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ルシャナの仏国土 覚者編 7-9


七.進言

 七月、針葉樹林に覆われているナーデルは、緑の鮮やかさが増して、人々の心も浮き立つ。
 その中で一人、ジョセフだけが何故かずっとふさぎ込んでいた。母親のオリーヴィア妃に話しかけられても、生返事ばかりでまるでうわの空だ。
「ジョセフ、そなた何かあったのか?ここしばらく少しの笑みも見せていないではないか。父に話してみよ。」
 息子の異変を見かねたミヒャエルが、夕食後二人きりになったのを見計らって問い詰めた。
「実は オープストのユング内務大臣から、内々にお便りをいただきまして。ナターリア女王が近頃塞ぎ込んでおられるので、理由を尋ねたところ、私の顔が浮かんで消えぬと。思うに、これは貴方に恋をしてしまったのかもしれませんと書いてあったのです。
 私は、ナーデルを継ぐ者。他国の女王と恋をすることはできません。」
 ジョセフはそこで言葉を切って俯いた。

「・・・それで?」
 父王は息子の思いがけぬ報告に動揺しながらも、平静を装って再び問うた。
「ですから、これから何かの折には顔を合わせるであろう女王陛下にどう接していこうかと悩んでいるのです。」
 少しの静けさがあった。父は、息子に言った。
「そなたにも、ご婦人に対する時に男としてどう行動すべきかを常に言ってきた筈だがな・・・。とにかく女王陛下と直接お話ししてみろ。今のところは、内務大臣の推測に過ぎぬように聞こえるがな。
 そして、もし女王陛下のお気持ちがそなたに傾いていて、なおかつそなたも添い遂げようと思うようであれば、はっきりそう言え。中途半端が最も恥ずべき行為だ。ご婦人に対して失礼にあたる。特に相手は女王陛下なのだぞ。」
「しかし、父上!」
「それとも、そなた、ナターリア陛下では不足か?」
「め、滅相もありません!女王陛下は、お美しく、必死なご様子が放ってはおけないというか・・・。」
 ジョセフはなおも何か言おうとしたが、咄嗟には言葉が思い浮かばない。彼が言い淀んでいる間に、父王はナターリア女王への招待状を書き始めていた。

オープスト国王ナターリア陛下

 先日は、直接お目にかかることができ、たいへん有意義な時間を過ごすことができました。またこの度は、両国和睦の運びとなり、感涙を禁じ得ませぬ。
 ついては、両国間の平和条約を締結いたしたく、我が国領内の国境近くにあるベーレンドルフ伯爵家の中庭にて、女王陛下をお招きいたしたく存ずる。そしてもし可能であれば、そのまま三日ほどご滞在いただき、ゆるりと我が一族や国土のことをご覧くださると嬉しく思います。
 貴国はもはや我が国の友好国と考えます故、武装兵も幾人かお連れ下されても構いませぬ。ご都合の良い日時を教えてくだされ。

 ナーデル国王ミヒャエル

 翌朝この話をミヒャエルから聞いたヴォルフは、想定外の話にしばらく考え込んで、やがてやおら椅子から立ち上がり、国王の前に跪いた。
「ヴォルフ、如何した?」
「これより、甚だしくご無礼なお話を致します。途中で陛下のお怒りをかう可能性も考えられますが、どうか話の最後までお聞き届けいただきとう存じます。」
 彼は二つの策を提示した。
 一つは、ジョセフ王子と女王とが結婚には至らなかった場合・・・これまでの和睦政策の通りに平和条約を締結して、交流を重ねながら、両国がそのまま存続していく。
 もう一つは、その二人が結婚したいと希望した場合・・・ラオプ国王の承認を得た上で、二人を結婚させ、二つの国を一つにする。その際は、王位継承者をナターリア女王に定め直して、国の名を変更、首都もオープストの王都フロイデに定める。・・・

