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ルシャナの仏国土 海洋編 6-10


六.咲き誇る薔薇たち

 亜矢が徹を連れて戸籍課に入ると、かつての同僚たちはどっと二人を取り囲んだ。皆、口々にお祝いの言葉を贈る。そして、手続きの後、彼は正式に『烏丸徹』となった。
「結婚式には、皆を代表して、私が行かせてもらうよ。烏丸君、君が本当に羨ましいよ。彼女を大切にしてやってくれ。」
 戸籍課の課長・梨田守が言った。亜矢の元上司である。初対面でどんな対応をとったらよいかがわからなかったが、とりあえずは元部下の婚約者ということで良かろうと判断した。
「皆様には 彼女がお世話になぅたそうで・・・。本当にありがとうございます。」
 徹も、その立ち位置でいた。言葉遣いも、普通の市民と同じになるように心がけている。

 それから、オルニア警察宮廷部にも顔を出した。ここには、警察学校の同期生・宮部淳一と小久保美穂がいる。当日は、たまたま二人とも出勤していた。
「遂に会えたのね!ほんとによかった。おめでとう!」
 美穂は亜矢に抱きついた。
「式はいつ?」
「まだ決まってないの。昨日こちらに帰って来たばかりなのよ。」
 彼らには、徹が記憶喪失だったことなど告げる必要はなかろう。
「とにかくよかったな。おめでとう。ところで、それが海洋警察の制服なのか。似合ってるな。
 烏丸君、君も警察官になるのかな?亜矢さんが惚れ込むくらいだ。きっと腕も立つのだろう?」
「まだ決めていませんが・・・。」
 そうだな、それもいいかもしれない、と徹は思った。
 淳一が自ら進んで発言したのはそれっきり、相変わらず無口であった。その無口な彼の口から、美穂と結婚していることを聞いたのは少し時間が過ぎた頃だった。そして美穂が現在妊娠三ヶ月であることも。
「貴女達も結婚していたのね。おめでとう!今まで知らずにいて、ごめんなさいね。赤ちゃんが産まれたら、見に来ていい?」
 亜矢は、目の前で照れくさそうにしている淳一と、恥じらっている美穂にお祝いの言葉をかけた。確かにお似合いだわ、と亜矢は思った。いつか、捨て猫を見つけて懸命に世話をしていた淳一を思い出す。その優しさが美穂を幸せにしていることは、容易に推測できる。

 徹は、これからは古い要素が強い忍び言葉や、乱暴な船乗り言葉を封印して、一般的な市民言葉を使い続けようと決めた。それを亜矢にも宣言すると、彼女もとても喜んだ。
「そうね。貴方もこれからは一般市民なんだもの。それが良いわ。」

「ところで、君たちの剣は何故黒いんだ?たしか剣士は白が最高レベルのはずだが。」
 また二人きりになった時、徹が尋ねた。
 彼はまだ警察官級剣士が創設されていることを知らなかったのだ。亜矢は、アイユーブ警察学校のことをより詳しく教えた。
「そうか。忍びの技が使える剣士か・・・。忍びは、もう組織としては存在しないと、昨日、村長 むらおさからも聞いた。確かに、最強の剣は、警察官が持っているほうがいいのかもしれない。時代は変わるものだ。」

 とりあえず明禅館の客間で式までの日々を過ごしていた彼らの元に、クファシルからの封書が届いた。開けてみると、三通の手紙が入っており、クファシルとアレクセイ、それにホルスからのものだった。
「結婚おめでとう。結婚式には行かせてもらおうと思っている。アリョーシャも行きたがっているが、二人同時にライランカを留守にするわけにもいくまい。許してくれたまえ。だが、レオには何とか都合をつけさせる。
 また、ホルスのことだが、海賊と呼ばれている以上、海洋警察ゆかりの結婚式に姿を見せるわけにはいかぬと言い張って聞かぬ。それなら手紙を書けと説き伏せ、このような形にした。
 それでは、結婚式当日に会おう。 クファシル」
アレクセイからの手紙には、お祝いと式に出席できないことについての詫び、またの再会を願う旨が書かれており、ホルスの手紙には、こう書いてあった。
「結婚おめでとう。海賊の俺では、二人の晴れ舞台に姿を現すことはかなわないが、心からお二人の幸せを祈っている。 ホルス」
(キャプテン・ホルス、貴方が一番の恩人なのに・・・。いつかまた会ったらお礼を言います。本当にありがとう!)
 徹は、子どもをあやしているホルスを思い浮かべた。

