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ルシャナの仏国土 覚者編 28-30


二八.精霊たち


 ライランカ大陸中央の青き湖に住む守護精霊テティスは、時のアガニョク王国の女王オレーシャをテレパシーで呼び出した。宮殿は湖を取り囲むように建てられていて、王族は直ぐにテティスと会うことができる。
「レーシャ。もうすぐ一人の覚者が、仔獅子を伴い、巨大鳥に乗ってここにいらっしゃいます。丁重にご案内して下さい。」
「覚者・・・初めて聞く名称ですね。どのような方なのですか?」
「生きたる覚者ルシャナ様。得難い教えを説く方のことです。」
「わかりました。それでは私がお出迎えいたしましょう。すぐなのですか?」
「えぇ。あと十分後くらいですね。」
「大変!失礼します!また後ほど!」
 オレーシャは慌てて湖畔宮殿の中を走り抜けた。

 ルシャナたちは、極北にあるライランカ大陸に近づいた。人口は四千五百万しかない。少人数な分だけ、全体がまとまるのも早かったが、それも当時はまだ言語体系の異なる二ヶ国、アガニョク王国とクスコ王国とに分かれていた。国の状況としてはカルタナとよく似ているが、大きく異なる点が二つある。
 一つは、二つの民族は共に法力の影響を受けて藍色の髪となり、外見上は見分けがつかないものの、互いに言語体系が全く異なっていたこと。
 もう一つは、精霊信仰の厚いクスコの人々は、守護精霊が降り立った湖を有するアガニョク王国を尊重しており、言葉もアガニョク語を半ば公用語化していたことである。ただクスコの人々は、子供たちにはクスコ語由来の名を付け続けた。それは落日の王国の最後の輝きなのかもしれない。
「ライランカ大陸が一つになるのは、もはや時間の問題でしょうな。」
 ガルーダの言葉に、ルシャナは応えた。
「どういう形であれ、戦なく統一されれば幸いだ。空しき区分けたる国のために人々が命を落とすのは悪しきことである。」

 ガルーダは、ルシャナの指示で伝説の湖の傍に降り立った。目の前には、大きな宮殿が建っていて、湖に向かう彼らを遮る。
「私は生きたる覚者ルシャナ。カルタナの地より、法理を説きに来た。国王に会わせよ。」
 警護官が門前払いしようとしたその時、正面玄関から走って出てきた者がいる。警護官は慌ててその人物に近寄って庇う様子を見せた。
「女王陛下!今は怪しき者がおります!どうか中へ!」
 しかしその人物はこう言った。
「心配ない。私も先ほど守護精霊テティス様から聞いたばかりなのだが、このお方は、遠き地より尊き教えを聞かせに見えたのだ。テティス様ともお会いになる。」
 オレーシャは、国王の立場である時は男勝りの言葉遣いをする。しかし、ルシャナに向かっては丁寧語で言った。
「この地を治める国王オレーシャです。つい今しがた守護精霊テティス様から、覚者様がお越しになると伺ったばかり。急なことでおもてなしも行き届ませぬが、どうぞ中へ。テティス様がお待ちでございます。」
 ルシャナは応えた。
「オレーシャよ。私は生きたる覚者ルシャナ。因縁によって法理を知り、それを説きに来た者である。
 この巨大鳥はウユニのガルーダ。仔獅子はアルリニアのシースー。共に精霊である。」
 ガルーダはまた小さくなってルシャナの肩に乗った。

 オレーシャは、ルシャナたちを湖のテティスのところまで案内した。ルシャナは錫杖の底で軽く地面を打った。無数の香りたつ花びらが舞い、心地よい旋律が聞こえる。テティスは跪く。
「生きたる覚者ルシャナ様。私は、これまでずっとこの地を守ってきました。今もその決意は変わりません。ですが、心の奥底では悔いが矢の如く突き刺さっていて、自分では取り去ることが出来ずにいるのです。
 どうかあなた様のお力でこの苦しみから私をお救い下さい。」
 ルシャナは応えた。
「テティスよ。何人も私には跪く必要はない。そなたを救うのは私ではなく、他ならぬ法理なのだ。
 これだけは言っておく。そなたが精進し続けてきたことによって、すでに良き種が生じて芽吹いている。やがては必ずそなたの心に刺さっている強い悔いを取り除き、願いを叶える存在が現れる。その時を待て。
 テティスよ。ガルーダよ。シースーよ。オレーシャよ。私はこれより広場に行き、より多くの人々に法理を説く。宇宙のことわりや六波羅蜜、坐禅の実践のことなど全てを聴き、それらを会得できるように努めよ。」
 そして彼は広場に行って、集まってきた多くの人々を前に法理を説き、その夜を坐禅三昧で過ごした。極北の澄み切った星空の下で、法理の光がルシャナから放たれるのを人々は見た。全てを優しく柔らかく包み込む希望の光は、太陽がそれを目立たなくするまで人々を照らし続けた。

