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2章|血迷ってミスコンに出た話

29歳の誕生日に向けて、人生の棚卸しをしております。

なぜ中途半端な29歳にそんなことをしているのか?など、詳しくは0章|29歳の誕生日を機に、人生を棚卸しをご覧ください。

さて、1章では社畜だった3年間のことをお話しました。その続きからスタートです。


ワークライフバランスが良い会社に転職

社畜生活を卒業して、転職した先は超ホワイトなベンチャーでした。しかも、オフィスは恵比寿ガーデンプレイスタワー。だ埼玉(おっといけない!)の僻地まで通っていた私が、都会のオシャレOLになれたことにどれほど浮足立っていたかは、想像に易いでしょう。

新しい仕事に慣れるまでバタバタしていたため、「料理研究家になる」という目標に着手するのはもう少し後でいいかぁ~などと悠長に構えて、なにも行動に移せず、計画も立てていませんでした。

勤務地が都心になったとて、交友関係が狭かったので飲み歩くようなことはせず直行直帰。時間はあるのになにもできずにテレビやYouTubeをみながらダラダラする毎日。そんな悪いクセがついてしまってぬるぬると過ごしていた時、ヤツはやってきました…

行動に移せないままコロナ禍突入

そう、コロナ禍に突入したのです。入社半年後のことでした。

ありがたいことに、きちんと正社員として雇用し続けていただき、勤務形態にリモートワークが導入されました。

ただでさえ時間に余裕があったのに、さらにヒマになる毎日。コロナによる将来への不安…このままではダメだ!と思うのになにもできない自分が本当にキライで、なんとかして自分を変えなくては、と焦りを感じていました。

自分を変えたくて、唐突にミスコン出場

自分を変える手段として、私が選んだのは「ベストオブミス東京大会2021」でした。

・短期間(約3ヶ月)で決着がついて
・自分の強み(高身長や姿勢の良さ)が活かせて
・どうせなら、今しかできない(年齢制限がある)
・世界の舞台につながるもの(MissUniverseの予選会)

という私なりのロジックはあったのですが、到底ミスコンテストに出場するようなタイプではないので、母には反対され、友人には驚かれまくっていました。

水着とドレスのウォーキングでは13cmのハイヒールを履いて歩くので、最初は真っ直ぐ立つ練習からスタート。週末のビューティーキャンプだけでは時間が足りず、平日も勤務時間の前後にスタジオを自分で借りて練習していました。

ウォーキングの他に座学の講義もあったり、Q&Aセッションの対策もしたりとタスクばかりの毎日でしたが、特に苦戦したのはSNS投稿でした。ミスコン出場をきっかけにInstagramのカギを外したSNS初心者だったので、不特定多数に自分の投稿が届いてしまうことへの恐怖と、投稿しても全く「いいね」が付かないことへの不安という、両極端な悩みを抱えていました。

いろんなことがあった3ヶ月間でしたが、結果として22名の出場者からベスト8入りし、個人的には満足な結果を残すことができました。特に大きかったのは、母が私の変わった姿を認めてくれたこと。ミスコン出場にも反対し、ずっと保守的だった母が大会会場に来てくれて本当に見違えた、感動したと伝えてくれました。

ひとり暮らし&SNSで料理系発信スタート

26歳までずっと実家で暮らしていました。ひとり暮らしをしたいといっても母が許してくれなかったからです。でも、それもミスコン出場をきっかけに変わりました。

料理研究家になる一歩を踏み出すために環境を変えたいのだと母を説得し、ミスコン終了1ヶ月後には、人生初のひとり暮らし&SNSでの料理系発信をスタートさせました。

⇒Next  3章|自分を変えるためライバーになる 

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