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低級霊とは何か 〜 学びつづけることが開運の鍵 〜 霊的問題の根底にある「同調の原理」と「因果の法則」

現在では非公開となっている過去に執筆したコラムを再掲致します。

これまで他の媒体でお届けしてきたコラムの中で、何度か「低級霊」の働きについて言及してまいりました。

そもそも「低級霊」とは一体どんな存在なのか詳しく知りたい、という声を頂いておりましたので、今回は「低級霊」について詳しくご説明したいと思います。


低級霊とは何か

「低級霊」は死後も生前に固執していた感情から脱することが出来ずにいる霊であり、また自らの死に気付かず、死を認めず、死を受け入れられない霊でもあります。

本来、生前に自らが積み重ねた智慧や知識、死生観、利他的意識などを基礎として死後、生前に持っていた欲望は減滅しますが、物欲や肉欲に溺れ続けたり、利己的価値観によって生きて来た者は霊的な成長が遂げられずに、物質的、肉体的本能に依存した意識が厳然と残ったままとなり、死後もこの世への執着を強く抱きます。

そのような意識を持った霊は、死んでからも自分が生きていると錯覚したまま、または死に気付かぬまま、死した事実を認めないまま、生前に持っていた欲求をこの世に留まり満たそうとします。

時には、このような霊が何体も集合することで霊の集団を形成し1個性として行動することがあります。

また、動物霊や低い階層にいる眷属神などを使って、自身の欲求を叶えるべく、人に災いをもたらしたり、弄んだり、コントロールしたりします。

「低級霊」の「低級」とは何を指しているのでしょうか。それは「霊的な成長度合い」です。

他者を許したり、信じたり、愛したり、人のためにと奉仕をする利他的な精神を持ち、霊界の仕組みや、道理について、どれだけ学んでいるか、学ぼうとしているか、既に理解しているのかという度合いです。「低級霊」達はこの度合いが極めて低いのです。

「低級霊」達も、元は私たちのように悩み、苦しみ、痛みを負った1人のか弱い人間でした。しかし、そうした心の澱に絡め取られてしまい、自身の価値観を曲げずに、逃避をし続けたり、何かを拒んだり、決めつけたりすることで、学ぶべきことを学ばないまま死を迎えてしまったのです。

また不慮の死、突然の死で、自分の死を理解出来ずに、現世に留まり続ける「地縛霊」も「低級霊」の範疇になります。

霊界は「同調の原理」が強く働きます。自分の「霊的成長の度合い」「波長」に沿った霊が、その時々の状況に大きな影響を及ぼします。

こうした「低級霊」達は、人の不安や無知に付け込みます(不安や無知が大好物なのです)。

例えば 「生霊は本当に存在するのか? 「幽体離脱」と「テレパシー」の起点に隠された生霊の真実」で触れていますが、霊的真理に基づいて考えれば「生霊」は存在し得ません。

なのに何故「生霊」というワードや概念がこれほどまでに社会に跋扈(ばっこ)し続けるのかというと、そうしたものが社会に根付いていることの方が都合が良い類の人達が一定数存在するからであり、またそうした人達が「生霊」というものに対して誤った知識をもち、漠然とした恐怖心や不安を持っている人達と同じ精神レベルで引き寄せあっている背景があるためです(これこそが「同調の原理」です)。

「低級霊」達も、生前に生きることに大きな不安を抱えていたはずですが、その不安を解消するために新たな学びを得ることには時間を割かず、自暴自棄になってみたり、現実逃避をしてみたり、他者や自分の心を傷付けてしまうことの方に労力を割いてしまった流れがあります。

そうなると当然、死後も自分と同じ思考の者の側にいた方が居心地も良く、自分の心のように、その者の心の動きや流れも把握出来るので、コントロールがしやすいのです。

生きている間に十分に自分の心を癒したり、軌道修正出来なかったために「霊的成長」が遂げられなかった「低級霊」達は、死後も生前と同じ思考か、若しくはそれ以上に強い先鋭化された想念の元で、自らの欲求を満たしたり、苛立ちや恨みつらみをぶつけるために、巧妙な手段を取るのです。

以前、お届けしたコラム「愛する人を亡くしたあなたへ」で、生きている間に死について考えることや、死生観を構築しておくことの大切さを書いていますが、これは「霊的な成長度合い」を生前に高めておくことに繋がることなのです。

私たちは死後どうなるのか

人は亡くなってから 「幽界」と呼ばれる場所に行きます。

今際の際(いまわのきわ)は、死を看取っているご家族からすれば苦悶の表情を浮かべているように見えることもあり、非常に辛い気持ちになるものですが、本人は眠っているような心地良い気分です。

この安らかな眠りのような状態から目覚め始めると、そこには自分の体が家族に囲まれて横たわっています。そこで自分の死を認識するのです。自分の死を受け入れ、認めることが出来て、ようやく本当の「目覚め」「覚醒」の時です。