 朝になると、人々はそれぞれがいるべき場所に帰って行った。
 オレーシャが侍女たちを伴って戻って来て、ルシャナと精霊たちに花と聖水と食事を供する。
「ルシャナ様にお尋ねしたいことがございます・・・。
 実は、私はかねてからクスコ王国のシルベスタ国王から求婚されています。しかし、シルベスタは私を愛してはいません。ただクスコ民族の存続のために私との結婚を望んでいるのです。」
 ルシャナは、カルタナのエーベルハルトのことを思い出した。しかし今、私が観るに、そのシルベスタの心は澄んでいるようだ・・・。
「それならば、三日後の夕方に私を迎える食事会を開くと言って、シルベスタを招きなさい。そして私の指示通りにしてごらん。」

 三日後、シルベスタ国王は約束の時刻の一時間前に湖畔宮殿に到着した。湖畔宮殿のゲストルームの窓からは湖が見える。
「あれが守護精霊が住むという湖か・・・。守護精霊様とは、一体どのような方なのだろう?」
 そう思って眺めていると、オレーシャが湖のほうに向かって歩いていくのが見えた。
「はて・・・。これから食事会があるというに、何故湖に行かれるのだろう?」
 シルベスタは彼女のあとを追った。彼女は、そのまま湖の中に入っていく・・・。
「何をなさる?!まさか入水でもされるおつもりか!」
 シルベスタは慌てて彼女の体を掴んで引き戻そうとした。彼女はその手を振りほどこうとしながら叫んだ。
「お離し下さい!ルシャナ様から、貴方と結婚したほうが良いと言われました。でも、貴方と結婚するくらいなら、死んだほうがましです!」
 彼女はどんどん深みを目指す。もうあと少しで口元まで水が来るところだった。シルベスタは彼女を懸命に引き戻そうとしながら言った。
「愛するレーセニカ!そんなに私のことがお嫌いなのですか!」
 オレーシャは叫んだ。
「貴方が私との結婚を望むのは、我が国がクスコを滅ぼさないようにするため!そんな理由では受け入れられませんわ!」
 しかし、彼は腕の力を緩めなかった。
「レーセニカ!貴女は私をそんな風にしか見ておられなかったのですか?私が貴女にこんなにも心奪われているというのに!幼い頃から数知れず続いた外交行事の中で、私はいつしか妻は貴女しかいないと思うようになっていたのです。
 いや、私は決して貴女を諦めません!どうしても湖の底まで行くというのなら、私もこのまま貴女を離さず、共に沈みます!この命、喜んで貴女に差し上げましょう!」
 オレーシャは彼に捕まれたまま、さらに湖の深みに進んでいく。彼は死を覚悟した。・・・


 だが、何事も起こらない。さらには、オレーシャの声も聞こえるではないか!彼女は、水中でシルベスタに背中から抱きかかえられたまま、こう言った。
「国王様・・・いえ、シルベスタ。実は、この湖では人は死ぬことはありません。私は貴方が本当に私を愛しているかどうかを試したのです。貴方は、私の心を勝ち取ったのです。湖から上がって、口づけて下さい。」
 呆然としているシルベスタを、今度はオレーシャが岸辺へと引っ張った。

「実は、今度のことはルシャナ様の案なのです。私は貴方を疑っていました。ルシャナ様は、貴方の愛が本当に私への愛かどうかを、私に確かめさせたのです。」
 シルベスタは、やっと冷静さを取り戻した。
「そうでしたか。・・・ならば、改めて貴女に求めよう。私と結婚して下さい、レーセニカ!レーシャ!」
 彼はオレーシャを抱きしめて口づけた。

 ルシャナは、それを見届けて静かに旅立った。テティスだけがそれに気づいて見送った。
「どちらへ行かれますか?」
「カルタナに戻る。また会おう。」

 彼らが離れて五ヶ月後、オレーシャとシルベスタは結婚して国をひとつにした。こうして、ライランカは異なる二つの言語体系を内包する独自の文化を育むことになったのである。


