ちょうどいい普段とちょっといい未来。

「日常と非日常は交差して、ある時を境に入れ替わるのかもしれない」と考えたのは先日のこと。

一昨年から拠点として整備しているさんかくのいえ。誰もいない、がらんと広いお座敷に寝っ転がりながら「そういえばすっかり、人がいる風景がここの日常になったな」と思った。

「今、片付けをしている空き家があってね」が、「今、みんなで使ってる古民家があってね」に変わったのは、いつだったんだろう。
さんかくのいえはもう、私にとって空き家ではない。

こうして日常だった風景は非日常に緩やかに変わっていくんだと、なんだかストンと腑に落ちたりして、それは気にかけてくれる人がいて、来てくれる人がいて、一緒に「どうやって行こう」を考えてくれる人がいるからだなと思った。

ここに来る人は、お客さんだけどお客さんじゃない。空間自体に関わり代が山のようにあるからかもしれないし、ぼーっとする時間を過ごすことこそが何より提供できるものだからかもしれないし、古材や古物を買っていって持ち帰って何かに使ってくれる誰かだからかもしれないけれど、「私たち」が描きたい姿を一緒に作ってくれる日常の共犯者みたいなものだと勝手に感じている。いただいたお金で預かっている家の改修が進んで、またこの地域に住める人が増える、というのも一つある気がする。

昨日話を聞きに来てくれた彼女は、インタビューのあと「時間があるから」と、建具改修のガラスのデザインを手伝ってくれた。もともと空き家に興味があってとは言っていたけれど、「やっぱり完成形も気になるし、また遊びに来ます!」と笑顔で帰っていくのを見て、きっと彼女は本当にまた来てくれるんだろうなと思った。日々じわっと、共犯者が増えていく。


そうやって共犯になってくれたなかで、藍染をしている友人がいる。「広い場所と水、お湯が沸かせて干す場所があったら最高!」というので、使って使ってー!と声をかけて一緒にlaboratoryを始めた。

非日常と思っていた「染め」がさんかくのいえにきたことで、「着古した服をもう一度リニューアルして使える」という選択肢が私の日常に増えた。買い物をするとき「あ、この素材だったら汚れたら染められる」と、瞬間的に考えた自分にびっくりした。「こっち買ったら、またあのワクワクができるのか」の「また」は、私にとっての「ちょっといい未来」の一つだと、思った。それと同時に、空き家を片付けて出てくるゴミの山さえも、きっと誰かにとっては「ちょうどいい普段」の選択であって「ちょっといい未来」だった時があるのだなと、思った。


そんな話をしていたら、「動かないものは過去になっていくものね」と、また別の友人に言われた。動かないものは過去。つまり動いたら未来になるってなんだろうなあ、思ったところで話は冒頭に戻る。

さんかくのいえはきっと、再び動きだしたのだと思う。

空間に「ちょうどいい普段」を散りばめる人たちが出てきて、「ちょっといい未来」が覗けるようになった気がする。スタートは期待や未来を見据えて今を考えるとかではなくて、「ここ、私の普段にちょうどいいな」っていう、誰かの思いな気がする。


さて今週末から、もうひとつ私がやっているミリグラムという会社で、「#Fabpark」というものを始める。

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「ちょうどいい普段と、ちょっといい未来。」と題して、ワクワクで心地よい、まちの風景をつくる、自主的な社会実験企画です。長野県長野市の県立若里公園トライアルサウンディングに参加、2021年7月から12月の第一日曜(7/4、8/1、9/5、10/3、11/7、12/5)の10時〜14時に開催予定です。

ここまで書いてきた話は、主に「さんかくのいえ」の話だったけれど、公園だって公共施設だって同じなんじゃないかな、というのを、個人的には強く思っている。

ちょうどいい普段とちょっといい未来。

頭に浮かんだフレーズの本質はまだ確実にはつかめていないかもしれないけれど「それってなんだっけ」を、考え続け、かたちづくり続けられたらいいなと思っている。もちろん”たのしさ”を真ん中に。


という、今日今時点のメモとお知らせ。


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