「待て!何故王位継承者をナターリア女王に代えるのだ?それに、国名と首都も変えるだと?そなた、祖国を何と心得る!」
 さしものミヒャエルも、この提案には憤りを見せた。それではナーデル側にとって家名断絶に等しいではないか!国王は内心、あわよくばオープストを併合してしまおうと考えていたのである。
「お怒りはごもっともでございます。臣下の分際で、王位の如何について触れることがいかに無礼で身分不相応なことかは、よく分かっております。
 しかしながら、もしお二人がご結婚あそばされ、そのままジョセフ様が国王となられた時、オープストの国民はどう思うでしょうか。おそらく『ナーデルは女王を籠絡して我らから領土を奪い取った』『政略結婚だ』と感じるに違いありません。それでは国民の心に火種が生まれてしまいます。最悪の場合、内乱も起きるかもしれません。
 ここで、次の国王がオープストの女王陛下に定められれば、オープストの民は、ナーデルを自分たちと同じ君主を仰ぐのだと認めることになります。国名と首都を変えるのも、同様の理由です。
 先日、クラリス様にも申し上げたように、国とは人々が幸せに暮らすためにあるもので実体がない物でございます。人々の心が一つになって初めて国が成り立つのです。人の心を踏みにじるようなことがあれば、それはもはや国ではありません。
 そもそも第一に考えるべきは、ジョセフ様と女王陛下のお気持ちでございます。ご結婚は、あくまでもお二人のお気持から望まれたものでなければなりません。ジョセフ様がもし本当に女王陛下をお思いになるのでしたら、王位が女王陛下に移ることなど、何とも思われぬ筈にございます。
 また、お二人のあいだに生まれるお子様は、ナーデルとオープスト双方のご血統を引き継ぎます。ナーデル王家の血は、新しき国の中に存続していくのです。
 また、ラオプ国王のご承認も取らねばなりません。その際、決してナーデルがオープストを併合したと思われてはならないのでございます。
 国王陛下におかれましては、何卒ご再考のほどを・・・。
 私は今日、甚だしくご無礼なことを幾つも陛下に申し上げてしまいました。これよりしばらくのあいだ、自室にて謹慎致します。」
 ヴォルフは、そのまま下がった。

 その日から半月間、ヴォルフは要人が顔を揃える週二回の晩餐の席に姿を見せなかった。彼は一般兵と同じ食事を部屋に運ばせて、部屋に隠っていたのだ。
「最近、ヴォルフは顔を見せませんね。風邪でも引いたのでしょうか。」
 王族のみの時にアンネリーゼが尋ねた。ヴォルフが元来持っている聡明さと穏やかな話しぶりに加え、オープストと和睦が首尾良く進んでいることで、今では、王家の誰もが彼を信頼し、気にかけるようになっていた。
 ミヒャエルがヴォルフが謹慎した経緯を話すと、皆は一様に驚いてジョセフを見た。ジョセフは、ヴォルフが自分の意志を尊重してくれたのだと理解した。
「とにかく、今一度女王陛下にお会いしてみましょう。ヴォルフは、私が結婚してもしなくても、どちらでも良いように二通りの案を立ててくれたのです。まだ恋愛というものを経験してはおりませんが、確かにヴォルフの申す通りです。私も本当に恋をするのなら、王冠を捨てても悔いのない、そんな恋をしとうございます。」
 彼は言った。フレデリックは、冷静沈着な兄の口からそのような情熱的な言葉が飛び出したことは意外だったが、男たる者そうでなければならぬとも思うのだった。
「ただ、再会の折には母上やシャルロッテ、フレデリックにもいてもらったほうが良いかもしれません。」
「何故だ?」
「ナターリア女王陛下におかれましては、ご家族をすべて病で失ったばかりと聞いております。ご婦人方はご婦人方同士、親しくなっていたほうがよろしいでしょうし、私とフレデリックが同時にいれば、女王陛下にも二人を見比べる機会ができます。それによって、お気持ちをはっきりさせることがより容易になるかと。私もまた同じです。恋愛の相手として見るのと、そうでないのとは雲泥の差。それを見極めたいのです。ヴォルフは、私を尊重して、実によく考慮してくれたと思います。」
 ミヒャエルは、息子の言葉を聞いて、一時でもヴォルフに対して声を荒げてしまったことを悔いた。
 そうか、余は、ジョセフと女王の幸せに思い至るより先に、二つの国が一つになれれば、などと思ってしまったのだ。二国の併合を考え出してからの余は、いつの間にかジョセフの父親、平和を希求する国王ではなく、人をチェスの駒の如く扱う欲深き征服者に成り下がっておった・・・。