 当日、二人の結婚式場になった明禅館の小広間はたくさんの薔薇で飾られた。
 結婚式はささやかなものだったが、これまでに二人と縁があった人々が参列している。戸籍課の課長・梨田守もいる。

 祝福役は、玄洋帝自らが買って出た。彼も、亜矢の一途さを見守ってきた一人である。

 それから、ライランカのクファシル公卿。アイユーブ警察学校の前校長・加賀篤史警視正の今の姿である。
(ファーニャ、春野君の願いが叶ったぞ。君も今、見てくれているね。・・・)

 ライランカ警察本庁所属、レオニード・カンザキ警部。亜矢の警察学校時代の同期生である。当時の名は、神崎リュウ。

 海洋警察長官シオン・マーベラス。亜矢の現在の上司だ。彼は亜矢に言った。
「おめでとう。遂に君の苦労が報われたな。海洋警察に入った時の約束、覚えているだろうね?これからは、本庁で後進の指導に当たってもらいたい。
そして・・・烏丸君だったね、君を海洋警察にスカウトしたいのだが、どうかね。やってみないか?」
「えっ?僕でもいいんですか?!」徹は驚いた。
「我が海洋警察は、常に優秀な人材を求めている。これまでは多少過剰防衛らしきこともやったらしいが、長いあいだ一般商船を守ってきたのだろう?それは功績に値する。
 君ならばおそらく筆記試験さえ通れば、少なくとも巡査試験くらいには受かるだろう。受かったら、是非うちに来てくれたまえ。歓迎するよ。」
「マーベラス長官・・・ありがとうございます。」亜矢が応えた。
「どうする、徹?」
「その筆記試験、受けさせていただきます。彼女と少しでも一緒にいられるのなら。」
 即答だった。

 大型商船ボイド・ポセイドン号の船長のシャルル・ボワール。徹が記憶喪失になった時、用心棒として雇ってくれていた人物だ。
「あの海賊の話は本当だったようだね。」彼は言った。
「今度会ったら、友として迎えてもいいな。向こうが良ければの話だが。」

 今井はるか警部。元の名は桔梗。彼らの幼馴染みにして同じ忍び仲間だった。今では、アイユーブ警察学校で教鞭を執っている。彼女もまた、亜矢を抱きしめて喜んだ。
「おめでとう!とうとう願いが叶ったのね。セルジオと滝田警部からも、よろしく伝えて欲しいって。」
「あれ?どうしてセルジオって呼び捨てなの?」
 亜矢がわずかに違和感を感じて尋ねると、はるかはクスッと笑った。
「実はね・・・彼とは婚約しているの。貴女達と同じように、私も今、とっても幸せなのよ。」

 玄洋帝が祝福の言葉を述べ、宮部淳一と小久保美穂が指輪を運んできた。徹と亜矢は、お互いに相手の左手薬指に指輪を差し込んだ。ここに、また一組の幸せな夫婦が誕生したのだ。

七.臨時同窓会

 結婚式のあと、玄洋帝の計らいで式場はそのままアイユーブ警察学校の同窓会々場となった。かつてのアイユーブ警察学校の関係者が六人、これだけ揃うことはまずないであろう。
「みんな、元気そうで何よりだ。特に、春野君の夢が叶って結婚に至ったことは、誠に喜ばしい。更に今度、宮部君と小久保君のあいだには、子供が産まれるらしい。
 本当におめでとう!乾杯!」
 クファシルが乾杯の音頭を取った。

