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MARISA’s Confession #日本に来た理由・渡日ストーリ

はじめに!

MARISA’s Short ConfessionシリーズはLINE@での【限定公開】として9月より開始したものです。
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MARISAは日本人の母、ブラジル人の父の子供として誕生し、スペインで生まれ育ちました。6歳の時に肺がんで父は天国へ…母子での生活が始まったのです。
お父さんの死が受け入れられなくて、しばらくは一番星が父だと信じ込んでた小学生でした。

大好きなお父さんがいない寂しさの中、楽しみの一つは年に一度、日本のお婆ちゃんから届く荷物でした。日本の物が詰まった荷物の中には必ず可愛い文房具やぬいぐるみ、おせんべいや海苔が入ってました。その荷物には必ず母宛の手紙も入ってた。

手紙の内容は日本語だったし見せてもらったことないのですが、
「海外にいて一人で子供を育ててることを心配してくれてるのよ、『いつでも帰っておいで』と書いてある…」と、母が話してくれたことがありました。

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高校1年生のころ、母から「日本に帰ろうと思う」と、ビックリな突然の発言をした‼️

「日本に帰る」の意味がよく分からない状態で軽く受け止めていたのだが、次第にそれは大変なことになる気づいた。

母が日本に帰る決心をしたのは他でもない、お婆ちゃんの手紙にあった『いつでも帰っておいで』の言葉を信じたからです。

母は日本でブラジル人の父と知り合いFall in loveしたので、その時代の国際結婚は珍しく日本人はよく思ってなかったのです。母は父について行くことを決めて日本を離れる際に家族に勘当され『帰ってくる家はないと思え』的なこと言われたそうです。
 (わたしがこの事実を知ったのは日本に来て3年目くらい、二十歳の時です。)

そんなことがあったので、母はお婆ちゃんの言葉をすんなり受けいられず決心するまで何年もかかったんだと気づきました。

そんな理由で1982年12月18日に2歳から住んでたマヨルカ島を離れ、両親が最もお世話になった家族にお別れを伝えにマドリードへ。

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父の大親友でバンドOrquestra Orfeu NegroのバンマスをつとめてたJayme Marquesの家に向かい約2日を共に過ごしました。

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息子のカルロスは幼馴染で近所に住んでいてたくさん交わりがあって助けてもらった家族でした。

2012年にFacebookを通してカルロスと奇跡的に繋がり、そこから不思議に続々とスペインの仲間と繋がっていきました。

Marques家とは2017年、35年ぶりにスペインに行った時に再会を果たしました。二度と会えないと思っていたので…スペインで再会した時、幻を見てるんじゃないかと思うほどでした。

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1982.12.19は1日中マドリードで過ごし、12.20の朝はいよいよモスクワ経由で日本へ。

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真冬のヨーロッパ、悪天候でした。

機体の点検が必要ということで急遽ドイツに降りた覚えがあります。
(まだベルリンの壁があり西と東が分かれてた時代)

飛行機を点検し再出発。

モスクワに到着…真っ白な世界初体験でした。
飛行機を降りた時の光景がまた忘れられないほどの衝撃をうけました。
ゲート通路の両端に警備が銃を持ってずらっと並んでました。。。マジ怖かったよービビりまくり…


トランジットの時、私のパスポート写真があまりにも違う(髪の毛をバッサリ切ってたのでショートでした)

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そして名前が間違って記載されてたということで、

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同一人物と思われずなかなか通してもらえなかったの〜ドキドキしすぎて泣きそうだった。

なんちゅー恐ろしい旅なんだ!!
心でそう思ってたね。

やっと搭乗して、席に着いてホッ!
と思いきゃー離陸してしばらくすると、乗客の皆さん酒をガンガン注文して機内はウォッカくさかったこと〜
なんと、乗客はほぼモスクワな人ばかり…(笑)
そりゃーウォッカ飲むよね

1982年のことですから、機内は喫煙出来た時代だったんです。機内の状況、想像できるかしら…

飛行機の中でわたしに日本語を教えようと必死になる母…母との会話がずっとスペイン語だったので日本語はちんぷんかんぷん状態。内心ではすぐにスペインに戻れると思ってたから、どうして日本語覚えなきゃいけないのかも良くわからずでした。
この大移動の理由、母からの説明ではとても理解できるようなものではなかった。

・・・・・・・

やっと日本に着いたのは12月21日の夕方でした。
母の家族が何人も成田空港まで迎えに来てくれてました。
正直…何も実感がなく、目に入る光景や物、人々・・・全てが不思議で声にならない声で「なんだろう〜これ〜〜」を連発してた。

上野駅に到着、急ぎ足でスタスタと歩く人の表情に笑顔はなく、暗く無表情…まるでロボットかと思うくらい。

交差点を渡る時、怖い表情で向かってくる人の波が怖くて信号渡れず固まってしまい…先に渡ってた母が向こう側から戻って迎えにきてくれたことを今でも覚えてます。本気で怖かった。

言葉は何を話してるのかわからないし、喧嘩しているかのように聞こえて…正直、恐ろしい国に来てしまった、それが日本の第一印象でした。

・・・・・・・

母の実家に着いて叔父がすぐに出迎えてくれた。日本の習慣を知らない私はそのままスペインで馴染みの挨拶、両ほっぺにチューしてしまいました(笑)

おーーー!!となって、すぐに母が「日本ではこのような挨拶はしないのよー」えーーー!?やる前に教えてーーって思いましたが既に遅し…内心「やらかしちゃったな〜」と感じてた。

もう夕飯どきだったので家族全員が準備してくれてました。
あんなに大勢でご飯を食べるってスペインにいた時なかったからドキドキしながら席に着いた。

最初の夕飯、なんだと思います?

華麗なお寿司でした。わたしにとって初!
それまでに見たことがなかったので出てきた時はなんなのかわからなくて戸惑ってたら母が耳元で
「これお寿司って言って日本では特別なご馳走。下の白いのはご飯、上に乗ってるのは生魚」…生魚???これのどこが魚なの?と思いながら目が点状態でした。

いざ、TRYお寿司!!
口に入れてわりとすぐ、鼻に強烈ツーーーンとしたものがやってきて、我慢できなくて口から出してしまいました…行儀悪いことしたなぁ…と恥ずかしながらも気がついたら目から涙のようなものが・・・のちツーンの原因が「わさび」だったことを知った。

歓迎してくれてるのが嬉しくて何も言えず、母が「わさび」を抜いてお寿司をお皿に乗せ始めました。嬉しい反面ちょっぴり食べるのが怖くて手出せず…お味噌汁ばかり飲んでた気がします。

MARISA’s Short Confession #日本に来た理由・渡日ストーリは
ここまで‼️

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長い、つたないMARISA文章を最後まで読んでくれてありがとう!

最初にも書きましたが、MARISA’s Short ConfessionシリーズはLINE@での【限定公開】として9月より開始したものです。
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