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「内省」とアート作品で振り返る2023

2023年を振り返ると「内省」を鍛えることが復活した一年だった。その「内省」を鍛える上でのモメンタムたる出来事や作品をもとに2023年を振り返る。


■自分という作品の彫刻化

ここでいう「内省」とは自分が求めているものの輪郭を掴むことに近い。フラストレーションを感じる時や、衝撃を受ける存在に出会うたびに、自分は何にフラストレーションを感じているのか?何で衝撃を受けているのか?内省し、ひいては自分とは何か?を彫刻刀をもとに、少しづつ輪郭を刻み始めた感覚にも近い。私のうちにあるエネルギーやパッションをどこにぶつけていくべきか?魂の輪郭に触れたいという欲求が強くなっていると言ってもいいだろう。

いくつかキッカケはあるのだが、振り返ってみると大きく影響しているのは4月〜7月までJoi Ito氏が主催する「Principles of Awareness」に毎週木曜日朝に参加していたのも大きい。大学の授業さながら毎週英語で数百ページのジャーナルを読みその感想を英語で共有し合うものなのだが、そこでガンディーの自伝、反アパルトヘイト・人道活動家のデズモンド・ムピロ・ツツの「赦し」について、自己認識による真理を見出すジッドゥ・クリシュナムルティを学び、小規模グループで自分たちの考えを共有できた経験は大きい。授業そのものの充実感もあるが、毎週Awareness(「自己の目覚め」と訳しておこう)に関する数百ページのジャーナルを読むために時間を作り授業に臨めたことは、大きな達成感だ。仕事の忙しさを言い訳にせずに自分が達成したいことに時間を使う充実感は大きなものだった。この授業はある意味自分と向き合う時間の作り方を教えてくれたキッカケとも言える。

さて、もう一つの「内省」のキッカケはNFTアート/デジタルアート、である。多くのNFTアーティストに触れる機会があり、その話を聞くなかで「何を持ってアートというのか?」というアートに対しての問いの視点をもつ機会が頻繁にあったことも大きい。また、そのようなアートに触れた後に、自分の考えを述べられる仲間がいるのも大きかった。フランス人デジタルカルチャー研究者ベノア・パロに取材したことも「内省」を深める大きなきっかけになってことも併せて紹介しておく。定期的にベノアやhrshitとアートとは?を語り合うことができたのも自分の思考を固めるためにはありがたい訓練であった。

また、横尾忠則の『原郷の森』をほぼ毎朝読みながら、そこで語られている芸術論に対して自分の考えを書き出していく訓練も「内省」を続けるためにはとても役立っている。本の中ではピカソやレオナルド・ダ・ビンチ、マルセル・デュシャンが三島由紀夫や澁澤龍彦、たまに親鸞なども登場して芸術、宗教、哲学論をパリの街角やイグアスの滝など、時間や場所を超えて行うものなのだが、そこで語られている芸術論自体に興味を持つとともに、死者を死者として扱わない(死者と会話をし続ける)横尾忠則の態度にも学ぶことが大きい。『原郷の森』だけではないが横尾忠則の作品を鑑賞し、愛読しているとアストラル体やエーテル体としての自己存在も炙り出されそうで、精神やエネルギーへの気づきも今年の成果として挙げられるだろう。

そのような「内省」の2023年に続く2024年は内省の「具現化」を訓練していこうと考えている。メチエを学び身につけたいという欲求は2023年にMidjourneyやPhotoshop AI / Adobe Fireflyに多く触れていたことも大きい。生成AIが生み出す画像の数々を見ていて、自分の心に響かないアウトプットにフラストレーションを感じ、ヘタでもいいから自分の手を動かした方が満足できるものが生まれるだろうという思いが生まれてきている。2024年に向けては「手触りを感じるもの」を生み出す欲求が高まっている。
また、感覚的に持っている自分のエネルギーをどうしたら具現化・触覚化できるのか?も挑戦してみたい。