「はるか、セロさんと婚約してるって言ったわね?本当なの?」
 亜矢が問いただす。そのことは、同じくアイユーブ警察学校に残って指導している滝田光昭にしか伝わっていなかった。
「えぇ。でも、みんなに知らせる機会がなくてね。申し訳ありません。」
 はるかは謝った。
「しかし、良い機会ができたじゃないか。これで警察学校関係者の結婚は私も含めて五組目か。とても感慨深い。この際、馴れそめを聞かせてくれたまえ。ここにまだ一人独身が残っている。」
 クファシルはレオニードの肩をたたきながら言った。
「クファシル殿下、そんな・・・困ります。」
 レオニードは俯いた。
「レオ、君もそろそろ結婚適齢期じゃないか。大いに参考にしたまえ。幸せは多いほうがいい。今井君も、何かきっかけがあったのだろう?」
「はい。実は・・・。」はるかは語り始めた。

 はるかは三年間の派出所勤務を終えて、警部資格試験に合格、再びアイユーブ警察学校に指導官として戻った。セルジオ・ツジムラと滝田光昭が喜んで迎言うまでもない。始めは、やはり同期生同士の付き合いだった。
 それが、およそ半年前、ある日曜日の昼に三人で食事をしようという話になり、街中を歩いていた時のことである。微かな声が聞こえた。
「誰か・・・助けて・・・」
 声がしたほうに走っていくと、一人の女性が川に流されている。前の晩に降った雨のせいで川は濁り、流れも幾分か速くなっていた。はるかが咄嗟に飛び込み、セルジオと光昭は、たまたまそばの消防用具箱に入っていたロープを取り出して投げ、流されていく二人を追いかけて走った。
 はるかは、女性の体を捕まえてロープを巻きつけた・・・と、そこまでは記憶にある。

 目を覚ましたのは、何故か病院の手術室だ。医師と看護師に名前を呼ばれていた。起き上がろうとすると、後頭部と右脇腹が痛い。
「痛っ!」
「お、気がつきましたか!よかった!」
 医師が笑顔を見せる。
「意識が戻れば、もうここから出られますからね。」
看護師が優しく声をかけ、彼女をストレッチャーごと運んでいく。灰色の扉を抜けたとき、聞き慣れた声が聞こえた。
「はるか!」
 セルジオが横にいた。
「手術は無事に終わりました。あとは快復を待つだけです。」
 医師が言った。

 はるかは病室に運ばれ、セルシオがそのベッドのそばの椅子に腰掛けた。
「セロさん・・・私、どうして・・・?」
「君は、川で女性にロープを括り付けたあと流木に後ろから激しく打ちつけられて意識を失ったんだ。たまたま岸辺に引っかかったところを、滝田さんと僕で引き上げて、女性と君を救急車に乗せて、ここに運んでもらった。君は脳振とうを起こし、右脇腹に木が刺さって緊急手術したんだ。」
「そうだったの。それで、あの人は?」
「無事だ。少し水を飲んだらしいが、かすり傷一つなかったそうだ。」
「良かった・・・。」
「まぁ、な。でも、君が緊急手術だろ?心配したよ。」
「だけど私、しくじったのね・・・。怪我して意識を失うなんて。」
「今井君、君は人を助けたんだ。名誉の負傷だよ。
 それから、君に一つ謝らねばならないことがある。家族でなければ付添はできませんと言われ・・・。僕は君の婚約者だと言ってしまった。」
「えっ?どうして・・・?私、一人でも平気なのに。貴方だって知ってるでしょ。」
 セルジオは、彼女を見つめた。
「セロさん?」
 彼は、思い切って言葉を吐き出したようにみえた。
「君のことが放っておけなかった。助け上げたとき、君の体は軽かった。そのとき僕は、君が女性だということに気が付いてしまったんだ。意識を失っている時の君を見たら、とても帰ることなんてできなかった・・・。はるか、僕の婚約者になってくれ!」
 セルジオは、彼女の左手を取って、薬指に口づけた。それは、オルニアにおいては婚約の証だった。
 はるかは驚いた。
「セロさん、むやみにそんなことしちゃいけないわ。」
「むやみじゃない。僕はもう君を愛してるんだ!これからは名前で呼んでくれ。」
 彼は、さらに指を絡めた。

