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うつ病になって人生が好転し始めた

”時が経ったのでこの話をしようと思う。”

2020年・秋
その日、目が覚めた時の景色を鮮明に覚えてる。
いつもの自分の部屋、いつもと同じベッドの上で世界は何も変わらないはずなのに
なぜか頭の中が真っ白なのだ。

あれ・・・私は一体今日という日をどう過ごせば?
何をすればいいのか全く分からない。

24歳で通信大学に入学し、仕事をしながら4年で大学を卒業できる確率はたった4%だと言われていた。確かに一緒に入学した人たちを4年目の授業で見かけることはなかった。
その日は大学の最後の課題を提出した後、最初の休日だった。

入学から卒業までの日課は、起床後すぐにPCを開いて、自分で作成した課題提出のスケジュールを確認し、その課題に取り組む。
課題が合格すればその部分を赤く塗りつぶすNumbersを入学当時に作り、だんだん赤に染まっていく表を見るのが楽しみであり目標だった。
そしてその表がついに綺麗に真っ赤になった。

当時の私の一人暮らしの部屋は、一人暮らしにしては広めの46㎡の1DK。
広いリビングには勉強机と大きめの本棚、ソファ、コーヒーテーブルに間接照明が一つ。
隣の部屋にはセミダブルベッドを贅沢に真ん中に。そこにも間接照明を。
明るい部屋では勉強に集中できないから、天井照明はキッチンに一つしか付けていなかったし、テレビに勉強の邪魔をされたくなかったのでもちろん置いてない。

ただただ、大学の勉強に集中できる環境を追求した。

友達が来ると、暗すぎるだのミニマリストか?と散々文句を言われたけど、当時の私は何の違和感もなくその部屋の集中のしやすさに満足していたし、ただ自分の家が好きだった。

でも、頭が真っ白の状態で目覚めたその日、自分の部屋にとてつもない違和感を覚えたことを鮮明に覚えてる。
何もない・・・この部屋には娯楽というものが存在せず、何も楽しみがない空間。
シーンとした部屋にただぼーっと突っ立ち、とりあえずソファに座ってみるけど、何も思いつかない。
Youtubeも全く観ていなかったので何を再生すればいいのか分からなかったし、携帯を触っても特にやることもない。
この世の人間は休みの日に一体何をしてるんだ?
大学の課題がない1日の過ごし方がまるで分からない。
そしてなんのために生きてるのかも。

そこから3ヶ月、人に会えば同じことを聞いていたかも知れない。

・休みの日何してるの?
・何のために生きてるの?(重すぎる質問)

でも当時の私は本気で思ってた。
目の前に取り組むものが何もない今、何のために生きてるのか分からないと。

何か新しいことに取り組む気力もない。
むしろ大学を卒業したくなかった。
もっと勉強したかった。
そればかり考える日々。


体は正直だ

次第に、身体に変化が出てくるようになった。

・朝、目がなかなか覚めない。
・頭がぼーっとする。
・身体がだるくて仕方ない

そしてその状態は日に日に酷くなっていき

・足が鉛のように重く思うように動かない。
・早歩きもできないし、真っ直ぐ歩けない。
・涙が勝手に出てきて止まらない
・いつも通り声を出しているつもりなのに大きい声が出ない。

そして精神的にも。

・生きている意味が分からない
・自分の人生に価値を見出せない
・今までやってきたことが全部無駄だったように思える
・他人と比較し、他人の人生が羨ましく思える

こうして、次第に私は人生で初めてこんな感情を抱く。

「このまま私が居なくなったらどうなるんだろう?このまま線路に飛び込んだら?いやでもその前に家の荷物の整理だけした方がいいかな・・・」
地下鉄の電車を待っている時だった。妙に冷静にこんな事を考えていたのを覚えてる。

そして人生で初めて仕事を無断欠勤した。
目は開くけど、脳と身体が全く起きない感じで、仕事行かなきゃ・・・でも、体が言うことを聞かない。上司から連絡が来てるのもわかってるけど、携帯に手が伸びない。
次の日、どうにか体を動かし遅刻しながらも出勤したけど、声が出ない。
仕事中なのに涙が止まらなくて、いよいよ”なんだこれ、やばいかも”と感じた。

その日上司に呼び出され、「今日は帰ろうか!仕事は大丈夫だから、スタバとか寄ってさ、コーヒー飲んでゆっくりして買い物でもして帰りな!」と。
今考えても本当に素晴らしい会社だなと心の底から思う。

そして私はそのまま言葉通りスタバへ行って席に座ってみる。
今の私の状態は、異常だ。

《心療内科 近く 当日》

早退した後、スタバで泣きながらコーヒーを飲み、こう検索した記憶がある。

このままでは私、死んでしまうかもしれない。
そう思ったから必死で検索した。

勇気がいる検索ワードだったけど、藁にもすがる思いで検索したがどこに電話をかけても予約制で、当日診療は不可。
しかし一件だけ待てば診察してもらえる心療内科を見つけたので、早退したその足で心療内科に向かった。

