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悲劇と喜劇は紙一重(終)

旅のくだらない噺手帖「ミャンマー・ラオス旅編」
前回『一目惚れした過去を抱いて』も是非お読みください。
いよいよ最終回です。どうぞ最後までお楽しみください。

毎日スケジュールを詰め込んで、朝から晩まで遊びまくっていたこの数日間がウソのように、自分の身体が起きるまでベッドに根を生やしていた。もう睡眠はいらないと思えて目を覚ました瞬間、あぁ私はまだラオスにいたんだと気付く。

私たちはこの日の深夜の便で日本に帰るため、計画的な荷造りを始めた。というのも、LCCは重量オーバーすると追加料金を取られるため、預け荷物と機内持ち込み荷物を調整する必要がある。感覚値で重量調整していると、ご主人が画期的な機械を出してくれた。

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ラゲッジスケールと呼ばれる、写真のように取っ手部分に機械を掛けて持ち上げるだけで荷物の重さが測れるという優れもの。目標重量は20キロ。簡易的な荷造りを済ませ、いざ計測。スーツケースを引っかけて、「えいっ」と持ち上げたその瞬間。

あ、腰ヤバい。

私は重量が18キロだったことだけ確認し、静かにスーツケースを下ろし、それからゆっくりと腰も下ろした。脳内に駆け巡るメロディー。

(アナ雪風で)
生まれ~てはじめ~て ぎっくりにな~り~
生まれ~てはじめ~て 恐怖感じたの~
老化の訪れを 静かに嘆こう
ひとまずは安静に 帰国できるように

この歌は今作ったが、本当に冷や汗が出るほど焦ったのは事実。最後の最後で……と泣きたい気分だった。しばらくの間制止し、思い切って少しずつ動いてみた。すると、動けた。痛みはあるが、行動はできるようだ。どうやらギックリ腰の一歩手前で耐えた形である。最終日に家でじっとしているのも申し訳ないので、友人ファミリーと出掛けることになった。

ラオスはコーヒー豆の生産が盛んで、中でもシヌークコーヒーは市街にもカフェを構えるなど、有名ブランド。「シヌーク・ガーデン・コーヒー&ベーカリー」へ連れて行ってもらった。

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街中の喧騒から少し離れ、オシャレな空間が広がっている。カフェの中にはコーヒー豆製造の流れを紹介した展示物や、実際にローストする機械も置いてあり、様々な種類のローストコーヒーが販売されていた。ジャパニーズブレンドとイタリアブレンドを購入。店内でもコーヒーを飲み、腰を気遣いつつ、緩やかな時間を過ごす。

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ファミリーにはもってこいの木製アスレチックとブランコ。こんな風景を見せてもらってこっちも癒される。感謝。

ヴィエンチャンの名所観光は昨日済ませているし、アクティブな活動も無理なので、やることといったらもう食べることのみだ。お腹も全盛期よりは落ち着き、食べられるようになっていた。

連れて行ってもらったオススメのお店は「カオピアック・セン」という麺料理の店。

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米粉とタピオカ粉で作られたモチモチの麺はクセになる。あっさりしているがコクのあるスープ。ペロリだった。

それから腰の回復になるかもとマッサージに行ってみたり、近場の寺院を巡ってみたりして、最後のラオスタイムを楽しんだ。相変わらず腰は爆弾を抱えたような状態だったが、自分で歩けるレベルを維持していた。

いよいよこの旅最後の晩餐。ファミリーと一緒にレストランへ。

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トゥクトゥクに乗車しレストランへ。

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息子くんの笑顔と無邪気に癒され、最後の晩餐を楽しく過ごすことができた。Kさん宅で最後の荷造りとシャワーを済ませ、少しの寂しさを感じながら、大いなる感謝を伝えて、空港へ向かった。雨季は容赦がない。空港への道中、雨が降り始めた。

ヴィエンチャン空港では、日本では有り得ない事態が起こった。なんと空港が停電したのだ。全ての機能がストップした。

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しかも私たちのチェックインの最中に。私の分はすでに済んでおり、友人を待っていた時。暗闇に包まれた空港内。航空会社のシステムもダウンし、搭乗手続きが出来ないという。ただ待つだけの時間が流れた。しかし出発の時間は近づいている。航空会社の管理職っぽい人たちが奥でミーティングをしているのが見え、緊迫した空気が漂っていた。あぁこれは帰れないパターンかもしれない、そう思いはじめていた。すると、

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グランドスタッフが、プリントされた座席表と白紙の航空券とタグを持って来て、情報を照らし合わせながら手で書き始めた。デジタルが通用しないならば、アナログで行くしかないということだ。私たちの後ろにも長蛇の列ができており、どれだけの時間が必要なのだ・・・と気が遠くなる。友人は手書きの航空券とタグを渡され、私たちのチェックインは完了した。

もちろん出発は遅れていた。しかし以外にも30分の遅れで飛行機は出発した。手書きの航空券で乗り込んだが、出発前にスタッフが印字されたものと交換してくれた。素晴らしい対応に感激した。

ここからは腰との戦いだ。立っても座っても痛いものは痛い。身体の向きを頻繁に変えながらベストなポジションを探す時間が続いた。だが、さすがに睡魔には勝てなかった。気付いたら眠っていて、目を覚ますと窓の外には朝日が輝いていた。それは、旅がまもなく終わると言う合図でもあった。

無事に成田に降り立ち、私たちはそれぞれの帰路に着いた。私にとってはここからが本当の戦いだ。腰の痛みに耐えながら、このスーツケースを抱えて自宅の3階まで上がれるのか……そして、これから先の仕事や用事をこなせるのか。不安しかなかった。でもここは日本だ。どうにかなる。

喜劇と悲劇は紙一重。生きていれば何が起こるか分からない。悲劇も笑ってやり過ごせばいい。数日後、お腹も腰も気付いたら治っていた。

最後に。
ともに旅をしてくれたTちゃん、ありがとう。

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