このような「内省」は自分の幼少の頃からずっと行なってきたことなのであるが、仕事をするようになってから少しづつ時間を削っていってしまっていた。自分を手放さないためにも2024年以降も「内省」を深め、そこでの気づきをアウトプットできるメチエも積極的に身につけていきたいと考えている。

■手触りのある自分を生み出すために。2023年触れた作品達

さて、どのような「手触り感」を私は求めているんだろう。自分のリビドーとも言えるムズムズした欲求をアウトプットしていく2024年以降への挑戦への意気込みを忘れないためにも2023年に出会い、衝撃を受けた作品を記録しておく。

-Ron Mueck  @ Fondation Cartier / Paris

我々の身近にある存在(骸骨・胎児・狼など)を圧倒的な大きさと量で生み出し「存在」について考えさせる体験をしたのがRon Mueckの展覧会だった。精緻に作られた巨大な骸骨の道を彷徨っていると、死者への思いを馳せるとともに、死の象徴たる造形物の中に身を置くと妙な心の静けさを感じることができた。私たちはもう少し「死」を身近に捉えていく必要があるのではないか。

-九龍皇帝 King of Kowloon @ Hong Kong M+

グラフィティアートやストリートアートが好きなのだが、漢字を使う作品にはあまり出会ったことがなかった。今年香港で出会ったキング・オブ・カオルーンの作品および「自分が九龍エリアの王である」という態度とその態度を表す作品にはパワーを感じた。私も同じようなパワーを有しているはずなのに、何か小さく収まってしまっているところを「もっと大きくいこうぜ!」と揺さぶってもらえた。

-Chim↑Pom from Smappa!Group ナラッキー @新宿歌舞伎町 

歌舞伎町という欲望/絶望が渦巻く街が闇市だった頃の「光は新宿より」というメッセージをコアに廃ビル全体を使った作品は、歌舞伎町という街とその街を形作ったオリジンへのリスペクトを感じることができる学びの多いカオスで素晴らしい展覧会だった。仲間と一緒に見て回ることによりさまざまな視点で作品を鑑賞できなとも良いキッカケだった。ここから美術館にサムテク&いっくん/Hrshitとともに行くという動きができ始める。

-横尾忠則 寒山百得展 @ 上野

F100号ほどのサイズの作品を数日で描きあげる横尾忠則氏の絵画に対する飽くなき探究心、その狂気に触れることができたのは大きい。横尾忠則氏の生き様もとてもかっこいい。書籍もガンガン出すし、絵も描くし、デザインもする。宇宙から使命を受けているもののパワーを日本で・間近に感じられるのもありがたいという感謝の気持ちも生まれてくる。

-Rammellzee WILD STYLE 40th @ Jeffery Deitch Gallery , NYC

私の手触り感のある作品を作りたいという欲求を喚起してくれた展示の一つがこのWILD STYLE展だが、その中でもRammellzeeの作品および動画は彼のパフォーマー&アーティストとしてのパワーを見せつけてくれる非常にインパクトのあるものだった。今までもRammellzeeの作品を見てきたのだが、今回の展示が放つパワーは圧倒的だった。その意味ではキュレーターCarlo McCormickの存在の凄さを実感できたとも言える。

衝撃的なアーティストとその生き様を知ると同時に、自分が生きている限り彼らのようなエネルギーの放出をしないのはもったいない、と思うようになってきている。さあ、2024年はここに挙げた「内省」からの衝撃の作品に自分を近づける新たな自分と向き合う年になるだろう。自分のエネルギーやリビドーを具現化するにはどういう方法があるか?日々の「観察」も今までとは違うものになりそうである。

ちなみに。一つの方向性としては「美しいもの と カオス」という相反するものに対する興味を深掘りしていくことも楽しみである。↓これはパリの街角で出会ったシーンなのだが、このようなシーンにであうと感動する自分とは何者なのか?なぜこのようなシーンに感動できるのか?などなど「観察」を通して「内省」を深めていきたい。

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