心療内科では今の症状や思いを話して、どんな診療が始まるんだろうと不安に思いながらも医師の言葉を待つ。そして、次に言われた言葉が

「あー自律神経が乱れてるのかな。で、どんな薬が欲しいの?」だった。

思わず固まってしまい、「いや・・・こういう病院?は初めてなのでどういった薬が自分に必要なのかわかりません。なのでここに来てみたんですけど・・・どうしたらいいですか?」

「ああ、じゃあ一時的に気分がマシになる薬を出しましょうか。しんどくなったらそれ飲んで。即効性あるから。」

今考えても恐ろしい会話だ。

結局その薬を持って帰ったが一度も飲まなかった。
即効性?そんな薬怖すぎる。
そもそも薬がないと自分の感情コントロールもできないような人間になってしまったの?嫌だ。

それから数日、仕事を休んでしまったり遅刻を繰り返し、涙が止まらない日々。
そしてついに上司から出勤にストップがかかる。
「一度お休みしませんか?産業医を紹介できるのでお話してみてください」と。

泣きながら産業医や担当部署の方とお話し、全部を話した時にこう言われた。

「今のその症状は病気です。風邪みたいなものでしっかり治療すれば治るから、ちゃんと向き合っていきましょう。そしたら本当のあなたが戻ってくるよ。大丈夫。仕事のことは一旦全て忘れていいからね。」と。

病気。と断言された時、少し安心感を覚えた。
やっぱりこの状態は普通じゃないよね?と。

そして、たまたま次の日は総合病院での持病の通院日だったのでいつもの先生に診察してもらった時、「どうしたの?元気ないじゃん」と言われた瞬間また泣いてしまった私。
少し今の状況を話してみると、「神経精神科に良い先生いるから、もし必要なら紹介しようか?」と言ってもらいそのまま最短で予約を取ってもらうことに。

神経精神科の初診療


まずソーシャルワーカーとの面談。
多分40分くらい喋ったと思う。今までどんな人生を送ってきたのかとかどんな性格なのかとか、家族構成で家族はどんなことしてるのかとか。
泣きながらでも笑顔でゆっくり話を聞いてくれる素敵な人だった。

そして専門医の診療へ。
この診療もかなり長く、診断結果は【うつ病】だった。

しかし、診断が出ると逆に安心感が湧いてきた。
産業医が言ってた病気ってこの事か・・・と思ったし、やっぱり普通の状態ではなかったんだな、と。

医師は丁寧にうつ病とは何なのか、どういった点からそう診断したのかを説明してくれ、必ず治るから安心してね。と丁寧に診療してくれました。

そして薬の処方説明に。
正直薬を飲むのが本当に怖くて、自分が自分じゃ無くなってしまうんじゃないかという不安と、薬に頼りたくない思いを話してみた。
医師はこういう薬を処方しようと思ってる。どういった効果があるのか、メリットともちろんデメリットも紙に書きながら説明してくれ、当時頭がぼーっとしていた私にとって視覚的に説明してもらえるのは本当にありがたかった。

そして投薬期間は最低3ヶ月〜半年という説明を受け、長い戦いになるのだと覚悟を決め、私は薬を飲むことを承諾した。

4ヶ月の休職と9ヶ月の闘病

正直1ヶ月くらいで職場復帰できると思ってたけど、そう甘くはなかった。

休職入りした私はとにかく寝た。
毎日毎日眠り姫のようにただ寝続けた。薬が効きすぎているのか、頭はずっと睡眠状態のような感じてパッとしない。

少しずつ日中も起きれるようになった時、部屋をもっと明るくしたら?と母からアドバイスをもらった。

確かに、私の家は大学の課題に集中するために間接照明しかなくテレビもないし、薄暗くお世辞でも居心地の良い部屋とは言えなかった。

母から観葉植物が送られてきて、新しいテレビも一緒に見にいってプレゼントしてもらい、IKEAに行って部屋に飾る雑貨を買い、3つ分の天井照明も手に入れた。
自分でも観葉植物を増やし、毎日観察したり、お菓子作りをしてみたり、徐々に起きてる時間が長くなり、時間の過ごし方がわかってきたりと変化が出てきた。

結局4ヶ月も休職したけど、休職明けには投薬が半分くらいになってたと思う。

そして通院し始めてから9ヶ月経った時、ようやく投薬が終了した。
もちろん突然の終了ではなくて、徐々に減薬しての断薬だ。
そのころの私はすっかり元の自分に戻っていた。本当に嬉しかった。