 翌朝、ミヒャエルはヴォルフが隠っている階下の部屋を訪ねた。ヴォルフは、国王が自ら臣下の部屋まで出向いてきたことに戸惑ったようである。
「国王陛下!わざわざお越しくださらずとも、呼びつけて下されば参りますのに。」
「いや、先日はつい怒鳴りつけてしまった故、謝ろうと思うてな。余は、ジョセフの心のあるのを忘れて、あらぬ考えをしていた。そなたは、そのことを言いたかったのではないか。申し訳なかった。引き続き、特命参与の務めを果たしてくれ。頼む!」
 ミヒャエルは、ヴォルフに頭を下げた。
「こ、国王陛下!おやめください!このようなところを他の者が見たら動揺いたします。臣下の部屋ではございますが、どうか早く中へ!」
 ヴォルフがそう言って国王を中に案内しようとした時、他にも三つの人影が扉の内側に飛び込んできた。ジョセフとフレデリック、それにシャルロッテだった。
「そなた達・・・!」
 驚く父と参与とに向かって、ジョセフが口を開いた。
「父上、この度のことは、もとはと言えば私の問題ではありませんか。私も話に加えていただかねば。」
 フレデリックは、こう言った。
「ヴォルフは、もともと私が呼び出した者。彼については、私こそが責任を負うのです。」
 シャルロッテも黙ってはいない。
「何事も殿方のみで決まるものではありません。女にとって、恋愛は運命を変え、結婚は時には生死を分けるほどのもの。殿方には、やはりお分かりにはなりますまい。
 実は、私からも提案がございます。今度は私がナターリア女王陛下の元に行って、しばらく女王陛下の人となりを見てくるのです。今のところ、オープストの内部がどのような雰囲気なのか、全く分からないではありませんか。私ならば、オープストの方々も心を開いてくれるかもしれません。ナターリア女王陛下とも、親しくなれるかもしれないのです。また、女王陛下が、ナーデルの地を治めるに足る方かどうか、私が見極めて参ります。」
 この案には、ミヒャエルもヴォルフも驚愕した。
「シャルロッテ!そなた・・・!」
「シャルロッテ様・・・。」
 彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべてヴォルフに言った。
「大切なのは人の心。心こそが最強の盾・・・ずっとそう言ってきたのは、他ならぬそなたですよ、ヴォルフ。」

八.ナターリア

 ナターリアは、ミヒャエルからの二度目の親書を読んで吐息を漏らした。
「ご招待は嬉しいけれど、ジョセフ様とも顔を合わせなければなりませんね・・・。」
 彼女は、ゼバスチャンが密かにジョセフ王子に手紙を送ったことを知らない。今、傍らには、ヨハン・フォーゲル外務大臣がついている。
「誠に失礼ながら、女王陛下におかれましては、ナーデルの王子様をお気にかけられているのでしょうか?」
 女王は悩んでいた。あのもの静かで聡明そうな王子・・・彼女の心は、彼のことでいっぱいだった。公務に打ち込んでいる時は良い。だがそれ以外のプライベートな時間・・・食事や散策の時間などには、決まって彼の顔が浮かんでくる。ことに、就寝前が怖かった。
「ジョセフ様・・・貴方に会いたい・・・。でも、貴方にどんなふうに接したらいいのですか・・・?」