 それからセルジオは、彼女が退院するまで毎日、仕事帰りに通い続けた。彼女の怪我は完治まで一ヶ月を要するものだった。
(彼はただ怪我人の私を励ましてくれているだけなのよね。でも、それでもいい、今だけでも甘えていたい・・・。)
 いつしか、はるかはそんなふうに思うようになっていた。彼に手を触れられていると心が温まるのだ。
 もちろん光昭も見舞いに来てくれるが、セルジオの時とは明らかに何かが違う。
「セルジオは、本当に君を心配している。あれは本気だ。」
 光昭にもそう言われた。光昭自身は、あの当時から妻子持ちだった。既婚者だからこそ分かる勘がある。
「でも、まさか。」
 その時のはるかは本気にしていなかった。

 そして、退院を一週間後に控えた頃には、もうほぼ傷も癒えていた。
 セルジオが現れる時間に、彼女はわざと屋上庭園に行った。できればそのままやり過ごすか、他に人がいない場所ではっきり断ろうと考えたのだ。
 しばらくすると、セルジオが彼女を探してやって来た。
「ここにいたのか。」
 彼は近づこうとする。彼女は距離を置く。
「はるか?どうした?」
「セロさん、私、もう大丈夫だから・・・。もう恋人の振りしなくていいから・・・。元に戻りましょ。」
 彼女は後ろを向いた。涙を見せまいとしたのだ。後ろから、彼の声が聞こえる。ゆっくりとした声だ。
「はるか、僕は本気だ。愛してるんだ!君が動けないうちに告白するのは、男として卑怯だと思い、愛の言葉や口づけは控えてきたけれど、君もわかってくれていると思っていた。意外だったよ。君でさえも自分のことはわからないんだね。
 お願いだ、こっちを向いてくれ。近づくのを許してくれ。はるか、愛してる!」
「セルジオ・・・。」
 まるで箍が外れかのように、はるかの心はセルジオに流れていった。彼女は振り返った。一瞬で抱きしめられ、唇を奪われた。彼が、再び自分の左手薬指に口づけするのもそのまま許した。
「私で、良いのね・・・。」
「君じゃなければ嫌だ。」
 彼の胸は温かかった。

「・・・。」
「感想はどうだ?」
 話にすっかり聞き入っていたレオニードは不意を突かれた。クファシルだった。
「誰しもが通る道だ。君も自分一人のことを考えてくれ。」
「加賀警視正・・・。」

八.閉ざされた藍色

「僕には恋することが遠く感じられてならないのです。結婚することが怖い・・・。」
 レオニードは、うつむき加減で話し出した。二人はあのあと、レオニードの両親に会いに行き、今はライランカに帰る船のデッキで潮風に吹かれている。
「両親にも、お前いつ結婚するんだと言われましたが、僕には人を幸せにする自信がないのです。
 ライランカ人と結婚しても、僕はきっと相手の髪を見て、昔のつらさを思い出してしまうでしょう。そうかといって、もし他国の人と結ばれたら、また混血児が産まれる・・・僕は自分の子供に同じ苦しみ悲しみを味あわせたくないのです。でも、僕を産んでくれた両親には、とてもこんなことは言えません。」
 クファシルは黙って聞いていた。そうか、君はそんなことを考えていたのか。手抜かりだったな・・・。
「みんな、僕を追い越していきます。子供の頃からそうでした。いつの間にか友達同士で食事していたり、旅行していたり、僕が知らない人と愛を実らせていたり、普通に生活している。それぞれに姿を変えていきます。
 だけど、僕には何故かその普通の生活ができないまま、月日だけが過ぎていくのです。
 混血児だからとひねくれるのも大人げないし、僕は僕なりに誇りを持って生きてきました。でも、やはり過去は捨てきれずに追いかけて来る。みんなを見ているのがつらい時もあります。
 警視正もファイーナ様も、僕には分け隔てなく接して下さいました。また永遠に目上の方でもあります。だから、お話ししています。」
 レオニードは、船に切り裂かれ大きくなっては消えていく波のうねりを見ていた。
 クファシルが口を開く。
「そうだったのか。今までそこまで考えが及ばず、すまなかった。話してもらえて嬉しいよ。それだけ信じてもらっているということだからね。
 それにしても、普通の生活というのは一体何だろうね。私だって、ファイーナを愛するようにならなかったら、何事もなくそのままオルニア警察の制服を着続けて生きていくつもりだった。君たちの卒業式の朝、私は万感の思いで袖を通したものだ。しかし、悔いはなかった。
 人を愛するということは、全てを超えることなのだ。君にも、そのうちに分かる時が来る。何故なら君も今井君の話に引き込まれていたのだからね。」