死を受け入れると、先に逝った家族や親族、所縁のある人々からの歓迎を受けます。彼ら、彼女たちに連れられて、休息を取る場所へと赴くのです。

この時点では、まだありありと生前の記憶と波動を持ち合わせていますから、幽界にすんなりと馴染むことが難しいので、ワンクッション置く必要があります。

こんな例えは如何でしょうか。

サウナに入るとします。衣服を脱ぎ捨てて、いきなりサウナに飛び込むと、温度の急変で心臓などに負担がかかってしまいます。一旦、掛け湯をしたり、湯船などに浸かってから、少しずつ温度変化に慣れて、それからサウナに入れば身体への負担は少ないでしょう。

それと、同じで一旦、休息所に立ち寄ることで、突然の環境の変化に精神と身体(物質的な身体はありませんが...)を慣れさせるのです。

人は、この世に生まれた時から「霊的意識」が既に備わっています。しかし、人生に於ける悲喜交々の出来事によって、そうした意識を後退させていきます。その後退させた「霊的意識」を、補うために学びが必要になって来るのです。

幽界へと移行した後、霊的意識は徐々に目覚めますが、生前に死について深く考えた者、霊について正しい知識や認識を持っていた者は、休息期間が非常に短くて済みます。

一般の大多数の方は、霊的知識も皆無であり、死について深く思考することも少ないでしょうから、当然休息期間は長くなります。霊の世界へ移行するための適応期間、準備期間を長時間要するのです。こうした方々は、自分の死を認められたとしても、何かと混乱し、戸惑っています。

本来はこの世で生きている間に身につけておかなければならない知識や思考を、幽界で最初から身につけなければならず、迎えに来た家族や親族たちは、その教育で大変な労力を強いられることになるのです。

こうしたことからも、生きている間に「霊的意識」を芽生えさせること、死について深く思索したり、霊についての正しい知識を得ようとする行為は、非常に大事なことが分かります。

新興宗教団体や、スピリチュアルへの強い傾倒によって、誤った霊的知識を刷り込まれている人は、なかなか幽界の下層部分から抜け出せないということが多いようです。これでは本末転倒です。

一方、「低級霊」は、自分が死んだことさえも認めませんから、幽界へのスムーズな移行が出来ずに、肉体を持たないまま、この世に留まってしまうのです。

低級霊の私たちへの働きかけ

「低級霊」の私たち人間への働きかけにはいくつかのパターンがあります。

①悪ふざけが目的の低級霊

私たち人間の感情を弄び、からかってほくそ笑むことそのものが目的の霊たちです。「低級霊」たちも一定の心霊現象を起こしたり、自分の姿を変化させて憑依している者に見せ付けたりすることができます。

自身を高尚な霊であると偽って、適当な名前を名乗ってみたり、肉親の姿を装って見せ付けたりもします。

こうしたケースの場合、人間の要望に容易に応えて不思議な現象を見せたり、コミュニケーションを取ることが出来たりもしますから、憑依された側は自分自身に霊能力が開眼したのだと歓喜し、強力な神仏や霊の加護を受けていると信じ込みます。

またその恩恵を自分自身が永久に受けることが出来るのだと勘違いし、身の丈に合わない要求をしたり、願いが叶うような錯覚を持ち始めます。

しかし、「低級霊」側はその人間の滑稽さを見て喜ぶだけですので、こうした不自然なコンタクトは長続きはせず、最後に人間の期待を脆くも崩壊させ、大きな精神的ダメージを負わせます。

②詐欺的な低級霊

①のケースが進行したものです。

人間を弄ぶだけではなく、自分自身が生前に満たされなかった欲求を、憑依した者を通して果たそうとするタイプです。

自分を崇高な存在に見せ掛けるために神仏の名を名乗ったり、天使や精霊であると騙ったりします。

霊的な真理とはかけ離れた事柄や、宗教的錯誤が甚だしいことでも平気で主張します。また9割の嘘の中に1割の真実を交えることで、巧妙に人間を信じ込ませ、操作し、最後には大きな罠に落とすような狡猾さも見せます。

神仏と対話が出来るという霊能者やスピリチュアリストの中には、このタイプの「低級霊」の憑依を受けている方もおられます。

こうした霊能者は背後にいる「低級霊」の力を借りて、霊視能力や予知能力を発現させることも可能です。こうしたケースも勿論例外なく「同調の原理」が働いています。

欲深い「低級霊」の憑依によって、憑依された者は一定レベルの成功を収めることが可能です。しかし、霊能者やスピリチュアリストは本来、経済的に大きな成功や巨万の富を築くことは霊的真理から許されてはいません。

③復讐が目的の低級霊

文字通り、この世に恨み辛みを残して亡くなった霊が、人間に復讐のために憑依するケースです。

その対象は特定の人物や、家系である場合もありますが、不特定多数や通りがかりの者への憑依もあります。生前に怒りや嫉妬、妬みという感情を手放せなかった霊達が、人間に対して自分と同様の苦痛を与えようとします。

三つのタイプを挙げましたが、人間にも様々な性格の人、事情を抱えた人がいるように、霊のタイプも多様です。勿論、全く無害な霊も、良い霊もたくさんいます。

ただし、わざわざ私たち人間に語りかけ、積極的にアプローチをしてくる霊のほとんどはこのような「低級霊」であるといって良いでしょう。

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