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「気にしないのが1番」のアドバイスとは

「気にしないのが一番だよ」というアドバイスをこれまでの人生で何回聞いただろうか。そしてこの先の人生で何回聞くことになるだろうか。人々はイマドキ根性論なんてやめてほしいなんて言うけれど、気にしない方がいいも立派な根性論だと私は思う。

そもそも気にしないのが一番というアドバイスを受ける人間は往々にして、制御不能な思考に悩まされている。誰が嫌なことを好き好んで考えるだろうか。制御不能で無意識で止められないから困っているのだ。気にしないのがいいというのは、思考を止めろというアドバイスと同義。何を当たり前なこと言ってんだ。こっちはその思考を止める方法を知らないから悩んでるんだよ。

気にする人に「気にするな」というアドバイスをすることは、忘れっぽい人に「忘れないように気をつけた方がいいよ」とアドバイスをしているのと本質的には同じだ。いかにこのアドバイスが無意味か伝わっただろうか。

忘れっぽい人は忘れないように気をつけてるのに忘れるから、忘れっぽい人なのだ。そして、考えすぎる人は考えない方がいいと分かっているのに考えてしまうから、考えすぎる人なのだ。

仮に忘れっぽい人にアドバイスをするとしたら、明日の用意を寝る前にしたらいいよとか、荷物は玄関に置いておけば忘れないよとか。こんなふうに具体的なアドバイスをするはず。
なのに、気にしすぎて悩んでいる人のところには「気にしないのが一番だよ」「考えすぎだって」「誰も気にしてないよ」のクソバイスが大量に集まってくる。なぜ?

どうしてもアドバイスしたいなら、もう少し精神的な部分に訴えかけてこない具体策を教えてほしい。考えすぎるときは頭の中で「あーーーーーー」と言ったらいいよ、とかね。(これはめっちゃいい。寝る前に頭がぐるぐるし始めたら試してみて。気づいたら寝てる。)

ただ考えすぎる人は多分自分で調べる癖がついている人がほとんど(だと私は思ってるけどどう?)だし、対策方法はすでに知っていて実践できてないということが多い。
基本的には知ってることを、他者から再度言われるというプチストレスに終わることが常。正直、考えすぎる人に対するアドバイスは不要なのよね。

考えすぎる人に「考えないのが一番だよ」とアドバイスをしてきた人が本当にその人のためを思っているなら、アドバイスではなく共感か傾聴をしてほしい。それが心の健康に一番効く。ただ口出ししたいだけなら黙ってほしい。

あ、口を慎めないからクソバイスを送ってくるのか……

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