 ライランカに帰ったレオニードは、アレクセイの勧めで、それから数ヶ月後に行われた警視資格試験を受けて合格、それを機に本庁宮廷警護課に課長補佐として転属になった。
「これからは、ここで後進の指導に当たってくれ。また、時々僕と立ち会うことで、一層の効果が期待できるだろう。それに、僕ももっと君と話したいしな。やっと念願が叶うよ。」
 アレクセイはそう言ったが、実はこれには他に二つの意図が隠されていた。アレクセイとレオニード、二人の友情で孤独を緩めることと、レオニードの嫁探しのためだ。警護官になれば、王族の警護であちこちに行くことになる。つまり、派出所にいるよりはずっと行動範囲が広がるのだ。

 レオニードが宮殿内の警護官詰所に赴任して来ると、警護官たちは次々と彼に打ち合いを申し込んできた。
「是非ともお願いします、レオニード警視。」
(警視、か・・・懐かしい役職名だ。)
 アイユーブ警察学校においては、警視といえばソフィア警視・・・ファイーナ姫のことだった。これからは自分がそう呼ばれるのかと思うと、誇らしい反面で気恥ずかしくもあった。

転属して二ヵカ月ほど後のことだ。アルティオ上帝の警護で、彼は栽培技術研究所に同行した。極北のライランカにおいては農業栽培研究も重要課題である。
「ここは、各国からの帰化人も多い。これはと思った者を招いて来てもらっている。途中帰化の者は、みな顔見知りだ。」
 アルティオが言った。レオニードたちがそうであったように、途中帰化するには皇帝直々の許可と手続きを必要とする。帰化する者たちは全てその時に皇帝と面会することになるのだ。
 そのうちに何だか懐かしい香りが漂ってきた。
「上帝陛下、こちらをどうぞ。アップルティーでございます。」
 一人の女性がティーセットを持って来た。アルティオとレオニード、随行した農林局次長、もう一人の警護官に茶を配る。
「あぁ、懐かしい香りだ・・・。」
 レオニードが思わず漏らした言葉が聞こえたらしい。その女性が彼に声をかけた。
「あら、貴方も帰化された方なのですか?」
「はい。そうなんです。オルニアの籠野市出身なんですよ。」
「あら、私も同じです。」
「そうですか!」
 彼は、懐かしさでいっぱいになった。

「ここは、本当に良いところです。でも、この国は閉ざされてもいますね・・・。」
 彼女は他の人には聞こえないように言った。
「幼い頃、近所にオルニア人とライランカ人のご夫婦がいらして、お二人のあいだにはお子様がいらっしゃいましたが、髪が緑色で、お友達も少ないようでした。ライランカの方々はあまり国外にはいらっしゃいませんから・・・。寂しかったんじゃないかと、今でも思います。その子、たしかリュウ君、って言ったかしら。」
「えっ?!それ、僕です!」
「えっ?貴方、リュウ君?」
「僕の元の名前は神崎リュウ。貴女のお名前は?」
「私、あゆみよ!吉川歩きっかわあゆみ!まさかリュウ君だなんて!」

「なんだか話が弾んでいるようだね。知り合いかな?」
 アルティオが二人の会話を聞きつけた。
「あ、上帝陛下!申し訳ございません。どうやら彼女は僕の幼友達のようです。」
「そうかそうか。それならばしばらく話していなさい。私は、他の部署を回ってくるから。」
「は、ありがとうございます!」
 彼は敬礼した。アルティオは他の人たちと他の部屋に移動していった。