 平和条約締結の日がやって来た。ナターリア率いるオープストの平和訪問団は、国境を越えてナーデル領内に入った。国境を越えた所ではジョセフとフレデリックが数人の文官を従えて迎えに来ていた。ジョセフが弟を紹介した。
「女王陛下、誠に僭越ながらお迎えに参りました。これは弟のフレデリックです。」
「お初にお目にかかります。フレデリックと申します。」
 ナターリアは思った。(この間お使いにみえたパスカル王子の他にも、年の近い弟君がいらしたのね。確かに似ておられる。でも、ジョセフ様のほうにより強い親しみを感じる。この気持ちは、やはり・・・。)
 彼女に随行している外務大臣のヨハンは、これまた内密にゼバスチャン内務大臣から、女王がどうやらジョセフ王子に心を寄せ始めているらしい、と聞いていた。
(女王陛下の眼差しは、通常ではない・・・。女王陛下がジョセフ王子を親しく思っておられるというのは、まんざらゼバスチャン殿の思い違いでもなさそうだ。だが、それでは我が国はどうなるのだ?お二人がご結婚あそばれて併合か?まさか、な・・・。)
 その道すがら、蓮の花を一面に湛えた池と、畑や牧草地に水を送っている用水路とが見えた。
「この蓮の花のなんと清楚なこと。平和そのものですな。それに、これは良くできた用水路でございますね。」
 ヨハンの言葉に、フレデリックが応える。
「我が国では、蓮は花を愛でる他にも、その種を菓子などに入れ、その根も煮て食用に致します。」
「ほう。食用でございますか。」

 二人の王子の案内で、ナターリアたちがベーデンドルフ伯爵家の中に入っていくと、玄関広間にミヒャエルとオリーヴィアをはじめ数人の姿があった。
「お待ちしておりました。これらは我が一族の者たちです。ジョセフとフレデリック、パスカルは改めてご紹介するまでもありませんな。」
 ナターリアはジョセフを熱く見つめ、ジョセフのほうも、彼女を前とは異なる目で見ていた。もしこの人が他国の女王ではなく、自国民であったなら、本当にどんな存在に思えるのだろう・・・。
「そして、我が妃オリーヴィア、我が子シャルロッテ、アンネリーゼ。これで王家は全員です。あとは、外務大臣ハンス・ターメルハイト。」
 ナターリアは、女性たちとハグし、儀礼的な挨拶を交わした。実は少し離れた場所からヴォルフもその様子を見ていたのだが、王族と大臣たちに遠慮して遠くから見届けるに留めていたのである。
 訪問団の一行は、まず滞在する部屋に案内されて、一時間ほど休んだ。最上の茶と菓子が出て、案内してきたジョセフが言った。
「これが、先ほど話題に出た蓮の実を使った菓子です。美味しいですよ。それでは、私がお毒味を。」
 彼は、大皿に盛られた菓子の一つを無造作に取り、口に放り込んで、そのまま部屋を出て行った。
「気さくな方ね。」
 ナターリアは、ますます好感を持った。あの方は、あれが自然体に違いない、と。

 伯爵家の中庭は、一面が緑の芝生に覆われており、およそ五十メートル四方には人っ子一人も隠れるところがなかった。そこに、屋根だけのテントが組まれ、白いレースのテーブルクロスがテーブルにかけられた、眩いばかりの豪華な席が設けられていた。
 そしてそこで、平和条約の内容を取り決め、それを二通作り、互いに署名した。
「これにて、貴国と我が国とは不可侵にして交易も拡大。親しき隣国となり申した。どうかよろしくお願いいたす。」
 ミヒャエルが手を差し出す。
「こちらこそ、よろしくお願い致します。このような機会を与えて頂いたこと、誠に喜ばしく、感謝申し上げます。」
 ナターリアが握り返す。
 ミヒャエルは娘を貴国にしばらくお預かりいただきたいと言った。
「我が子シャルロッテが申しますには、これからは貴国とお付き合いしていくにあたり、是非とも女王陛下や貴国の風土のことなどを知りたいと。私も、その必要を感じております。神経細やかな女性のほうが、こういうことには向いております。ひと月ほど如何ですかな?」
「では、そちらの姫君を我が国に?」
 ヨハンが尋ねた。大きな国が小さな国に姫君を預けるというのか・・・。
「左様。すでにそのつもりで馬車も用意させております。娘は、可能であれば、女王陛下ともお近づきになりたい、などと厚かましいことを申しておりますが。」

 それから三日間、オープストの一行は、ナーデル領内の景勝地や畑や牧場などに案内された。特に、ジョセフとフレデリックはよくナターリアと話をする機会を増やして、できうる限り自分たちをよく知ってもらおうとしていたし、ナターリアのほうでもそれは同じだった。
「ご家族がたくさんいらして、本当に羨ましいですわ、」
 ナターリアは言った。

