見出し画像

法事

先日、法事のために地元に帰った。

母方の祖父祖母叔父の3人。
3人とも他界して15年以上経つ。
みんな長生きになった現代からすると、早かったのかもしれない。

でも、だからと言って不幸だったわけじゃない、とも思う。
私から見る祖父母はいつも素敵だったし、生活にも余裕があるように見えたし、孫だってとてつもなく可愛かった(つまり私)はずだ。今で言う長生きではないけれど、私から見ても、幸せだったと思う。とは言え、祖父母と一緒に暮らしていたことはないし、いつだって孫には優しいおじいちゃんおばあちゃんだったので、本当のところは分からないけれど。

叔父は40ちょっとで亡くなったから何とも言えない。
海外を文字通り”放浪”するのが好きで、観光地ではなく僻地みたいなところにも行っていたと聞く。その海外旅行の途中に倒れてしまい、そのまま亡くなった。もし日本だったら…と祖父母と母は悔んだという。そんな生活をしていたようなので会った回数も少なく、あまり叔父との思い出がない。
叔父が書いたハガキを1年前くらいに実家で見つけ、ロンドンに住んでいたこともあると知った。日本食レストランで働いていたようだ。
そんなヴェールに包まれた叔父に「海外好き」という点においてのみだが、親近感を覚えずにはいられない。家族からすると放浪息子だったのだろうが、わたしにとってはちょっとしたスーパースターだ。当時から色々と話を聞けていたら、、と今となっては思う。

お寺さんの住職曰く、祖父母と叔父は立派な戒名をもらっていると言う。使われている漢字から生前何をしていたということもある程度分かるらしい。祖父は教師だった。祖母はお茶の先生だった。それが分かる漢字が入っているという(ちなみに独身かもバレる)。まるで暗号、コードネームのようでカッコイイと思った。

が、わたしにはそんな立派な戒名がつくか分からないし、そもそも宗教も曖昧だけど、戒名のために般若心経をちゃんと唱えようと思ったくらい。千と千尋みたいに、一文字になってしまったらどうしよう。頑張って、そこそこの名前がもらえる人生を送らねばとちょっとだけ焦った。

お経タイムが終わり、住職様からのお言葉の時間。高野山で体験した、奇跡の再会のお話をしてくださった。

(あらすじ)
住職さんが高野山での修行中、毎月宿坊に来てお参りをするご婦人がいた。ある日そのご婦人を駅まで送りに行ったお坊さんが帰ってこない。数時間後帰ってきたお坊さんは大号泣していたという。
話を聞くと、ご婦人が電車まで時間があるから高野山奥の院に行きたいと言うのでご一緒したという。奥の院でお参りしていると、後ろからご婦人の名前を呼ぶ男性が。男性は古い知り合いで会わせたい人がいるという。ご婦人が待っていると、若い女性が「お母さん!」と言って抱きついてきた。その女性はご婦人の生き別れた娘さんだったのだ。
ご婦人は訳あってその子と引き離されてしまい、会うことも許されなかった。そのため毎月宿坊に通い、お子さんの無事と成長を祈り続けていた。10年経ち、20年経っても会いたいと祈ることはなく、ただ娘の幸せだけを祈った。そんな姿を見た弘法大使様がきっとご婦人に会う機会を与えて下さったのだろう。娘さんはご婦人に電話番号を渡し、二人は別れた。
後日、一度だけご婦人は電話をした。会った時に謝ることができなかったことを悔んでいたからだ。勇気を振り絞って電話をかけ、ご婦人は一言「ごめんなさい」と告げた。すると娘さんは「私は幸せだよ。産んでくれてありがとう」そう言ってくれたという。

その話を聞いて、母は泣いていた。
わたしは感動はしたが、泣けなかった。子どものいない私は母親の気持ちを想像するしかないからだ。それに「産んでくれてありがとう」ともちろん重々思ってはいるけれど、ちゃんと伝えたことがない気もする。LINEとかでは言ったことあると思うけど。そんな夢みたいな再会もあれば、こういう非情な現実もある。それが人生だよね、なんて思っていると、兄の子どもたちがやりたい放題騒ぐので、それにすべてがかき消されて助かった。

祖父母や叔父に思いを馳せて、家族の繋がり(文字通りの家系という繋がり)を感じ、今ある幸せを感じる。

これが法事を行う意味なのかもしれない。

チーン。

クリエイトすることを続けていくための寄付をお願いします。 投げ銭でも具体的な応援でも、どんな定義でも構いません。 それさえあれば、わたしはクリエイターとして生きていけると思います!