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教育と学び

現在、自分は75歳。世の中では老人の部類に入りますが、何故かまだ、まだ元気で現役を仕事を続けたいと努力しています。
一昨年(2020年)から教育と言うことについていろいろ考える機会がありました。

人の成長で大切なことは、学びであり、教育ではありません。

自分は、幼稚園から大学院までの教育課程を経て社会に出てきました。今過去を振り返り、自分を形成してゆく中で有難いと思った方々が何処に居られただろうかと振り返る時、その数が非常に少ないことに気が付きます。
幼稚園の頃は、思い出せない事も沢山あるはずなので別にすると、小学校から大学院修士課程修了までの18年間に「有難かった先生」と言うのは極わずかです。唯一「先生」と呼べる、円谷先生の話になります。

子供の頃、自分は自転車で遠出するのが好きでした。都内目黒区自由が丘に住んでいましたので、小学生の頃は多摩川、中学生になって村山貯水池、小河内ダム、相模湖と目的地がだんだん遠くなってきますが、何故か「水」のある所を目的地にしていました。理由はわかりませんが水を見ると「来た!」という感じがありました。多分、遺伝子のなせる技でしょう。
中学2年生以降は、5人ぐらいの仲間が出来て日帰りの計画で一番遠くまで出かけたのは箱根の芦ノ湖でした。往復に成功すれば1日180Kmと当時の最高記録になる予定でしたが、その時は芦ノ湖を立つ時間から帰宅は真夜中を過ぎると明らかで、みんなでどうしようかと相談の結果、S君が、三島に親戚がいると言い出し、確か連休(当時土曜日は休みでは無かった)だった事もあり「では、今夜はそこにお世話になろう」と皆で決めました。携帯電話などは無い時代だし、固定電話も全ての家に必ずある時代でもありませんでした。芦ノ湖から三島は基本的に下りですから、何事もなく夕方にはS君の親戚の家につき、事情を説明し泊めていただくことになりました。今の記憶で、仲間が全員、自分も含めて自宅に電話した記憶はありません。当時、長距離電話は1分で数百円、自分が大学院を出て就職した時の初任給が4万円ほどで、その9年前ですから、多分、簡単に電話をかけられる時代ではなかったと思います。
次の日は、朝早く出て、箱根をまた登るのは嫌なので御殿場周りで帰路に着きます。後30分程で家に着く二子玉川の橋を渡る頃、皆疲労困憊で何人かが訳のわからないことを言い出す場面があり、疲労の極限で心の中で色々おかしな事が起こるかもしれないという、将来役に立つことになる1つの事実を学びました。
それ以来、日光へ行ったり何度も1日180Kmの壁に挑戦しますが、実現できたのは大人になり30歳過ぎていたと思いますが、軽井沢から東京までで実現しました。

そういった背景の中で、中学3年生の夏休みに、いつもの仲間で、「夏休みに大阪まで自電車で行こう」というプランが提案され具体化が進みます。この仲間はキャンプに行く仲間でもあったので、当然ですが、テントや自炊の道具を全部自転車に積んで、1日90Kmくらい進む、片道1週間くらいのスケジュールを考えていました。
一言、状況説明を追加しておきますが、その頃の自転車は「サイクリング車」なんて言葉が出る前なので、蕎麦屋の出前が使うような重たいがっちりした物ではありませんが、今は普通に在る10Kg 以下の軽い自転車をイメージしないでください。20Kgはあったと思います。
仲間で、秘密裏に計画を練って実現への準備を始めます。

夏休みが始まる直前の、1学期最後の朝礼の時です。保健体育担当の円谷先生が朝礼台に立ちます。体育の先生なので体操でも始まるのかと思ったら、、
「お前らの中で、とんでもない馬鹿者が居る。夏休みに自転車で大阪まで行くそうだ!そんなことは中学生がしていい話ではない。肝に銘じておけ!」と言う命令でした。仲間同士で「なんだ、どうなってんだ、バレとるやんけ!」と、議論する間も無く。我々仲間は朝礼の後、職位室に呼び出されました。
外の見える窓の前で「お前らしばらくここで立ってろ」と言われ、5人はすごすごと整列し外を向いて立ちます。
気持ち30分ほど立ちましたか、これから何が起こるのか、体育の先生の往復ピンタはさぞ痛いだろうと、恐れ怯えて立ち続けました。
チリンチリンと茶碗を匙で撫ぜる音が聞こえます。
突然「こっち向け」と円谷先生の号令がかかります。
先生は、こうおっしゃいました。
「君たちの、冒険心と発意は誉めよう。
しかし、家族の心配という事への配慮が無いことは大いに問題だ。」
「紅茶を飲んで、教室に戻れ!」
ということで、それ以上のお咎めはありませんでした。

今、自分の子供がそんな冒険をすると思えば心配は当然、自分達の周囲への配慮の無さに気付かされた、大きな出来事でした。

褒められたという事で、「自分の考えに自信を持つ」と言うことも学びました。その時の「甘い、砂糖の沢山入った、紅茶の味は、一生忘れません。

自信と配慮。円谷先生は自分の人生で一番大事な2つの学びをいただいた本当の先生だと今も思っています。

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