 ところが、三日後の朝、事態は急展開した。
「ジョセフ様、私・・・貴方とはもっとお話ししていたいと思っていますの。」
 ナターリアが、伯爵家の廊下に一人でいるジョセフを見つけて、自ら駆け寄って話しかけたのだ。彼は、女王の突然の告白に少したじろぐ様子を見せた。
「女王陛下、私と話してどうなるのです?私はこの国を継がねばならぬ身。それでもよろしいのですか?・・・他の方、例えば貴国の方ではいけないのですか?」
 ナターリアは、顔を赤らめながら、それでもはっきり言った。
「私はまだあまり対等な立場の人とお話をしたことがありません。初めは、王室の方々とのお話に慣れていないせいだと考えていました。でも、あの日から貴方のお顔だけがずっと消えず、また国王陛下やフレデリック様の前にいるときは何でもないのに、貴方とお話しするときは、貴方を見つめてしまい、言葉が出てこなくなるのです。・・・ずっとお側にいたいのです・・・。」
 ナターリアはジョセフの胸に飛び込んだ。背中に手を回して全身で彼の暖かさを感じ取った。それはもはや、恋以外の何物でもなかった。
「女王陛下・・・。」
 その時、ジョセフの中でそれまで押さえつけられていた何かがはじけた。彼女をきつく抱きしめて、柔らかな髪を愛おしく撫でる。彼女の仕草、話し方、立ち居振る舞いの全てが、この数日の内に彼にも心惹かれるものになっていたのである。
「私も、ありのままの貴女に触れてみたくなりました。もし貴女が女王でなかったら、私は直ぐさま貴女を我が妃とするでしょう。しかし、現実は困難です。一緒に乗り越えてくれますか、・・・ナターリア。」

 長い説得が続いた。ヨハンも結局は二人が一緒に帰国することに同意した。
「女王陛下、陛下はわかりやすいお方ですね。薄々は気づいておりました。ゼバスチャン殿からも伺っておりました・・・。ですが、ジョセフ様はナーデルを継ぐお方。なかなか難しいかと。」
 外務大臣は、初め渋い顔をした。しかし、ミヒャエルは穏やかに言った。
「実は、貴国の内務大臣殿からもお便りを受け取って、愚息も悩んできておりましてな。それを聞いた我が臣下がこのようなことを想定して、すでに策を立てておりました。私も、よもやとは思っていたが、二人の心はすでに決まったようです。今こそ、その策をお話ししよう。」
 ミヒャエルは、ヴォルフの考えをそのまま話した。
「・・・つまり、オープストと共に、ナーデルをもナターリア女王陛下に治めていただく、ということです。その準備が整った後、私はナーデルの地を女王陛下にお譲りして退位し、我が一族は三つに分かれて、それぞれ公爵家として引き続き当地を治めさせていただく。それが我が方からの唯一の条件になりますかな。
 我々がここまでやるのは、あくまでも二人の愛と、両国の平和のため。どうかお聞き届け下され。」
 この提案には、ナターリアもヨハンも相当驚いたようで、違う角度から幾度も質問を繰り返したが、ミヒャエルの答えは終始一貫しており、嘘も矛盾もないように思われた。
 ヨハンは国王の熱意にも負けた。
「分かりました。それでは、今日このままジョセフ様をオープストの地にお連れ致します。もし、お二方のご希望に反して国内にて反対意見が賛成を上回るようなことがあれば、ジョセフ様をお返しに上がります。婚儀のことについては、決まり次第お知らせ致します。」
 オープストの訪問団は、シャルロッテの代わりにジョセフを加えて、一日遅れで出立していった。

「時期は相当早まったが、そなたの進言通りになりそうだな。さて、これからが正念場かもしれぬぞ、ヴォルフ。」
 訪問団を見送ったミヒャエルが隣に立ったヴォルフに向かって言った。
「御意。あとはラオプの出方にかかっております。
 しかし、国王陛下、本当にすぐに譲位されるお覚悟なのですか?私めは、何十年か先を想定しておりましたものを。」
 ヴォルフは、本当に『将来』の話として考えていたに過ぎなかったのだ。国王はにっこり笑って言った。
「ヴォルフよ、我が子に後を任せるに、何故に時を待つ必要があろうか。余は、ジョセフの父、真の国王たり得たいのだ。」

