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1章|とにかく必死だった社畜時代

29歳の誕生日に向けて、人生の棚卸しをしております。

なぜ中途半端な29歳にそんなことをしているのか?など、詳しくは0章|29歳の誕生日を機に、人生を棚卸しをご覧ください。

さて、新卒入社から3年間(2017~2020年)私はかなりの社畜でした。


1年目から商品開発がしたかった

栄養学系の女子大で管理栄養士の資格をとり、食品メーカー1本で就活をしていました。しかも、新卒1年目から商品開発をさせてくれる上場企業。思い返すと、かなり無茶なことをしていた気がします。

ゆえに就活は非常に難航し、周りが内定獲得して遊んでいる肌寒い季節まで就活を続けました。それでも、最終面接まで進んだ5社中、内定をいただけたのは1社のみでした。

唯一拾ってくださった会社に対して恩義を感じていたこともあり、「ここで働くしか私には道は無い!」と謎のプレッシャーを自分にかけていました。

何のために働いているかわからなくなった研修期間

片道1時間30分かけて会社に通っていました。商品開発室は工場に併設されていたからです。辺鄙な立地にあるため、最寄り駅からはバス15分+徒歩15分。雨でも雪でも通っていたあの頃には、二度と戻れないと思います(笑)

半年間の研修は、ほぼ毎日工場でした。3時間ぶっ続けでベルトコンベアに乗って流れてくるサラダの角にくし切りのトマトを並べたり、気が狂う量の長芋の皮をむいたり…。

「商品開発をするからには現場を知らなきゃいかん!」という社長のお考えもわかるけれど、単なる労働力として消費されているだけの毎日な気がして、体力的にも精神的にも擦り減っていました。

新規事業部に配属され、夢が叶った!

やっとやっと半年間の研修を終え、ついに商品開発室に配属されました。しかも新規事業部。本質的にポジティブ人間なので、なんかよくわからないけど、めっちゃオモシロそうじゃ~ん!というのが最初の感想でした。

ちなみに、新規事業部の商品開発担当は私しかいない、実質的には直属の上司が不在という特殊な人事発令でした。(この配置がのちのち、複数部署の板ばさみの要因となり辛い思いをすることになるのですが…その話は長くなるので割愛します)

0→1で商品をつくる貴重な経験

新規事業部は、ECサイトの新規立ち上げ事業を行う部署であり、「野菜と乳酸菌が入っているものなら、何を作ってもいいよ◎」という超フリーダムな商品開発をしていました。

私が行っていた商品開発の流れを図解すると、大枠下記の通り。

食品メーカーでは「商品企画」→「商品設計」→「生産準備」→「販売促進」の各フェーズで分業するのが一般的ですが、私は最初から最後まですべてを担当していました。

とにかく必死に働いていて、最後の方はメイクをする気もおきず、すっぴんメガネで出社する女の捨てっぷり。まだ朝なのに、どうがんばってもゆっくりしか歩けないくらい毎日ヘトヘト。土日は死んだように眠ることしかできず、文字通り仕事漬けでした。(あと、祝日は無いし、土日出社もありました)

それでも頑張れていたのは、商品開発の0→1というのが、まさに私がやってみたかったことだったから。そして、それを上場企業の規模感でやらせていただた経験は、本当に貴重なものだったと、今でも感謝しています。

自分が開発した商品が世に出て思ったこと

はじめて開発した商品は「糀柚子胡椒」でした。今でも一番のお気に入りだし、とっても愛している商品です。(2024年1月14日、終売となりました)

ただ、発売された瞬間からちょっとした違和感を抱いていました。

でもそれが何なのかよくわからないまま2年のあいだ商品開発を続けて、30品ほどの商品を世に送り出した時、やっと気づきました。

これは私の商品ではなく、あくまで会社の商品なのだ。

会社の資産を使って開発しているのだから、当たり前なのです。そこに対して文句を言いたかったわけではなくて。

私は、自分のアイデアによって生まれた愛の詰まった商品を、自分のものとして評価されたい、という価値観を持った人間なのだ。ということに3年弱かけてやっと気づいたのでした。

なんだか心がスッキリして、あっさりと会社を辞めました。

そして、副業OKでワークライフバランスの良い、でも食品の商品開発にかかわることのできるサイコーな会社に転職をし、正社員として働きながら「料理研究家」になろうと試みます

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2章|血迷ってミスコンに出た話

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