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「逃げる」という勇気

逃げることは、必ずしも悪いことではない。

日本に住んでいると、何かを始めたときに必ずといっていいほど、周りの人からこんな風に教えられる。

「ひとつ始めたら最後まで責任持ってやりなさい」とか
「他の人に迷惑かけないように全うしなさい」とか
「諦めないことに意味があるんだから」とか……。

この言葉によって、私たちは何かを"やめる"、"逃げる"という選択肢を持てなかったり、それ自体をネガティブなものとして捉えてしまったりする。

だが、逃げることや諦めることは、本当に悪いことなのだろうか?

私も「こうしなければならない」が強い環境で育ってきたので、何か1つのことを始めたからには、最後までやり抜かないといけないと、いつも思い込んでいた。

入部したい部活動がなかった中学生。「何かしら入りなさい。打ち込むことは大事だから」という親のもと、音楽は嫌いじゃないからという理由で吹奏楽に入部。もちろん好きじゃなかったから、3ヶ月くらいで辞めたくなる。

周りから反対されることは分かっていたため、しばらく続けたものの、「こんなに憂鬱な時間を過ごす必要ってある?」と我慢の限界がきて、中学2年生の終わりに退部。学校が中高一貫で、ほとんどの人が中1〜高3まで同じ部活に所属していたこともあり、退部した時は先生や友達にもかなり驚かれた。

辞めてからしばらくの間、ひとりで帰る時間にいろんなことを考えて、寄り道して、ぼーっと景色を眺めて、毎日がとてつもなく楽しかった。

しかし、退部してまもなく「帰宅部になりたい」という想いなんて受け入れてもらえるはずもなく、中3の途中から友達がいるバレー部に入部。

入った時から「なんで好きでもないのに部活に入らないといけないんだろう」と違和感を持っていた私は、大会や試合といったものに全く興味がなく、レギュラーメンバーへの憧れもゼロだった。

そんな中、学校の掲示板で見つけたアメリカへのホームステイの案内。

「これ!絶対行きたい!!」

自分で見つけた初めての「やりたいこと」だったから、これは逃すまいとすぐにバレー部へ退部届けを提出。「やめ癖がついてる」「飽き性」「忍耐力ない」と、あの時の言われようは散々だった。

だが、逃げたあとに広がった景色を見て、こう思った。

あのとき、楽しくないと思った吹奏楽部をやめて、バレー部をやめていなければ、自分がこんなに友達と話すことが好きだったことも、色んな国に旅することが楽しいと思っていたことも、物事を俯瞰的にみることが得意なことも、何もかも気づかなかった。

部活を辞めてひとりの時間があったから、「どうして楽しくないんだろう」「なんで気持ちがモヤモヤしてるんだろう」と、自分と向き合う機会が作れた。

辞めてまで決断したホームステイがあったから、自分でやりたいことを選択し、行動する楽しさと新しさを知った。帰国しても、これからやりたいことや、自分の好きなことについて真剣に考えるようになった、と。

今がしっくりこなかったり、楽しくなかったり、しんどかったりするのは、ただただ環境が違うだけかもしれない。

友達をつくるのが下手だと思っていても、留学先では自然に友達に囲まれていたとか。

すぐには見つからないかもしれないが、自分がキラキラしたり、のびのび過ごせる場所は必ずどこかにある。

嫌なことを続けるより、好きなことに打ち込んだ方が、圧倒的に成長するスピードは速い。

合わないと感じる環境に無理する必要はない。

そこから逃げて、自分が楽しく、のびのび過ごせる環境にうつれば良い。

逃げるも立派な勇気だ。


=memo=
インドでは生まれたときから、「あなたは他人に迷惑をかけて生きていくのだから、他人のことも許してあげなさい」と教えられるそうです。

逃げることでの迷惑を考えるより、選択した道を楽しく進む。そして、逆の立場になったときは、応援し、許す。そういう生き方をしていきたいなと思います。

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