九.百合咲く丘

 ナーデルから帰国したナターリアは、早々に政府要人を召集して、ナーデルでの出来事、即ちジョセフ王子との結婚と両国統一の話が出たことについて理解を求め、協議を行った。自国が大きくなること自体に反対する者はなく、現在のナーデル国王とその一族の扱いについての議論が少しあった。他国の国王を公爵とすることには無理があるというのである。
「ミヒャエル陛下は慈悲深き名君と謳われ、ナーデルの国民から大変慕われているようでございます。その方を公爵などに降下させてしまうのは、如何なものかと。それに、女王陛下にとっては義理のお父上になられます。」
 ゼバスチャンの発言に応じて、ヨハンが意見を述べる。
「帰国の道すがら、考えてきたのですが、ミヒャエル陛下はやはり国王以外似合わぬ方です。そこで、女王陛下に準ずる『王』と名の付く地位を新たに創設して、このキルシュヴァン城にお迎えするのがよろしいかと。あの方はまさしく名君。公爵に留めるには、あまりにも惜しい方にございます。」
 ナターリアは、新しい役職名を思いついた。
「それでは『公王』というのは、どうですか?私にはまだ国王として助言して下さる方が必要です。それに、ゼバスチャンの言うとおり、ジョセフ様と結婚すれば、ミヒャエル陛下は私の義理のお父上、一代限りの『公王』としてお迎えするのが礼に適うように思います。他の王族は、ジョセフ様のごきょうだいに当たられる方々ゆえ、公爵に相応しい。」
「なるほど・・・。ジョセフ様が『公卿』になられるのでしたら、そのお父上が『公王』でも構わなくなりますな。そして、このキルシュヴァン城で、女王陛下へのアドバイスもしていただくという訳ですね。」
 『公卿』とは、女性王族の配偶者に与えられる地位・敬称である。出身の上下に関わらず、女性王族と結婚した男性はそう呼ばれることになっている。
「これで決まりましたね。」
「御意。」
 にっこり微笑み、背伸びをせず女性らしい言葉遣いで臣下と接するようになったナターリアは、皆の目から見てそれまでよりもひとまわり大きく見えた。
 この会議の結論は、早速ナーデルのローベルク城に伝えられた。ミヒャエルは、この若き女王の手腕にとても満足した。
「ナターリア殿、なかなかやるな。余の助言など要らぬのではないか?ハッハッハッ。」

 ラオプのエーベルハルト国王は、ナーデルとオープストからほぼ同時に届いた親書の内容に驚愕した。
 二つの国が統一されれば、その国力はおそらくカルタナ大陸全体の約五分の三を超える。それに、他の極小な国々も、その力の前に雪崩を打ったように次々と平伏していくことであろう。
 ナーデルから最初に親書を受け取った時、もっと早期に平和交渉を始めていたならば、まだ対等な立場のままで話ができたかもしれぬ。しかし時既に遅し、その点では、オープストの動きのほうが勝っていた。オープスト国王は、まだ即位したばかりの若い女王だと聞いているが、先を越されたか・・・。

「それは違うと思いますよ、エーベルハルト。」
 マルレーン妃がオープストの親書を読んで言った。
「このご親書に書かれている内容は、お惚気とも取れるくらいです。ナターリア女王陛下は、おそらく心からジョセフ王子のことを愛しておられるのでしょう。思い出しませんか、私たちのこと。」
 マルレーン妃は、もともとサーベラス伯爵家に出入りしていたお抱え医師の一人だった。それをエーベルハルトが見初めて愛し合うようになり、半ば強引に伯爵家に頼み込んで養女にしてもらい、ようやく当時の国王に結婚を許された経緯がある。
「ナターリア女王陛下のこの文章は、貴方に夢中で他のことなど気にかからなかった、かつての私にとてもよく似ています。」
 娘のクラリスも同じことを言った。
「私にはまだ、これと決めた方はいませんけれど、女として最愛の人と一緒にいられることほど大切なことはないと思っています。
 それに、私がお目にかかったナーデルの特命参与様・・・人の心を大切にされるあの方だからこそ、お二人が結婚してもしなくても良いように、二つの案を出されたのでしょう。ナーデルからの親書もまた真実だと想います。」
 エーベルハルトは、二人の意見ももっともだと考えるようになった。
「・・・まあ。詳しいことは会談の折に伺うとしよう。少なくとも会談までの間には何事もあるまい。」

