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ルシャナの仏国土 覚者編 22-24


二二.坐すということ

 兼政や幸隆ら、総典王国の人々に請われて、ルシャナは滞在を延ばすことにした。彼は、ナターリア女王に事の顛末を報告して、使節団一同の滞在延長と、『星法の書』の総典王国での大々的な写本の許可を求める手紙を書いた。女王はそれを許した。ただその返事の手紙には、自分たちも彼の変容した姿を早く見たいとも書き添えてあったが。

 こうして、ルシャナはしばらくのあいだ総典王国に留まることになった。幸隆が彼に言った。
「師よ、是非とも我が新しき館にお越し下され。そこにはまだ誰も使ったことのない部屋がございます。」
 ちょうど、先に城のかわりにと兼政が幸隆に与えた館が、七日ほど前に完成したばかりだった。隠居の幸修ほか家族や家臣たちがいるはずだが、幸隆の留守中にやたらに全ての部屋に踏み込んでいるとは思えない。
「おぉ、幸隆、よくぞ気づいた!そうさせていただくが良い。」
 と、兼政も同意した。誰も使ったことのない部屋を供するのは、最高の持て成しなのである。ルシャナも、その心を受け取った。
「しかし師よ、そこまでの乗り物は如何致しましょう?」
 兼政の城から幸隆の館までは、馬を飛ばしても五日かかる距離だ。当時の総典王国では乗り物と言えば輿か馬か駕籠しかなかった。カルタナの使節団も、兼政の城までは自前の馬で来ている。
「心配はない。私も自分の馬で行く。」
「それでよろしいのですか?」
 兼政は、尊きお方が普通に馬に乗って進むなどとは思っていなかったのだ。
「兼政、私を案じてくれるのは有り難いが、私はただ覚者になったというだけで、普通の人間だ。普通の人間として、普通に考えて欲しい。」
 ルシャナは、微笑んで言った。

 とはいえ、幸隆の館までの道中では不思議なことが毎日起こった。その最たるものが宿と食事である。
 ルシャナの供となった一行は、兼政とその付添の者たちとカルタナの使節団も含め、総勢百人に上っていた。諸領に点在している宿には、およそ全員は収まらぬであろうと思われた。
 それが毎日、日暮れ近くになると、それぞれの町に誰も見知らぬ宿が見つかり、全員が一つの宿に見事に泊まることができ、一汁一菜の食事がその都度どこからともなく現れた。
 ルシャナは合掌して「いただきます。」と言ってから食した。
「覚者は、全ての命ある者たちを等しく扱う。これらは、全てがかつて命あった物たちである。我々は、生きている限り、草であれ魚であれ獣の肉であれ、他の命を食させていただかねばならぬ。我々の命は、決して我々個人だけのものではない。それぞれの命は、多数の命によって支えられ、生かされているのだ。そのことに思いを馳せるために手を合わせて感謝の意を表すのだ。」
 ルシャナは、食事を終えると「有り難う。」と言って、また合掌した。弟子たちも皆それに倣った。

 そしてルシャナは毎夕一時間ほど、地に坐した。宿が見つかるのは決まってその後だった。
「幸隆に教えを請われた『坐する』とは、これを指す。詳細については、後ほどまとめて話そう。先ずは私が坐するところを姿勢だけでも真似しておくが良い。」

 さて、その道すがら、一行を見た人々は互いに噂し合った。
「あそこに行かれるのは、兼政公ではないか?」
「その前には、変わった色の髪をした人がいるが、兼政公の前を行くとは・・・。」
 ルシャナは、町や村に着く度に馬から下りて、物見高く集まった人々に話して聞かせながら進んだ。
「私は生きたる覚者ルシャナ。兼政公は、私の弟子の一人として教えを請うために付き従って下さっているところなのだ。これまでも、これからも、総典王国の国王が兼政公であることに変わりは無い。決して兼政公を軽んじることの無きよう。」
 ルシャナは、自分はあくまでも『法の師』に過ぎないと言う。そして国王も庶民もあまねく等しく彼の弟子となれると説いた。