「驚いたよ、歩ちゃんがライランカ人になっていたなんて。」
「私も。あなたも帰化していたのね。あ、私の今の名前はエカテリナ・キッカワ、愛称はカーチャね。」
「僕はレオニード・カンザキ。レオって呼ばれてる。見ての通り、宮廷警護官だ。オルニアの警察学校でたまたまファイーナ様と出会って、連れてきていただいたんだ。本当に懐かしいな。君はどうして帰化したの?」
「私は、家族ごと招かれたの。リュウ君、覚えてるかなぁ、うちの父が林檎栽培の研究者だったこと。」
「そういえば、君のお父さんは何かの学者さんだったような・・・。それでか。」
 彼女とは、家が近所でよく遊んでいた。彼が十歳頃、彼女の家族はどこかに引っ越して行ってしまった。当時の彼には行き先が判らなかったが、まさかライランカだったとは・・・。
「うん。それにしても懐かしいな。今度、遊びに来て。父と母もきっと喜ぶわ。住所はここ。」
 彼女は紙に住所をメモして渡した。
「どうもありがとう。それじゃ、今度の非番が土曜日なんだ。昼過ぎに行っていいかな?」

九.頭もたげる獅子

 約束の土曜日、レオニードは、エカテリナのメモを頼りに彼女の家を訪れた。
 先方では、彼女とその両親、弟のイリヤが待っていた。
「こんにちは。レオニード・カンザキです。」
「こんにちは。ようこそ。エカテリナの父、エヴゲーニーです。娘から聞いて驚きました。まずは中へ。」
 彼女の父親らしき人物が出迎える。家の中には、オルニア料理の香りが漂う。おそらく彼のために用意をしてくれているのであろう。

「リュウ君、大きくなったね。君のことは覚えているよ。ご両親はご健在かね?」
「はい。お蔭様で二人ともまだ警官として働いております。」
「それは何より。お父さんとは、散歩の時によくお会いしていたからね。もっとも、君のお父さんはパトロール中だったが。親の職業を継ぐなんて、君は親孝行だね。それに引きかえ、うちの子は・・・。」
「お父さん!」
 部屋に入ってきたのはエカテリナだ。
「リュウ君は、久しぶりに来てくれたのよ。いきなり愚痴を聞かせるなんて!リュウ君、ごめんなさい。父は、この頃いつもこうなのよ。」
「いや、かえって仲が良い証拠ですよ。僕も、むやみに帰ったりすると怒られます。だから、手紙を書くんです。」
「君のお父さんは厳しそうだったからな。今でも顔が思い浮かぶ。でも、それだけに優秀なのだろうね。」
 そこへ、母親のマリアと弟のイリヤも入って、いろいろ懐かしい話をした。そして、お互いに何故ライランカに帰化してきたのかも。
「そうすると、君はアレクセイ帝陛下とも親しい訳か。」
「そうですね。友達づきあいをさせていただいてます。そのために呼ばれたようなものですから。とても気さくな方ですよ。」
 レオニードは、少し不思議に思った。彼女のお父さんは、やけに話しかけてくるけど、学者なのに元からこんなに話好きなのだろうか・・・。
 それに、肝心のエカテリナは、不思議なことに初めは話に加わっていたものの、だんだん奥に引っ込んであまり出てこなくなった。

 彼が不思議そうな顔をしたのを認めたのであろう、エヴゲーニーが急に声を潜めてこう言った。
「・・・実は、カーチャは一度乱暴されたことがあるんだ。それ以来、男を怖がるようになってしまった。幼なじみとはいえ初対面の男に、よく住所を教えたものだと思っていたが、今日いろいろ話してみて理由がなんとなくわかったような気がするよ。君には包容力や冷静さを感じる。また、君もどこか恋愛を怖がっているようなところがあるね。あの子は、自分と同じものを君にも見つけたのではないか、と思う。」
「彼女が・・・。」
 レオニードは愕然とした。上帝たちに茶をふるまったあの時の彼女は明るくて、とてもそんなふうには見えなかったのだ。
「もしよかったら、娘と付き合ってやってはもらえないだろうか。君はどうやら頼りになる男のようだ。」
 レオニードは、しばらく考えて答えた。
「僕で良ければ、お付き合いさせていただきたいと思っています。今日も、半ばそのつもりで来ました。
 でも、それにはまず彼女自身の気持ちを確かめてからでなければなりません。今伺ったお話のあとでは尚更です。」

「立ち聞きはいけませんよ、カーチャ。」
 母親の声が聞こえた。レオニードとエヴゲーニーは一瞬凍りついた。エカテリナが母親に付き添われて入ってくる。
「カーチャ、お前、今の話を・・・。」
 エカテリナは、かすれた声で言った。
「聞いてたわ・・・。」