 ナーデルとラオプの国境にある『百合咲く丘』は、それまでの両国の取り決めで双方どちらにも属さぬ休戦地帯とされている場所である。人がいないため、野生の百合が一面に広がる。今度の会談には、ミヒャエルの希望でヴォルフがついた。
「やはりここはそなたでなければ務まるまい。そなたこそが和睦の発案者なのだからな。」
「恐れ入ります。この機会を活かせれば、カルタナ大陸全体の平和が見えて参りますね。・・・時に、女王陛下はそろそろお着きでしょうか。」
 実は、ミヒャエルの名でナターリアを急遽この会談に呼び寄せていたのである。また、そのことは、ラオプのエーベルハルトへも通知してある。
「お、噂をすれば影だ。しかし、供はさすがにジョセフ以外の者を選んだらしい。」
 供をしてきたのは、外務大臣ヨハンだった。

「ミヒャエル陛下。この度は大切なご会談の席にお招きいただき、誠にありがとうございます。時刻には間に合いましたか?そちらの方は?」
 ナターリアは、文官姿のヴォルフを見た。
「これは、ヴォルフ・ペフラインと申す者で、我が国の特命参与をしております。此度の和平交渉を提案してくれたのは、この者でしてな。」
「そうでしたか。そなたが・・・。そなたのお陰で、私はジョセフ様とお会いすることができたのですね。心より礼を言います。」
 ナターリアは、ヴォルフに手を差し出した。ヴォルフは跪いてその手に額を付ける。
「勿体のうございます・・・。女王陛下、本日はどうか思いの丈をご存分にエーベルハルト陛下にお話し下さいますよう。このカルタナ大陸全体の平和が、女王陛下とミヒャエル陛下にかかっております。」
「ヴォルフ・・・と言いましたね。そなたの平和への願い、私も受け止めましょう。」
「は。有難き幸せ・・・。」
 ヴォルフは、より深く頭を下げた。

 エーベルハルトは、クラリスの兄にあたるラファエル皇太子を連れてやって来た。丘の上に数人の人影が見える。
(あれがナーデルとオープストからの交渉者か。)
「お初にお目にかかる。ナーデルの国王ミヒャエルと申す。これは、特命参与のヴォルフ・ペフライン。」
 最初に自己紹介したのはミヒャエルだ。その言葉の一つ一つが威厳に満ちている。まず最初に自己紹介したのも、自分に絶対的な自信がある証拠であろう。
「私はオープストのナターリアです。供にいるのは、外務大臣ヨハン・フォーゲル。」
 女王の言葉は柔らかい。エーベルハルトは、妻と似ていると思った。彼は婦人に礼を尽くすために膝を軽く引いて挨拶した。
「ラオプ国王エーベルハルトです。お目にかかれて光栄に存ずる。脇におりますのは、我が子ラファエル。先日ナーデルに使わしたクラリスの兄になります。他にもう一人息子がいます。」
 ラファエルも同じように挨拶した。王子らしく、礼儀に適う静かな話し方をする若者だ。歳は、ヴォルフより少し上くらいだろうか。