<星法の書・宝華品ほうげぼん


 そして私は以下のような考えに至る・・・。

 ライランカで私が坐禅三昧を終えて立ち上がった時、シースーが尋ねた。
「ルシャナ様。おおよその生命体は何事もなく死を迎えます。なのに、私たち精霊は、何故殊更に手続きを必要とするのですか?さらに、同じ精霊でも、ガルーダ殿や私は肉体を持って他のものに触れて動かすことが出来るのに、テティス殿は幻影の如きです。精霊に何の違いがありましょうや?」
 私はその価値ある問いに答えた。
「そなたは、なぜ精霊たちに限って『魂帰しの儀式』が必要なのか、またテティスとそなた達とは何が異なるのかと問うているのだね。
 精霊とは、それぞれにとても強く思いを残して蘇った魂なのだ。寿命も三千年と長くなり、思いもますます強くなってしまう。故に、その思いを解くにはそれ相応の法力を注いでやらねばならなくなるのだ。
 特にテティスは精霊となって二千年の時を過ごしているが、心はまだ過去の強い思慕に覆われているために実体を保つ力をがれ、さらに法力溢れる湖から離れては魂を存続させることができない。心の働きは優れていても、精霊としては不安定な存在なのだ。始めから精霊獣として生まれたそなた達とはその点が異なる。・・・千里眼と千里耳を持つテティスよ。今の話を聞いていたであろう。よく気をつけておくのだ。」
 その時テティスが湖で跪いて涙していたのが私には分かった。
「それでは、私たちは皆生まれてから三千年後に帰されると?」
「その通りだ。・・・シースーよ。ガルーダよ。そなた達も同様に無限ではない。期限があると分かれば、そこまでは全力で走れるであろう。その時まで力を惜しむな。心を尽くし、また安んじながら懸命に生きよ。それが菩薩の生き方である。」
 ガルーダは涙を見せた。泣いたのは、生まれて初めてだった。
「ルシャナ様。鷹匠大会の時に教えていただいたことを、私は思い返しています。これより二千八百年のあいだ、私は常に全力を持って他の者の為に働き、菩薩の道を歩みましょう。」

 死は、生命体における区切りである。ゴールがわかっているならば、そこまではと思って全力で走ることが出来る。それが『生きる』ということなのだ。
 やがて時が来て、命が尽きると、また輪廻の輪の中に組み込まれて別の何者かとして生まれる。それこそが、宇宙のことわりの一つ『循環』である。全ての命は、その循環の中にいて、めぐり逢い、散っていく。今そこにある人や物は、全く同じ状態で集まることは二度とないのだ。

 それだから、人々よ。生きている間は懸命に諸々を慈しみ、思い切り走り抜け。この上なき喜び、宝たる法華は、その中にこそ在る。

二九.寂滅為楽じゃくめついらく

 ルシャナが自身の館に戻ると、クラリスと使用人たちはたいそう喜んで宴を開いた。旅立ってから半年が過ぎていた。
「クラリス。私はしばらくここで書を記述しようと思っている。そなた達には、寂しい思いをさせたと思うが、次の旅立ちまでは一緒に暮らしてやれる。皆もご苦労であった。」
 ルシャナは宴の席で妻と使用人たちを労った。ガルーダにも声をかける。
「ガルーダよ。そなたもよく私の旅に付き合ってくれた。そろそろウユニが恋しくなっている頃であろう。これからはもうそなたを何ヶ月も煩わせることはない。時々は遊びに来い。」
 ガルーダは即座に言った。
「ルシャナ様。貴方様のお側で見聞きした尊き教えは、私にとっても大きな宝となりました。また近いうちにお目にかかりとうございます。シースー殿。ルシャナ様やゆかりの方々のこと、どうかよろしくお頼み申す。」
 ガルーダはそう言い残して、翌朝帰って行った。


 シースーは、最初は周りの者たちからたいそう珍しがられた。カルタナには、獅子は生息しておらず、人々には彼女が犬のようにも、猫のようにも見える、未知の動物だったのである。しかし、彼女が人間の言葉を話す精霊獣だということはわかったので、それなりに尊重してくれた。それが、ガルーダや、今は無き瑠衣のお陰だということはシースーにも分かっていた。彼女は、ルシャナの娘のルイーザや近所に住む子供たちとよく遊んだ。

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