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おしゃまさんのこと、あるいはトゥーティッキのこと

トゥーティッキとの出会い、おしゃまさんとの再会

フィンランドでの修士課程を終え日本へ帰ろうとしていた私は、現地の親友の一人からアラビア社製のムーミンマグをもらった。今からおよそ半年ほど前のことである。

私はこのマグに描かれているキャラクターを知らなかった。マグをくれた親友が、これはフィンランド語名でトゥーティッキ(Tuu-tikki)というのだと教えてくれた。春になると手回しオルガンを弾くのだという。ムーミンのお話をあまりよくしらなかった当時の私は、ただふうんと相槌を打ちながら聞いていた。日本に帰ってからもそのマグを愛用していたのだが、マグに描かれたキャラクターについて知ろうとは思っていなかった。

ところが最近、コロナ禍のせいでフィンランド行きが2021年中も叶わないかもと悟り、そのフラストレーションを埋めるようにムーミン全集を購入した。何気なく手に取った、そのうちの一冊である「ムーミン谷の冬」を開いた。「登場人物」のページに目をやると、見覚えのある子がいた。

その子が「おしゃまさん」、あるいはトゥーティッキだった。

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ムーミン谷の冬とおしゃまさん(あるいはトゥーティッキ)

「ムーミン谷の冬」はその名の通り、ムーミンたちの住むムーミン谷の冬の様子が描かれたお話だ。といっても、ムーミンは冬の様子などほとんど知らない。毎年11月ごろから冬眠を始めるからだ。

ところがある冬、ムーミンだけ、春になる前に目が覚めてしまった。ムーミンが仕方なく外に出てみると、ムーミン谷の様子は春や夏とは全く異なっていた。例えば、夏はみずあび小屋としてムーミンパパが使う水辺の小さな小屋が、冬にはおしゃまさんの住処になっているだとか。

おしゃまさんのことを本を読むまで男の子だと思っていた。見た目で人を判断してはいけない。おしゃまさんは自分で魚を釣ってスープにして生きているし、寒さで凍えるムーミンたちには「あたたかいジュース」を飲ませてあげている。ムーミンの家で冬を越そうとしている不思議な生き物たちとヘムレンさんが仲たがいしそうになった時は、それを解決するべくムーミンと共に皆にきづかれないようにこっそり作戦を練る。おしゃまさんは実にタフにムーミン谷の冬を生き延びる、自立した女の子なのだ。

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おしゃまさん(あるいはトゥーティッキ)の言葉から伝わってくること

そんなおしゃまさん、あるいはトゥーティッキの発する言葉たちは、どれをとっても共感するものばかりだ。

ムーミンがお話の冒頭でおしゃまさんの住処である「みずあび小屋」に入ったときだ。凍えそうなムーミンの足を気遣っておしゃまさんが毛糸の靴下を差し出した途端、見えない何かがストーブの火をつけ、笛を吹いたのだ。おしゃまさん曰く「見えない何か」の正体は恥ずかしがり屋のトンガリネズミたちで、恥ずかしすぎてとうとう皆から見えない形になってしまったのだという。

「だけど、顔くらい見せたっていいのにねえ。なぜ見せないの。」
「あんたのなかよしのトンガリネズミたちは、どこで空を飛ぶことをならったの。」

姿が見えないことを訝り、トンガリネズミたちからなんとかして何か聞き出そうとするムーミンを、おしゃまさんはこう諫めるのだった。

「いや、なにもかもききだそうとするんじゃなくてよ。あの子たちのほうでは、ひみつを守りたいのかもしれないものね。」

思っていること何もかもを話しあえる関係ーーーそれも美しい絆だと思う。だが、相手の触れてほしくないところをそっとしておく、それができる間柄も、何でも話せる関係と同じくらい大切だと思うのだ。

何も言えなくてもただ一緒にいればいいのだ。優しさや友情は、言葉だけで表現できるものではないからだ。何も話さないトンガリネズミだって、おしゃまさんやその来客のために魚のスープやあたたかいジュースをよそってくれるし、ストーブを暖めてあげている。それらだって、シャイなトンガリネズミなりの、思いやりの形ではないだろうか。

他にも書いていたらきりがないが、おしゃまさんが自分の考えを持ちつつ相手の大切なことや考えを尊重しようとしていることが、彼女の言葉の端々から伝わってくる。私もおしゃまさんのように押しつけがましくない優しさを表し続けたいし、他者を慮る人でありたい。


そしてそんなおしゃまさんのーーーあるいはトゥーティッキのーーーマグを選んでくれた私の親友のことを、やっぱり「私のことわかってるなあ」と思わずにはいられなかった。

・・・

『おしゃまさん』、新版「ムーミン全集」では『トゥーティッキ』とフィンランド語名で呼称を統一しているそうです。おしゃまさんとトゥーティッキは同一人物です。


そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…