「でもお父さん、お父さんの言った通りなの。私、彼なら愛することができるかもしれない、って思ったの。あの事件の前からのお友達だから。それに、頼れそうなところがあって。」
「カーチャ・・・。」
 エヴゲーニーは娘を抱きしめた。
「カーチャ、僕で良いんだね?」
 レオニードが言った。彼女は、父親から離れて頷いた。
「慌てることはない。ゆっくり行こう。まずは、僕をレオって呼ぶところからだ。それから、僕は非番の日に時々ここに来る。それ以外は手紙の交換。いいね?」
「うん。」
 彼女は、少し笑顔を見せた。

 家を出たところで、彼はイリヤに呼び止められた。
「レオニードさん・・・。姉のこと、どうかよろしくお願いします。それが言いたくて。」
 イリヤは深々と頭を下げた。
「まー君、いやイーリャ、僕は自分の意思で君のお姉さんとのお付き合いを決めたんだ。それ以外の理由はないよ。でも、この恋はきっと成就させてみせる。僕を信じてくれ。それから、僕のことは、レオって呼んでくれていい。」
 もはや彼に迷いはなかった。彼女を幸せにしたいと心から思った。
(ただ、手順をひとつでも間違えたら取り返しがつかなくなる。慎重にいかなくては。)

十.飛び立て!

 海洋警察の本部は、海洋貿易国・カレナルドの港湾都市ポルテアスルにある。
 亜矢と徹は、ポルテアスル市内に新居を構えた。賃貸アパートメントの一室だ。この国では、都市部に暮らす者はほとんどがアパートメント暮らしである。それが一般的なのだ。

 徹は、しばらくのあいだ警察官試験の勉強に専念することになった。
 もともとは忍びである。大概のことはすぐに習得できるはずだが、法律についての知識となると、一筋縄ではいかない。
「私だって、警察学校でかなり厳しくやられて、一年かかったんだから。覚悟しときなさいよ。」
 亜矢は笑った。目の前には、最愛の人がいる。幸せいっぱいだった。
「でも、それは一度に警部レベルまで教えていただいたからみたいだけどね。巡査だからって侮っちゃ駄目。満点を取る気でやらないと通らないから。・・・もっともこれは、ファイーナ様からの受け売りなのだけれど。」
「ファイーナ様って、どんな方だったんだ?お顔は知ってたけど。」
 徹も忍びとして各国要人の顔は頭の中に入れてはいたが、実際に会ったことなどない。
「そうね。法律学の講義の時は厳しくて、週末テストで良い点を取らないと、日曜日の自由時間は無しで居残りだった。今から考えると、その厳しさも、訓練生みんなが筆記試験では困らないようにわざと作られた厳しさだったのね。
 でも、それ以外の時間は気さくに話しかけて下さった。他の訓練生は身元を知らないから、当たり前だったかもしれないけど、私と桔梗にはとても優しい方だと思えた。
 本当に惜しい方をなくしたわ。当時の校長だった今のクファシル殿下とも愛し合っておられてね。お幸せそうには見えたけれど、きっとお命の短いことには悲しまれていたと思う。クファシル殿下は、その悲しみをすべて受け止めて癒されていたに違いないわ。私たちは、そのファイーナ様とクファシル殿下の教え子。そう思うと、また胸が熱くなってくる。」
 亜矢は温かかったファイーナを偲ぶ。
「だから、貴方も試験は一発合格して。それから先もあるんだからね。」
「先?警部にかい?」
「そう。巡査で三年の実地勤務のあと、初めて警部の資格資格が受けられる。警部になると、指導官にもなれる。それが当面の目標ね。」
「ずいぶん先の長い目標だね。だけど、頑張ってみるよ。でないと、恩人たちに申し訳が立たない。」

 徹はその年、国際剣術認定試験を受けて、警察官級剣士の資格を取得した。そのとき試験官になったのは、警視になったばかりのセルジオだ。
(さぁ、かかってきたまえ。君が春野君を幸せにできる男かどうか見てあげよう!)
(ここで負ける訳にはいかぬ。亜矢のためにも!数多くの恩人たちのためにも!)
 本当に激しい戦いだった。素人ではとてもではないが見ていることさえ追っつかない速さで打ち合う。少しでも隙を見せたほうが負ける・・・互いに強く感じた。やがて、相手の手腕を見極めたセルジオは木刀を収めて、審判員たちに彼の腕を保証した。