 そのような日を十二回繰り返して、ようやく幸隆の館が見えてきた。それを見渡せる丘の上で幸隆が請うた。
「師よ、我が館にはまだ名が付けられておりませぬ。もし思し召しが得られるのでしたら、我が館に名を付けては頂けませぬか?」
 ルシャナはしばらく考えて言った。
「幸隆、そなたは私に坐することについて問うた。坐すること及びそのことから将来において生まれるであろう思想は、のちに、『禅』と呼ばれるであろう。今、私はそなた達の言葉の有り様をも理解する。故に私に思い浮かぶ館の名は『明禅館』である。これより後はあの館にて、禅を会得して明らかにせよ。」
「は。有り難き幸せにございます。」
 慣例に従うならば、館の名付けを請うのは、それを与えた主君の兼政である。しかし今回は、その兼政をも弟子としたルシャナに名を付けてもらうことが理に適い、また兼政に礼を尽くすことにもなるのだ。兼政もそれに異を唱えることなどは考えもしていなかった。
「幸隆、良い名を戴いたな。そのご期待を裏切るでないぞ。」

 館の前には、館の者が全員揃って平伏して待っていた。幸隆が予め早馬を飛ばして、事の次第を知らせておいたのだ。ルシャナは馬を下りると、人々のあいだをすり抜けて二列目に控えていた勘定方らしき服装の人物の前に座って声をかけた。
「幸修殿、貴方も私を師と仰がれるか?」
 実は、幸修はルシャナを試すために勘定方の者と服装を取り替えて後ろに控えていたのだ。ルシャナがそれを看破し、幸修の名を呼んだのを聞いて、館の一同は彼が本当に覚者であると確信した。
「ルシャナ様、策を弄し貴方様を試したこと、平にお許し下さい。思し召しがありますれば、私も貴方様のお弟子のうちに加えて下さいますよう。
 愚息が貴方様をこの屋にお連れ申し上げたこと、この隠居にも無上の喜びでございます。早速、未だ誰も使ったことのない部屋にご案内いたしましょう。」
 幸修は、先に立ってルシャナを真新しい最上位の部屋へと案内した。

 ルシャナは、座布団を見ると、丁度良いものがあると言って、それを二つ折りにしてその上に坐した。
「先ず、幸隆から尋ねられた『坐すること』について話そう。
 これは普段行っている諸々の雑事を一時的に全て手放して、己が心の深きに入ることだ。その時に意識するのは呼吸である。目を閉じて視覚を遮り、地に直に坐ることで行動を遮る。舌も上顎に付けて呼吸を整えれば、より強く意識することができよう。これを『坐する』と言う。私も、惑星の精霊よりこれを教わった。
 さらに、覚者となった今の私は、より良き禅の作法を思い浮かべる。尻の下を少し高く保たせることによって、背筋が伸ばせて、呼吸が楽になる。
 皆、坐するが良い。そうして心が静まり、新たな五感が備わるのだ。」

 その後、ルシャナは半年かけて総典王国全土を巡り、カルタナへ帰った。その後、オルニア大陸の各地では、領主から農民、漁師に至るまで全ての人々に対して『禅』が推奨され、それに基づく独特の文化が花開いた。
 『星法の書』も、盛んに写された。オルニアにはまだ印刷技術が無かったのだ。
 そして更に後年、兼政の家系が途絶えることが明らかになった時、小田切家の最後の当主は、国王の座を幸隆の曾孫にあたる田所家の幼君・幸仲を世継ぎと定めたという・・・。

<星法の書・明禅品めいぜんぼん


 そして、私は以下のような考えに至る・・・。

 オルニア大陸・総典王国では、かねてより覚者を受け入れる土壌があったものと思われる。かの地の人々は、農耕従事者が多く、繊細な心を持ち、静かで冷静なことを理想としていた。私の考えを受け入れてくれたのも、その民族性あっての事であろう。

 さて、禅についてだが、これは人が普通の生活をしているのみでは気付かずにいることを気付かせるための有効な手段であり、また禅することそのものが目的であるとも言える。禅することが、即ち善きことだからだ。
 目を閉じて視覚を遮り、坐ることで行動を遮る。呼吸することに心を合わせることで、心を静め、整える。これが坐することの意味であり、目的である。また、それによって、この上なき歓びに触れることが出来る。枯渇することのない本当の幸せに気付き、完全に満たされるのだ。

 そしてまた、現在において命を持つ者たちは、あまねく他の何者かの命を食さなければ生きていけない。己が命と思っているものは、実に多くの命によって支えられて初めて成り立っているものなのだ。それ故に、己が命も他の命も大切に思わねばならない。決して粗末に扱ってはならない。貪り食うことや無駄にするほど食を供してもならない。
 人には、それぞれに適した量がある。それに従って、手元に置け。それに従って食せ。それ以外のものは持つな。そうすれば自ずと枯渇することのない本当の幸せが見えて来よう。

