囲から強いプレッシャーを受けながらも、それを跳ね返す精神的な強さを持ち合わせていない人は、最終的には大成しないだろうなあ、という実感はあります。

私がこれまでに取り組んだスポーツや仕事で、厳しい環境下でも夢中になって果敢に挑んだ時の記憶は、今でも鮮明に思い返すことができます。思うような結果は、出なかったことの方が圧倒的に多かったものの、自分なりに精一杯やり尽くしたと自信を持って言い切れる時は、不思議と不本意な結果でも受け入れられるものだと感じます。

忙中閑ありが理想

現在の私は、持久力がかなり弱っていて、以前は自信があった集中力も、衰えてきたことを実感します。行動に対する燃費が悪く、大量の休息や気分転換を必要とする体質になってしまいました。

ただ傾向としては、仕事やミッションで忙しくスケジュールが埋まっている状態の時の方が、精神状態は健全で、前向きです。馬力と執念は、外部から追いたてられている時の方が確実に発揮できます。いいアイデアも、期限を設定されて、切羽詰まった状況の時の方が生まれ易い傾向にあります。

『忙中閑あり』という状態が理想です。忙しい中でも工夫して細切れでも楽しむ時間を捻出するのは、案外いいものです。思考がシンプルに研ぎ澄まされるので、無駄なことを思い切って排除し、その時点で最も欲していることに集中して時間を投下しようと試みることができます。

そういう意味では、自分の精神状態の維持を最優先に考え、フリーハンドな時間を最大化することを意識してきたここ数年は、意外にも心穏やかな時間が増えませんでした。余裕があり過ぎることで、余計なことにも考えが及び、不安や焦りに駆られる機会が逆に増えてしまっていた気もします。

自然体の難しさ

心が穏やかな時間は、自然体が維持されています。この自然体を保つのは、かなり難しいというのが私の実感です。何かしらに囚われていて、邪念や雑念に支配されています。本当の意味での心の穏やかさを保つ為の試行錯誤は今後も続いていきそうです。

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