見出し画像

小川の少女 〜 心に灯火をくれた、不思議な少女との出会い 〜 或るひと夏の記憶

#私の不思議体験

コロナ禍の中、自粛を強いられる毎日。

そんな鬱屈とした日々に、少しでも驚きや、想像力をかきたてるお話をと、私が体験した不思議だけれど、どこか心温まるお話をお届けしています。

今回は、私の脳裏に焼き付いて離れない、ある女の子のお話です。


田舎暮らし

前回の「過去から届いた手紙 〜家族の愛は時間をも超えて〜」で、幼少の頃から母が入退院を繰り返していたことを書きました。

そんな事情もあり、男親の父だけでは幼い私の子育てが十分ではないということで、3歳になる頃しばらくの間、熊本県の南端にある周囲を九州山地に囲まれた片田舎に住む、親戚の家に預けられていました。

村を貫くように通っている県道は、昼なお暗い山道。100メートルくらいの間隔で民家や、牛舎などがポツン、ポツンと点在する、まるでトトロの森のような風情です。

私が預けられていた親戚の家は、田舎にある典型的な古民家。薪で焚く五右衛門風呂や土間や蔵、長い縁側などがあり、トイレは母屋から30mほど離れた小川の脇に建っていました。

洗濯や、簡単な洗い物などは、この小川を使っていたような記憶があります。もう、今では映画の中でしか観ないような光景ですね。

怖いのは夜です。周囲にほとんど民家がないので、明かりという明かりが全くなく、漆黒の闇。闇の中から響いて来るのは虫の声や、木々の枝葉が擦れ合う音だけです。

困ったのはトイレです。まだ幼いので、夜中にトイレに一人で行くのが怖いのです。寝ている家人を起こすのも子どもながらに気が引けます。恐る恐る月明かりを頼りに、半べそをかきながら用を足しに行ったのを覚えています。これだから、夜が来るのがたまらなく嫌で仕方なかったのです。

小川からやって来る少女

しかし唯一、楽しみにしていることがありました。

夏の夜は涼しいので、縁側で過ごすことが多くなります。この縁側にいると、きまって小川のあたりから小袖を着た女の子が姿を現し、母屋の縁側にいる私の元へ笑顔で駆け寄ってくるのです。年の頃なら7、8歳といったところでしょうか。

親戚の家は、老夫婦とその息子(既に成人)しか住んでおらず、周囲でも子供の姿を見たことは一度もありませんでしたので、私は同じ年頃の子供と会えることを単純に喜んでいました。昼間は会ったことがないけれど、きっとこの近所に住んでいる女の子だろうと思っていました。

不思議なのはこの女の子、全く話をしないんです。ただ、縁側に座っている私に笑みを投げかけているだけ。それもとても楽しそうに笑っています。

あまりに楽しそうに笑うので、こちらもついつられて笑ってしまいます。一緒に遊びたくて縁側から飛び降りようとしましたが、その度に家人に「夜中に外に出てはダメ!」と叱られます。

家人は、どうやらこの小袖姿の女の子が見えていない様子なのです。

今思えば、どこか古めかしい身なり。着物でも、浴衣でもない丈の短い小袖姿。3歳だった私は、この少女の身なりに違和感は感じていませんでした。

それにしても、縁側から外を眺めて笑っていたり、「おねえちゃん!」と呼びかける私の姿を見て、家人はさぞ困惑していたことでしょう。

女の子を訪ねて

実は、あまりにその女の子が毎夜私の元を訪れるので、昼間の明るい時間帯にどうしても会いたいと思い、その子を探し回ったことがありました。

夜だから家人に叱られる、昼間だったら、あのお姉ちゃんも遊んでくれるに違いない!そう思ったのです。

女の子はいつも小川から姿を現わすので、きっと小川の向こうにある農家に住んでいる子か、その周辺の民家に住んでいる子だろうと、子供ながらに目星を付けていたのです。

昼間にこっそりと家を抜け出し、小川に架かる小さな橋を渡って、農家を訪ねました。出て来た農家のおばさんに、こんな言葉を言ったのを覚えています。

「女の子のお友達はいませんか?」

すると、このような返事が。

「えっ、お友達?ごめんね、うちには小さい子供はいないんだよ」

それでも諦められない私は、そこからさらに離れた民家を訪ねてさらに...

「女の子のお友達はいませんか?」

「あら坊や、どこから来たの?この辺に坊やくらいの年の子供はいないね〜」

その言葉を聞いて、私は泣きながら帰路につきました。

帰ると家人が、心配して私のことを探していたようで、大変叱られました。

「何をしてたんだい、1人で出かけたら危ないよ!」

「お友達を探してたの...」

それを聞いて2人は、絶句したように黙ってしまいました。

私はそれ以来、あの小袖姿の女の子を探すことをやめました。

しかしそれでも尚、女の子は夜になると私の元を訪れることをやめませんでした。

あの子はだあれ?

ひと夏、そんなことが続きました。

夏を過ぎてしばらくすると、父が私を引き取りに来ました。父の仕事が落ち着き、母も退院したのでしょう、家族で暮らせるようになりました。小学校に上がってからも、何度かこの懐かしい親戚の老夫婦の元を訪ねることがありました。

親戚が集まるときまって、私が「お友達はいませんか?」と尋ね歩いたあの時のことが話題にのぼり、あの私の行動は「友達が欲しいばかりに取った、いじらしく可愛気のある子供らしい行動」...だと思われているようでした。

友達欲しさに闇雲に探し歩いていたのではなく、毎夜私に会いに来ていた「小袖を着て笑みを投げかける、あの少女」を探していたということを、誰も知りません。

かなり後になって分かったのですが、私が預けられていた親戚の家の前にある小川は、普段は流れの緩やかな水量の多くない綺麗な川なのですが、大雨になると激流になり氾濫することもあったそうです。大昔には、何人もの子供が溺れて亡くなっているというのです。

また、この周囲には座敷童が住んでいるという旧家がいくつかあるという話もあり、目撃した人も多いと聞きます。

実は、この親戚の家に預けられていた時、私は大変疎まれる存在でした。老夫婦は子供嫌いで、きつく当たられることがよくあったのです。

私が夜にいつも縁側にいたのは、心の中で助けを求めていたからです。

「早く、おうちに帰りたいよ!」

「お父さん、早く迎えに来て!」

「お友達が欲しいよ!」

いつもそんなことを思って、縁側でグズって泣いていました。

あの小袖姿の女の子は、そんな私を慰めに来てくれていたのでしょうか。

私と一緒に遊びたかったのでしょうか、それとも私を小川へ導こうとしていたのでしょうか。

あの女の子のことを思い出す度に、心に温かさと物悲しさの両方が湧き上がって来ます。

あの子が、かつて川で不慮の事故に遭って命を落とした子であってもいい、座敷童でもいい、両親と離れて心細く毎日を送る3歳の私の心に、灯火をくれた彼女に今でも感謝しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?