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iruka、北京を行く

11月、商談のため北京に行くことになった。irukaの試作1号車から3号車までは上海近郊の太倉という街の工場で作っていたため、かつては頻繁に中国を訪れていたが、工場を台湾に変えてからは機会がなく、10年ぶりのメインランドチャイナ訪問となった。

わざわざ「10年ぶりの中国訪問」ではなく「10年ぶりのメインランドチャイナ訪問」と書いたのは理由がある。中国政府は台湾と香港も「ひとつの中国」という見解なので、その定義に従うと台湾と香港を訪れたことも「中国訪問」にカウントされて、10年ぶりにはならないのだ。いや、中国政府の見解を肯定しているわけではないのだが。

「国際線および香港・マカオ・台湾への出発口はこちら」つまり香港・マカオ・台湾は便宜的に外国扱いで運用しているけど本当は国内だよ、という中国政府の見解を端的に表している空港の案内表示。

さて、元々今回の北京行きは10月の予定だった。苦労してビザを取り、10月15日にirukaを連れてスカイライナーで成田空港に向かい、

さあ出発と意気込んでいたところ、

機体トラブルによって中国国際航空がまさかの二日連続の欠航になり断念、

改めて商談相手と日程を調整し、11月で手配し直したのだった。

航空会社を中国国際航空から中国南方航空に変更したため出発も羽田空港に変わった。目白の自宅から新宿までirukaで自走、バスタ新宿からリムジンバスを使う。

リムジンバスの出発を待つiruka。と、バッグ。

空港のチェックインカウンターでirukaを預ける。折りたたんだ右側には走行上の重要部品(チェーンリング、テンショナー、ブレーキレバーなど)が集中しているため、左側(折りたたんだ前輪側)が下になるよう天地無用シールを貼ってもらう。チェーンは脱落して紛失すると致命的なのであらかじめ外した。

飛行機は定刻どおり出発し、定刻どおり北京大興空港に到着した。irukaは折りたたみのバラけ具合を見るにそれなりに手荒く扱われたようではあったが、なんとか無事。

タクシーで市内に移動し、ホテルにチェックインする。夕食の時間も近かったので、食事がてら早速irukaで周辺を走る。

この日の北京は最高気温7℃。寒い。

王府井にて。

夕食はホテル近くの麺の店に。飲食店の多くはテーブルにメニューがなく、かわりにQRコードが貼ってある。スマートフォンの決済アプリ(WeChat PayかAlipay)でスキャンするとメニューが表示され、注文から支払まで完結する。人手不足が深刻な日本でも必須な仕組みであろう。

QR決済を核にした中国のキャッシュレス化は想像よりはるかに進んでいて、結局僕は滞在中に現金はおろかクレジットカードも一度も使わなかった。

翌日、商談に向かう前に朝の北京の街をサイクリング。一方通行かつ四輪車進入禁止の二輪車レーンが張り巡らされていて走りやすい(ただ、翌日中心部を離れると警官や監視カメラが少ないのか逆走バイクが多かった。監視社会の弊害である)。

天安門前にはひときわ立派な二輪車レーンが。毛沢東の巨大肖像画を背景にirukaの写真を撮りたかったのだが、天安門前は停車禁止のようで止まろうとすると警官が飛んでくるため撮れず。

シェアサイクルの隆盛ぶりには驚いた。MobikeとOfoの中国二大スタートアップが破綻してから日本では中国のシェアサイクルに関する情報が激減して、てっきり下火になっているかと思っていたが、欠かせない市民の足として定着していた。聞けば一日の利用者数が地下鉄利用者の4分の1にまで達していると。

シェアサイクルも決済アプリ上で車体のアクティベートから支払まで完結する。

irukaで自走して商談先に向かい、中国におけるディストリビューションについて協議する。軽く双方の現状認識を話した後、マーケットの相場感をつかむためブロンプトンジャンクションに行くことに。自転車で20分ほどの道行きである。カメラマンも同行し、道中でirukaの宣材写真を撮影する。まだ契約に合意したわけではないのだが、この手の気の早さは嫌いではない。

北京のブロンプトンジャンクションはアップルストアとテスラと同じビルに入っている(右のウインドウに向かいのテスラのロゴが映り込んでいる)。家賃も高いだろうに、ブロンプトンの中国市場への注力ぶりと、日本以外のアジア諸国ではMintやLeggero等のブロンプトンクローンが台頭してきているのに対してハイブランド化することで対抗する戦略が垣間見える。

店頭では6速C-LINEが15,600RMBであった。1RMB=21円として約33万円。日本に比べると円換算では2割以上高い計算になる。もっとも円安が急激に進んでいるのであまり意味のある比較ではないが。

翌日は打ち合わせ前に798地区と呼ばれるアートエリアにある別のショップも見てみることになった。自走で行くにはやや遠いので、irukaを連れて地下鉄で向かう。

中国の電車は、折りたたみ自転車を持ち込むのに輪行カバーに収納する必要はない。というより、私が知る限り日本以外に必要な国はない。

車中の様子。これくらいの混み具合なら横に寝かせた状態でも問題ないが、電車の揺れで転がりやすかったので縦に立てる。

最寄りの駅から僕はirukaで、商談相手チームはシェアサイクルで798地区へ向かう。中国がまだ共産主義国だった1950年代に東ドイツなどの協力の下で作られた国営工場の跡地を商業施設に転用したエリアである。

当時の建物をそのまま残してギャラリーやカフェなどに用いている。

地区内のカフェで話して、二日に渡る商談は終了。詳しくは書けないが、irukaが中国の街を走る日はそう遠くないだろう、とだけ言っておく。

最終日、昼前に宿を出て空港へ。入国時は気づかなかったが、イミグレーションに一帯一路参加国専用レーンがあった。

帰国。行きと同じく羽田〜新宿間をリムジンバスで、新宿〜自宅間を自走して帰宅した。

羽田空港にて。

再見、中国。また来るから早くビザ免除に戻してください。



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