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観劇・読書ログ「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」

初めて読む作家さんの本。
タイトルが気に入って手に取った。

町田そのこさんは福岡県在住

その名前だけは目にしたことがあった。だけど読んだことはない。
いつものように本屋を練り歩いていたら、この本がふと目に入ったので、裏表紙のあらすじや説明を読む。購入のジャッジに関わる大事な作業だ。

そして本をめくった表紙の内側にある、著者のプロフィールに目を遣る。

1980(昭和55)年生れ。福岡県在住。
2016(平成28)年「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。選考委員の三浦しをん氏、辻村深月氏から絶賛を受ける。翌年、同作を含むデビュー作「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」を刊行。(以下省略)

福岡県在住。

福岡出身のわたしにとって、同郷であるということは、購買に繋がる大きな要素である。スポーツ選手であれ芸能人であれ、同郷と聞けば自然と応援したくなるのが性ってものではなかろうか。

でも「在住」だから「出身」ではないのか?
調べてみると、ちゃんと「出身」であった。なんで「在住」って書いてあるんだろ。ご本人の希望なのだろうか。不思議。

そして年代も近い。
親近感を持たない理由がない。

そして最近好んで読んでいる短編集でもあったし、しをんさんや辻村さんが選考したコンクールの大賞受賞だなんて、読むしかないでしょ。

「カメルーンの青い魚」

5編の短編の中で、このタイトルとなった小説が一番最初に載っている。
そしてこのストーリーが他の話にも繋がっていて、まさにこの本の幹的存在。

思いがけないきっかけでよみがえる一生に一度の恋、そして、ともには生きられなかったあの人のこと――。大胆な仕掛けを選考委員に絶賛されたR-18文学賞大賞受賞のデビュー作「カメルーンの青い魚」。

表紙の裏にこのように書かれている。
そう、【大胆な仕掛け】がこの物語にはある。

だからネタバレしないように書かなければいけない、難しい。

大軸は、祖母に育てられたサキコと養護施設で育ったりゅうちゃんの恋物語。常に居心地の悪さを抱えながら、小さな町で必死で生きている二人。しかし二人は一緒に暮らすことはできなかった。ある日、りゅうちゃんは突然姿を消して――。

時間軸や表現を巧みに使って、読者を現代から過去へ、再び過去から現代へ、心地よく誘ってくれる。と思いきや、文字通り、最後に「あっ」と驚く展開を用意してくれていた。

負け惜しみではなく、何となく”何かある”ことは察知していた。
だがその感覚の隙間をうまく潜り抜け、最後までしっぽを出さなかった…

うまい。

そしてその裏切りは、とても気持ちを温かくさせた。
登場人物をより好きになる、応援したくなる、彼らのその後を追いかけたくなる、そんな思いを残して。

その思いが通じたかのように、この作品を通じて、彼らはずっと存在してくれたのだった。

「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」

2本目は本のタイトルでもあるので、重要回であろう。
「カメルーンの青い魚」に登場した啓太が活躍する。

この本を通して描かれているのは「生きづらさを抱えながらも、そこで生きていくことを選んだ(選ばざるを得なかった)人たち」のこと。

水の中で泳ぐのは苦しくて、ツラいけれど、もがいて、息をして、必死で生きるかしない。

それは大人だけではなく、子どもも同じ。
学校、教室、家庭、様々なコミュニティを跨いで生きていく子どもたちは、無邪気なようでいて、それぞれに鋭い牙を持っている。時に人を傷つけ、騙す。自分を守るために、攻撃もする。

それぞれの事情があって、考えがあって、闇がある。
弱そうに見えて、実は強い。でも強そうでいて、脆い。

そんな子どもたちの、奮闘記、と言ったところ。そんな簡単な表現では足りないくらい複雑だけれど。

ちなみにチョコレートグラミーとは熱帯魚の種類。

「波間に浮かぶイエロー」

個人的にはこのお話が一番好き。
それこそ”仕掛け”がたくさんあって、それが分かった瞬間、絶句したくらい。

恋人を自殺で失った沙世は、自殺した駅の近くに引っ越し、一人暮らしていた。彼の死んだ理由が、分かるかもしれないと。
沙世は「ブルーリボン」という喫茶店で働いている。そこの店主である芙美は自分を『おんこ』(=女に変異する男の途中経過の名前)と呼んでおり、見た目は女装家やおねぇの類で、実際はいい歳のおじさんである。
ある日お店に突然見知らぬ女性がやってくる。「約束を守ってもらいに来たの。わたしの願い事、ひとつだけ何でも聞くって言ったよね」と。彼女は芙美の元同僚で名は環。環は、自分は妊娠をしているから面倒を見てほしいというのであった。
このそれぞれに事情を抱えた3人の可笑しくも切ない、物語。

沙世、芙美、環。
まず、この3人の会話のテンポが良くて、実際にありそうで微笑ましくて、映像がリアルに浮かぶ。ドラマ化に向いていると思う。

でも次第に、本心を打ち明け、ぶつかり合う中で、それぞれの葛藤と真実に向き合わないといけない時が来る。

それはとてもつらい作業でもあるけれど、ひとりじゃなかったから、出来たことでもある。計らずも、いや、ある意味計って「ひとり」になって生きてきた3人だけれど、やっぱりひとりではなくて、お互いの人生に関わることで、前に進めるのである。

このお話にもサキコがいい塩梅でと出てきて、それも嬉しかった。

「溺れるスイミー」「海になる」

ラスト2本。
これもとても良かった。

「溺れるスイミー」
工場で働く女性とダンプ運転手の男性。ふたりは生きづらさを共有していく中で次第に距離を近づけていく。でもそれは一筋縄でいくような恋物語にはならなくて…

「海になる」
死神のような男に遭遇するたびに不幸が訪れる女。女は子どもの死産をきっかけに夫からDVを受けるようになる。夫の殺人を計画していた女は、その日も死神に遭遇し、事態は思わぬ方向へ進んでいく…

特に「海になる」は大人向けだなぁと思った。
死神男は不気味だけど、とても魅力的で、最後には大好きになっている。

詳しくは書けない。
とにかく読んで、その仕掛けと、世界観を味わってほしいと思う。

女による女のため、とは

この作品全体を通してなのだが、登場する女性たちはとても弱く見える。そして、基本的には大人しくて地味な部類に入る。

これらの女性たちとタイプの全く違うわたしは、最初受け入れられなかった。

サキコに至っては男を待ち続ける女だし、他の女性たちも誰かに守ってもらっていたり、ひどい扱いを受けても反論できなかったり、今の状況を甘んじて受けて入れているようで、読み始めはどれもモヤモヤがあった。

だけど、読み進めていくにつれて、避けること逃げることのできない「現実」の中で戦う彼女たちの本当の「強さ」が理解できてくるのである。

そもそも「女性の強さ」ってなんだろう。

現状を打開する力なのか、現状の中で逞しく生きていく力なのか、男(他人)に頼らない生き方なのか、愛する人を守る力なのか…

どれも正解だろう。
でも、それが全てではないだろう。


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