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1mmの掩壕

irukaの開発に10年かかったと話すと、フレームが大変だったのですねと言われることが多い。もちろんそれは間違いではないが、フレーム以外の細部の開発と改良も、フレームに劣らず容易ではなかった。その細かすぎてなかなか伝わらないディテールの開発の記録を、いくつかシリーズで書いてみようと思う。

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irukaの開発を始めるまで僕はよくわかっていなかったが、自転車のブレーキと変速の操作感は、ワイヤーの取り付け方、すなわちワイヤールーティングによって大きく変わる。

つまりフレームや車輪と同等に、もしかしたらそれ以上に、ワイヤールーティングは自転車の走行性能を左右するファクターであると言っても過言ではない。

ゆえにワイヤールーティングは簡単そうに見えて奥が深いわけだが、折りたたみ自転車の場合は特に難しい。それも格段に。「折りたたみに支障がなく、かつ展開したら元に戻ること」という条件が加わるからだ。例えば、折りたたみから展開したときにブレーキワイヤーがどこかに引っかかってテンションがかかったまま気づかずに走り出してしまったら、ブレーキが効かず重大な事故につながる可能性もある。

次の写真は、現在も量産を任せている台湾J社で2016年に作った試作5号車である。J社の技術と知見のおかげもあってフレーム製造には概ね目処が立ち、細部の検討に着手した頃だ。トップチューブ前端から後部ワイヤーを引き入れ、後端から外に出しているのがわかるだろうか。

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外観をすっきり保つためフレーム内部にワイヤーを通すのが近年の自転車デザインの主流である。irukaもフレームの美しさを強調するため、後部ワイヤーはトップチューブを貫通させていた。

が、このレイアウトは機能しなかった。折りたたみ状態(ウェイトモード)から走行状態(ランモード)に展開する際に、ワイヤーがトップチューブ後端の出口に引っかかって元に戻らないのだ。ドリルで出口の穴を広げるなどしてもうまくいかなかった。

厄介なことに、ワイヤーの動きと操作感はコンピュータ上ではシミュレーションができないため、実車で試すしかない。そこで試作6号車では、フレームにワイヤーの取り出し穴を複数設けた上で、フレームの一部を樹脂の3Dプリントで作り替えるなどして様々なパターンをテストした。

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そのかいあって、2017年の夏には「リアブレーキと変速機のワイヤーを左右のダウンチューブ下から取り出してボトムブラケット下を通す」という、現在も採用しているレイアウトが固まった。

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しかしまだ完成ではない。次は「しつけ」、すなわちワイヤーを固定するガイドをどこにいくつ設けるかを検討する。例えば試作7号車ではチェーンステー下にガイドを溶接していたが、リアブレーキワイヤーの根元に負荷がかかり過ぎることがわかり、試作8号車以降ではとりやめた。

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いくつかの組み合わせを試した結果、ボトムブラケット後方とチェーンステー支持部裏にガイドを設けるのがよいという結論に至り、ようやくすべての決着がついたかに思えた。

が、量産開始前のJ社での最後の打合せで問題が発覚した。ボトムブラケット付近でアウターケーブルに傷がついているのが見つかったのだ。折りたたんだ際にBBシェルとリアフォーク支持部の間にワイヤーが挟まれていたのだった。

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これでは折りたたみを繰り返すうちにアウターケーブルが潰れて、最悪の場合は破断しかねない。あとほんのコンマ数ミリの空間があれば回避できるのだが。

もう日はとっぷりと暮れていた。社長兼エンジニアのChenさんがふと席を立つと、どこからかハンドドリルを持って戻ってきた。何をするのか問うと、彼は「見てろMark」とだけ言っておもむろにボトムブラケットの裏にドリルで溝を穿ち始めた。

ワイヤーを逃がす掩壕を掘ったのだ。

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こうして急遽ボトムブラケット裏に深さ1mmほどの溝を設けるよう設計が変更され、量産が始まった。

僕が知る限り、irukaはブレーキも変速も効きが良いと高く評価されている。ワイヤーに関するトラブルは今のところ聞いたことがない。



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