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金曜日の随筆: 25年前に思いを馳せる

また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。2020年のWK3です。

1995年1月17日早朝に発生した阪神淡路大震災から今日で25年になります。時間は刻々と流れ、記憶も徐々に薄れてはいきますが、「絶対に忘れてはいけない日」として刻んでおかねばならないと思っています。自分が生かされていることに改めて感謝の気持ちを呼び起こしています。

25年前の1月17日は三連休明けの火曜日でした。私は、前日まで大学時代に所属していたゼミの毎年恒例のスキー旅行に他のOB達と一緒に参加していて、前日深夜に埼玉県草加市の寮に戻ってきたばかりでした。

その朝は珍しく5時台に目覚めて、ベッドの上で微睡ながらテレビを観ていました。しばらくすると突然【阪神間で地震発生】のテロップが流れはじめました。最初は寝呆けていて何がなんだかわかりませんでしたが、「震度7」という報道に驚き、慌てて実家に電話を入れました。その時はまだすぐに繋がり、母親が電話に出て「物凄い大きな揺れでびっくりしたけど、皿が数枚割れただけで家も私たちも大丈夫だから」という話だったので、その時は安堵したのを覚えています。

その後、時間が経つにつれて、神戸を中心に尋常ではない被害が出ていることがわかりはじめてくると、ただごとではないことがわかり怖くなっていきました。火事で街が燃えていたり、阪神高速が倒壊していたり、目を疑うショッキングな映像が次々に飛び込んできて、衝撃を受けました。その日会社には行きましたが、会社の主力工場が震災被害の大きいエリアにあったので、情報が錯綜して全く仕事になりません。

それからの数か月間、震災対応の仕事に追われました。神戸にあった会社の中央コンピューターは何とか生き残っていたものの、営業部門のある本社や支社と工場間とのデータ伝送に支障が出ていたので、復旧するまで工場に駐在して業務をしていました。阪神間は電車が動いていませんので、岡山空港に飛び、山陽本線で兵庫県に入りました。鉄道網が復旧した数カ月後にようやく神戸・三ノ宮エリアに足を踏み入れましたが、あの時の光景は忘れられません。学生時代に暮らした生活圏も被害を受けていて、心が痛みました。

あれから25年が経過し、人々の懸命の努力で神戸の街は震災当時の被害を感じさせないくらい見事に甦り、表面上は震災を乗り越えたようにみえます。年々遠い日の思い出になりつつありますが、あの震災で亡くなられた方々の無念の気持ちの分も噛み締めて、感謝の気持ちで生きていくことを忘れないように今年もnoteに言葉を刻みます。


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