今は自分が本当にうつ病だったのか信じられないくらい。

でも冷静に死を考えたあの時の自分のことは忘れられない。
精神的な理由で命を落としていく人は案外落ち着いてるんじゃないか?と私は思う。さっきまで普通だったのに突然亡くなったというニュースを見ると、その人の気持ちが手に取るようにわかる。

うつ病はただ精神的に弱ってると思われがちだけど、実際には脳の伝達物質の異変で正常な判断ができなくなっているし、身体にもさまざまな症状が出る歴とした病気である。
でも病気であるからこそ治る。
私はうつ病を克服できたからこそ治ると断言することができる。

もちろん人によって症状は違うし、程度も違うけど、どれだけ自分が病気であると認めるかが大事なんじゃないかな。

私は闘病中さまざまなうつ病に関する書籍を読んだ。
うつ病の諸説ある原因というものを片っ端から調べた。どんな薬が存在してそれぞれにどんな効果があって自分が飲んでいる薬はどれに当たるのか。
知らない用語ばかりでなかなかすぐには理解できなかったけど、理解を深めていくことはできた。

なぜうつ病になったかの原因がはっきりわかっていたこと
幸い、相性の良い医師に出会えたこと
自分に合う薬に早く出会えたこと
投薬スケジュールを一度も破らなかったこと
治したい、自分を取り戻したいと本気で思い、自分を信じることができたこと

これがうつ病を完治させることができた要因じゃないかと今は思う。

性格上、私はうつ病にかかりやすいタイプかもしれない。
でも真面目だからこそ向き合うことができて、治しやすいタイプでもあったのかも。

うつ病になったら人生好転した

これをタイトルにしたのは理由がある。

私はうつ病で本気で死が隣にいると感じた。
すぐ隣で肩を組んでいるように私に張り付いている。
少しでも気が緩めば命がなくなってしまうような、たった数歩歩けば命を落とす場所に平気で行けるような、そんな感覚。

私はあの時生死を彷徨っていたのだと思う。
でも生き残ったのだ。
自分の意志で。

そして自分で守ったこの命は寿命まで絶対に絶やしてはいけない。

死ななくてよかったと思える人生にしたい。
死ぬより怖いものなんてない。と今は心の底から思えるので何にでも挑戦できるし、実際大好きだった仕事を退職して海外行こうと思えたのも、このうつ病の経験がなければ決断できてなかった。

長くうつ病で苦しんでいる人がもしこれを読んでいるのならこれを伝えたい。

・医師との相性はいいですか?
・治療に対する不安を話せていますか?
・薬の説明をしっかり受けましたか?
・自分で薬を増やしたり減らしたりしていませんか?
・うつ病というものが何かをぜひ少し調べてみてください。書籍がたくさん出ています。
・もし少しでも医師に不安感を抱いたなら病院を変えることをお勧めします。
・”休む”ことに不安を感じることはわかります。休み方が分からないのもわかります。とりあえずたくさん寝てみるのはどうですか?そしたら少しずつ動きたくなってくると思うので、その時が来るまで寝てみてください。

本当に、うつ病は当事者にしか分からない苦しみがある。

世間からは怠けてるなんて思われるかもしれないけど、頑張り屋さんだから、真面目に何かに取り組める人だからうつ病になったのだと思う。そんな自分を褒めてあげつつ、うつ病は治る。ということを信じて闘ってほしいなと思います。


私はうつ病になってよかったと今は感じていて、もし同じ状況の人に出逢ったら寄り添うことができるし、気持ちを少しでもわかってあげることができると思う。

以前、自分がうつ病になる遥か前に、毎日のようにうつ病の友達から「死にたい」と電話がかかってくることがあった。当時は何をしてあげれるんだろう?話を聞いてあげることしかできないし、話を聞いたところで正直なところ気持ちをわかってあげることはできなかったし、実際「私の気持ちなんてわかる訳ない」と言われていた。

でも今はわかる。その苦しみも悲しみも言葉にできないその感情も。
経験したからこそ寄り添ってあげることができる。
少し優しい人間になれたんじゃないかなとも思う。

そしてうつ病になる前より少しだけ自分に甘くなれたような気がする。
飴を与えるのが上手くなったというか、自分の機嫌を自分で取りやすくなったし以前より少し生きやすくなった。

病気になることはマイナスだけではない。(私にとっては)
そこから学び、その経験を自分の人生に活かすことができてるから。

スティーブ・ジョブズのConnecting dotsのように、全ての経験が未来につながっていると私は信じていて、実際にあの苦しい1年があったから今目の前にある美しい海外での景色を楽しめている。

常に希望だけは忘れない人生をこれからも送りたいと思う日々です。


思ったよりも長くなってしまいましたが、この辺で終わろうと思います。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

それではまた!




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