悪疫退散の吉鳥「白鷺」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四十五回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「白鷺(シラサギ)」
白鷺の生態
今回の神使は「白鷺(しらさぎ)」。
白鷺という名前は、ほぼ全身が白い鷺の総称です。
体長90cm前後の「ダイサギ」、70cm前後の「チュウサギ」、60cm前後の「コサギ」などの種類に分けられます。
繁殖期になると黒色に、非繁殖期には黄色になるくちばしと、長い頸と脚が特徴です。
大きく高い木の上に集団営巣をする習性があるので、住宅地などではその糞や鳴き声によって度々、悪臭・騒音問題を起こします。
川辺などで、微動だにせず一点を見つめて佇んでいる姿は、静かなる哲学者といった雰囲気を醸し出しています。
異国の襲来から敦賀を護った白鷺
福井県敦賀市に鎮座する「氣比神宮」は、大宝2年(702年)創建の北陸道総鎮守。
空襲の被害を免れた木造朱塗の大鳥居(両部鳥居)は、奈良の春日大社、広島の厳島神社の大鳥居とともに「日本三大鳥居」に数えられています。
時は聖武天皇の御代、天平24年(748年)。敦賀に異国の船団が襲来したとの情報が駆け巡りました。そのとき、突然一夜にして敦賀の浜辺に数千の松原が出現し、その梢に白鷺の群れが止まったのです。
この様子を沖で見ていた異国の船団は、群れ集う白鷺が大軍の軍旗に見えて驚き、踵を返して退散したのでした。
白鷺が舞い降りたこの地は、気比の松原といわれる氣比神宮の領地であり、人々はこれを氣比神宮の神様による御加護と考え、白鷺を神使として崇めるようになったのでした。
鷺舞
浅草寺で4月の第2日曜日、5月の三社祭、11月3日に行われている「白鷺の舞」は、昭和43年(1968年)に明治100年(東京100年)を記念して行われるようになった年中行事です。
白鷺に扮した踊子を中心に、「白鷺の唄」を演奏しながら舞い、練り歩く、賑やかな「悪疫退散」のお祭りです。
これは慶安5年(1652年)の『浅草寺慶安縁起絵巻』に描かれていた鷺舞を復興したもので、起源は京都・八坂神社の祇園祭にあるといわれています。
七夕伝説が元となっているため、鷺ではなく「鵲(カササギ)」が本来モチーフとなるべきですが、京都には鵲が分布していなかったため当時の人が鵲の存在を知らず、鷺の一種であろうと仮定をしたことから始まりました。
島根県津和野町の「弥栄(やさか)神社」で毎年7月20日、27日に例祭として行われる鷺舞が有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
その他、秋田県潟上市、山口県山口市などでも鷺舞の奉納行事が行われています。
気比の松原伝説に描かれた「異国の船団」を、現代では新型コロナウイルスなどの感染症に置き換えることも可能でしょう。
白鷺は、外部から押し寄せてくる未知なる困難から国を護ってくれる吉鳥なのです。
白鷺に所縁ある神社仏閣
参考文献
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