二三.家族と弟子と

 カルタナに帰った使節団一行は、それぞれの母国に分かれて帰った。ルシャナは、他のグロスアイヒェ出身者たちと共にキルシュヴァン城に入った。ナターリアを始め王族や政府要人、それにルシャナの両親と兄が謁見室に集まる。
 ナターリアが部屋に入って来たが、いつものようには玉座に向かわず、真っ直ぐにルシャナの前まで来て座った。
「覚者ルシャナ、お手紙を読んで覚悟はしていましたが、その変わりように驚いています。貴方は本当に覚者となられたのですね。どうかこの大陸でも教えを広めて下さい。先ずは私からお弟子にと思います。さすれば、この地でも教えが早く広まるでしょう。」
 ルシャナは不思議な感覚を伴いながらも、覚者としての務めを果たすことを最優先した。
「私は今、複雑な心情でいる。しかし、私は覚者としての務めを第一にしなければならぬと考える。・・・ナターリア、そなたをこの大陸における、私の最初の弟子としよう。」
 ルシャナは、その場で六波羅蜜ろくはらみつの内容(布施 慎み 忍耐 精進 心の安定 及びその結果に成される正しい見識)や、坐禅の意味と方法を教え、毎日欠かすこと無く実践するように勧めた。他の同席者たちも揃って仏弟子になった。
 そうして一通りの説法を終えると、彼は家族に近づいた。
「家族たちよ。私はそなた達のもとに生まれた。その事実に私は感謝する。家族を弟子とするに、複雑な心持ちではあるが、全ての人々、全ての命をこの上なき歓びに導くことが、私に科せられた務めである。故に、私はそなた達をも弟子としよう。」


 彼は葡萄畑の館に戻った。
 館の前では、クラリスが娘のルイーザを抱えて、使用人たちと共に迎えた。彼女もやはり戸惑っていたが、ルシャナが微笑みかけると、妻として娘を抱えたまま彼の目の前まで近づいた。
「ルシャナ・・・。私、どうしたらいいか分かりませんわ。女として貴方を愛しているのですもの・・・。」
 ルシャナは、妻と子を優しく包み込んだ。
「クラリス、覚者となっても、私は普通の人間だ。今でも、そなた達を愛する気持ちに変わりは無い。
 ただ、今までと異なるのは、覚者から観れば全ての命は等しく、自らが救わねばならぬ対象だということだ。これからは世界中を巡り、法を説いて廻らねばならぬ。また、王族も貴族も国民も、私の弟子として教えるという立場から、全て呼び捨てになる。そのことは分かって欲しい。
 まだ覚者ではなかった時、私はそなた達のことを他の者より愛しく思ってしまうと、キルシュヴァン城で告白したことがあった。その時ミヒャエルは『愛することを厭う勿れ』と諭してくれたのだ。
 覚者たる今の私は、そなた達と同じように他の命をも愛し慈しめば良いと実感している。」
「ルシャナ・・・。」
 クラリスの目から涙がこぼれる。
「クラリス、今までと同じように私を見てくれ。聡明なそなた故に、妻でありながら同時に弟子でもある、そんな存在になってくれるであろう。それが私の思いだ。そなたは私の妻であり、ルイーザも私の娘である。」
 クラリスは、彼の言葉の意味を理解した。愛しい夫の温もりが懐かしかった。赤子は二人の胸の間で静かに眠っている。
 館の者たちは、当主の変容ぶりに驚きつつも、その夫婦愛の深さに貰い泣きしていた。
「奥様・・・旦那様・・・。」
 ふと、クラリスは、ルシャナの胸の中で香りを感じた。それまでに嗅いだことの無い、芳しい香りだ。
「ルシャナ、衣に香を焚きしめているのですか?良い香りがします。」
「それは、覚りそのものだ。覚りは、そこはかとなく漂う。覚者には常にそれが伴うのだ。」