 会談は表面上和やかに進んだ。ミヒャエルとナターリアは互いにすでに慣れ親しんだ様子だったが、エーベルハルトはやはり警戒心を抱いたままだった。ヴォルフは、その感覚に気づいていた。
「エーベルハルト陛下、我が祖国ナーデルは、一切の侵略行為を放棄しております。貴国の領土に危険が及ぶことはございません。何卒ご安心下さいますよう。」
 エーベルハルトは、その言葉に応えて言った。
「先日、ナーデルの軍勢はオープストと戦ったと聞いたが?」
 ナターリアが説明する。
「それは、私がナーデルを試すために攻め込ませてみたからです。ナーデル軍は国境を越えず、何事もないのに国境を越えそうになると引き返したと報告を受けております。
 死者は一人が矢に射貫かれたのみ。そしてその時、ジョセフ王子が手落ちを詫びたと聞きました。また、後の会談の折には、その者のために花束まで下さったのです。
 そのジョセフ様と、私は愛し合うようになりました。エーベルハルト陛下のご了承が得られれば、私はジョセフ様と結婚したいと思っております。ミヒャエル陛下にはオープストに移られ、公王として私を補佐して下さるようにお願いをしてございます。
 エーベルハルト陛下におかれましては、何卒私共の結婚をご承諾いただきとう存じまする。」
 ナターリアは、心から頭を下げた。エーベルハルトにも、彼女の熱意と誠実さが否が応でも伝わってくる。
 やがてラオプ国王は、一つの提案をした。
「ナターリア殿、貴女の熱意、真実と受け止めよう。愛し合う方と結ばれるに、他国の王に承諾を得る必要もありますまいが、たってのお望みとあらば、私もその結婚を祝福いたす。
 さらに、今この場にて、貴国と平和不可侵条約を結びましょう。ただ、一つだけ条件を付けさせていただきたい。我が子ラファエルに、ナーデルの姫君を娶せたいのだ。」
 エーベルハルトは、王子にナーデルの姫君を娶せることで、ラオプ王家の安泰を願ったのである。これには、ヴォルフが意見した。
「恐れながら、エーベルハルト陛下。人の心を無視して事を進めるようなお考えは、我が国には受け入れられませぬ。
 しかしながら、エーベルハルト陛下のご心配もごもっともなこと。例えば、ナーデルには結婚適齢期で未婚の王子様がお一人と姫君がお二人、貴国にも王子様かお二人と姫君がお一人いらっしゃると聞いております。その六人の方々を一堂に会し、いずれかのお気持ちが沿えば、そのご結婚は祝福されるものになります。」
「つまりは見合いか。」
「はい。」
 そして、オープスト、ナーデルとラオプとの間で総合的な平和不可侵条約が結ばれた。

 王族の見合いは、約束通り何回か繰り返し行われた。互いに居城を訪問し合い、親しく会話をする機会を持った。ラファエル皇太子は、ナーデルの第一王女シャルロッテを気に入った。妹のアンネリーゼは可愛らしいという印象が強かったが、シャルロッテはしっかりと自分の意見を言える聡明さを持っている。将来を共にするに、彼女のほうが自分には合っていると感じたのだ。
 七回目の面談が終わって、シャルロッテたちが帰ろうと馬車に乗ろうとした時、ラファエルはシャルロッテだけをそっと木の陰にエスコートして言った。
「シャルロッテ姫、私は、貴女と将来を共にしたいと思います!どうか結婚して下さい!」
 ラファエルは遂にシャルロッテに求婚した。
「貴女は、ご自分のお考えを持てる方。私は、そのような貴女と時を過ごしたいのです。聡明さに満ちた、その微笑みや眼差しを独り占めにしたい。どうか貴女のお気持ちをお聞かせ下さい!」
 彼は胸に挿していた赤い薔薇をシャルロッテに差し出した。彼女は応えた。
「ラファエル殿下、殿下のお気持ちはとても嬉しゅうございます。赤い薔薇の花言葉もご存じの上で、私に下さるのですね。私も、貴方のお人柄に感銘を受けております。
 ナターリア様からは私にも公爵にとのご希望があるのですが、それではラオプの皇太子である貴方と結婚することはできません。もし、どうしても私をとお望みでしたら、貴方は王冠をお捨てになりますか?」
 それはシャルロッテの賭だった。
「えぇ、貴女を我が妻とできるならば、王位など弟にくれてやります。他国の女王に跪いてもみせましょう。ですから、どうか私と!」
 ラファエルは、彼女に近づいて抱きしめた。そして今まさに唇を重ねようとした時、彼女はその顔を彼の肩にずらして、こう言った。
「今の私の言葉は、貴方を試しただけです。貴方は、心から私を望んで下さった。本当に嬉しゅうございます!
 ラファエル様、私は、喜んで貴方の元に、ラオプ王家に嫁ぎます!」
「シャルロッテ!愛している!」
 二人は唇を重ね、初めての抱擁は長く続いた。その木陰に赤い薔薇を残して・・・。

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