HSP*からっぽのじぶんは何もうみだせないのか問題
じぶんがからっぽに思えて、なんにも創造できない気がすると思ってしまう問題について考えてみます。
最初に言っておくと、わたしのこたえは”じぶんしだい”
ただ繊細さんの気質から、考えられることがあって書いてみました。
主人公より裏方がいい。むしろやらせてください。
わたしは小さいころから、編集者とか秘書とかタレントさんのマネージャーとか、主役の人のサポートをする仕事がしたかった。じぶんで目立つ仕事をやるわけではない裏で支える仕事。
学級委員とかキャプテン的なことも嫌でしたね。とにかく裏方がいいのです。そっちのほうがかっこいいと思ってましたから。
自分がないわけじゃない。裏方がやりたい、それがじぶん。
だれかが主役で、脇役でもない裏方です。監督よりも脚本家がいいし、野球でいうとキャッチャーがいい。守備の時ひとりだけ相手目線でいれる立場。チームみんなの方向を見ていられる位置がいい。
webサイトを作る仕事は、この裏方気質に合っていて楽しかった。クライアントのアバターをつくること。わたしの名前は出ない。
でもだれかのアタマの中を再現することが、難しいと思ってしまったとき、こころが折れた。
わたしはプロとして甘かった。クライアントの言う通りに制作しても、わたしがこうしたほうがわかりやすいとラフを作っても、ダメ出しをくらい、満たされない思いのままの仕事をしてしまった。
わたしが作ったと言いたくない仕事が増えてきた時、仕事を断るようになった。何度も言うけれど、裏方仕事は好きなのにプロになりきれなかった。
つんく♂さんのこの記事を読んで痛感した。
からっぽのまま創造はできるのか
そのころじぶんが何かを新しく生み出すことができるのか、まったくわからなくなった。人に雇われたり、誰かが、つくったものに責任をとってくれたりしたらラクだし。創造しなくても誰かがつくったものを鑑賞してるほうがいい。なんて思いながら人のマネだったらできるかもと、セオリー通りにやったとしても、そこに自分がないからうまくいかない。
批評家にもなれない。
じぶんができないことを、偉そうに評論なんてできません。わたしが好きなだけです。へんなヤツだって言われてますから、クチコミなんて書くことすらできませんしー。と、そんな創造さえもやめてしまう。悪循環。
文章を書く。絵を描く。音楽をつくる。
やりたいことだった。ほかのだれでもないわたしが読みたい文章を読んでみたかった。最初の1歩はだれでも簡単にできる。そのあとがもんだいだと、じぶんがじぶんに言ってる。
完璧主義はいつも満たされない。
昨日も書いたけれど、完璧主義は、満たされることがないのではないかと思う。いつまでもできていると思えず、始めてもやめてしまう。じぶんが主役?なんのことかわからないまま、あらぬ方向へ逃げ込む。
じぶんをさらけ出せないし、安全がいちばんだと思っているので、いまのじぶんを変えて、新しいことを生みだすということが、とてもわからないことのように思えてしまう。
リスクがこわくて置かれた場所にいたまま、こわいこわいと新しいことを怖がるだけではなにも始まらないことが、いまになってわかる。
創造するということは、たぶん誰かに何かに依存したままでは、できることじゃない。影響は受けてもいいけれど、じぶんが生み出すものに責任を持つことが創造だと思う。”できそこないのもの”を受け入れられたら、それは創造したことになる。と、わたしは思いたいのです。
できることはじぶんに向き合うこと
このへんで主人公になってみようかと思ってみても、ひたすら裏方がいいと思ってしまうし、そのうえ承認欲は人並みにあったりするから、めんどくさいわたし。
それもまるっと認めてみたいと、最近は、とくにひきこもってみたら思えるようになったかも。
「おかねがほしい。あそんでくらしたい。」
そもそもこんなこと願っていいのかと思ってしまう繊細さだから、裏方がいいとかいつも考えてるんでしょうけど。
でもこのわたしの願いは、創造につながるのか。
……こたえは、考えてないで行動するのみ。
じゃないかなあと、書きながら思いました。
ひきこもりの創造へ役立てたいと思います。わたしもあなたの力になりたいです★