 試合後、控え室に戻ると、セルジオが徹に話しかけた。
「先程は失礼した。さすがは春野君の旦那様だ。」
 徹は驚いた。亜矢は、どこまで顔が広いのだ。
「亜矢をご存じなのですか?」
「私は、セルジオ・ツジムラ。アイユーブ警察学校で春野君と同期だった者です。実を言えば、剣術試験において現時点で『警察官級剣士』の試験官を務められる者は、我々の同期生しかいないのです。貴方のことも知っていました。更に私は、今井はるか=貴方もご存じの桔梗の婚約者です。」
「では、貴方が桔梗の婚約者でしたか。お話は伺いました。どうか、桔梗のこと、よろしくお願い致します。彼女にも、どうかよろしくお伝えください。」
 二人は固く握手を交わした。
「できれば、今後は友になっていただきたいが・・・。」
「それはもう、喜んで!」

 そして、彼は晴れて黒い剣を下げることを許された。
 しかしこの日は、黒い剣は用意されておらず、とりあえず白い剣が授与された。
 玄洋帝から黒い剣の製作依頼を受けた科学者・周公沢は、嬉しそうに困って見せた。
「また作るんですかいな。まぁ、今回は一本だけやさかい、わしにもまだ作れますやろうけど。今後は章英に引き継いでもらうしかありまへんな。それにしても一発合格とは、さすがに亜矢はんの旦那はんや。そりゃもう、わしも精魂込めて作らしてもらいますよってに。」

 更に九月、徹は巡査資格試験にも合格した。海洋警察本庁で行われた任命式で、徹の制服姿を見た亜矢は感動して涙ぐんだ。
「君は、いつからそんなに泣き虫になったんだい、警部殿?」
 その夜、徹は笑って彼女のおでこを突っついた。
「いつぞやの時は、本当に殺されるかと思ったよ。」
「もうっ、いじわる・・・!」

 間もなく彼の最初の護衛任務が知らされた。
「なんだって?!ボイド・ポセイドン号?」

 彼は、指導役のヨセフ・ヤン警部、先輩のメイプル・ジョンソン巡査と共にボイド・ポセイドン号に向かった。船長シャルル・ボワールは、笑顔で彼らを迎えた。
「いやー、よく来て下さいました。この船はこれまで自警団で守ってきましたが、これからはあなた方海洋警察に護衛をお願いすることにいたしました。今後ともどうかよろしくお願い致します。」

 他の二人の手前、船長はこう挨拶したが、数時間後に徹と二人きりになる機会ができると、親しげな笑顔を見せた。
「久しぶりだね。とにかく元気そうでよかった。その制服姿も似合っているよ。君が海洋警察官になったあかつきには、初めての護衛任務は是非うちにと、マーベラス長官にお願いしておいたのだ。」
「あぁ、それで・・・。初めての警護船がこの船だと知った時は驚きましたよ。そういうことだったのですね。ありがとうございます、船長。船長から受けたご恩は生涯忘れません。また、我々の結婚式にも来て下さって。」
「いやいや、乗組員だった君が本当に幸せになったかどうかを見届ける義務も私にはあったからね。
 それに、その時にマーベラス長官の知己を得たことも、有意義だった。」
「しかし、自警団のみんなは、どうしました?姿が見えませんが。もうこの船にはいないのですか?」
「うん。皆には君と同じ道を進んでもらうことにしたんだ。今頃は、海洋警察の訓練所でしごかれてるんじゃないか。」
 シャルル船長は、ほくそ笑んだ。
「そうだったのですか・・・。でも何故?そのままでもよかったはずでは?」
「私ももう若くない。後を継ぐ子もいない。この船は、いつまでもこのままというわけにはいかないのだ。そうしたら、皆の生活は誰が面倒を見るのか、と思ってな。海洋警察なら、生活は安定する。君が良い手本になってくれたのだよ、烏丸君。」

 最初の任務を終えて帰った彼に、亜矢は自分が身ごもっていることを告げた。四ヶ月だった。


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