 一方、ラオプに帰った使節団一行は、早速エーベルハルトに事の次第を細かく報告していた。
「ほう。そのようなことがのう・・・。以前から、どこか変わったところがあるとは思っていたのだが・・・。クラリスは、如何するであろうか。」
 ラオプ側の使節団の代表ガーネット・プロイセン外務大臣は女性だった。
「ルシャナ様は、全ての命をこの上なき幸せに導くことがご自分の使命だと仰っておいでです。あの方に限って、クラリス様を不幸になさるようなことは考えられません。私めも、あの方に教えを頂いた弟子にございます。」
「弟子?そなた、国王の許可無くあの者の弟子になったと申すか?」
「エーベルハルト陛下、弟子とは心の内の在り方にございます。私共は変わらずラオプの完全なる臣下であり、現実世界は何も変わってはおりません。
 ただ、ルシャナ様は私共に、生きていくための指針を指し示して下さる方なのです。陛下も今のルシャナ様にお会いになれば、きっとお分かりになります。」
「うーむ・・・。」
 エーベルハルトは唸った。ルシャナは、彼にとっても娘婿であり、何と言っても、カルタナに平和をもたらした最大の功労者である。間違ってもラオプやグロスアイヒェを自ら手中に収めようなどと考える男ではない。
 しかし、その彼が『法』なるものを説き、多くの者たちを弟子に取っているというのだ。もしその者たちが一大勢力となったら、無視できぬものとなるかもしれぬ。
 エーベルハルトはナターリアに書簡を送り、ルシャナを呼び寄せた。

 実際に顔を合わせてみると、なるほどルシャナは、髪の色が変わり、眉間からは微かな光をも放っている。
「久しいの。話はガーネットから詳しく聞いている。早速尋ねる。『法』とは何か。」
 ルシャナは坐して答えた。
「私は先ず、人々が死んでいく様を悲しんでいた。そして、この大陸から戦いを取り除くことに力を尽くした。それ故に、星の精より直接教えを請う機会を与えられた。また、オルニアにて、無意識の慈悲を最初の弟子となった者から教えられ、その時に『法』を全く正しく会得した『生きたる覚者』となったのである。
 法とは、即ち宇宙のことわりのことである。それによれば、物事には必ず原因があり、善きことを為せば善きことが、悪きことを為せば悪しき結果が成されるのである。
 生きたる覚者となった私は、全ての命を平等と観て、それらを救うことを使命として、その法を人々に説くのである。
 それでは、その善きこととは、何を基準にすべきであろうか。それは、個人的・刹那的な価値観ではなく、宇宙的・普遍的な価値観から判断されるべきものである。
 人が生きる苦しみから逃れて幸せになるには、このことほど大切な要素はない。故に、私は六波羅蜜と坐禅の実践を人々に伝えるのだ。」
 そして彼はキルシュヴァン城でしたのと同じ説法を、エーベルハルトたちにも施した。

 エーベルハルトは、ルシャナが今まで自分が知っていた彼とは同一ではあるが異なると感じた。目の前にいる人物は、国を超え、人という存在をも越えた人物なのである・・・。
「私もお弟子のうちにお加えください、我が師よ。」
 彼は自分でも理由が分からぬままに玉座から離れ平伏してルシャナに請うていた・・・。
 ルシャナは、エーベルハルトの手を取って言った。
「エーベルハルト、私は歓びに溢れている。これよりは、そなたも私の弟子である。だが、私はただの人間だ。何人も私に平伏す必要はない。私の傍に坐りなさい。」
 そうしてエーベルハルトは、ラファエル皇太子を始め王族と家臣達の前で宣言した。
「皆も聞いていたように、私はルシャナ様の弟子となった。ルシャナ様もおられる非常に貴重で良き機会ゆえ、私は只今をもって国王の座を我が息子ラファエルに譲る。ラファエル、こちらに来なさい。」
 エーベルハルトは一旦立ち上がり、ラファエルを跪かせてその頭に王冠を載せた。ラファエルは、先ず国王たる宣言を済ませたあとで、ルシャナに弟子入りを請うた。
「生きたる覚者ルシャナ様、私は国王として国を治めていくにあたり、人々を幸せにするために貴方の智恵の教えを広めたいと存じます。どうか私もお弟子のうちにお加えください。」
 こうして、ラオプにおいても、ルシャナの教えは広められていった。

二四.半身の覚者

 クラリスは、ルシャナが着ていた衣服を一旦ほどいて隅々まで記録し研究した。そして、それと同じものを館の女性たちと一緒に何着か作った。これから説法しに行くのに同じ衣装が何着も必要になると考えたのだ。それと合わせて、坐禅に用いるクッションも作った。ルシャナから聞いたオルニアの座布団というものを参考に少し使いやすくしたものだ。
「奥様、旦那様がおられんことなっても、お寂しゅうはなかとですか?」
 ヘレナが心配して言った。彼女だけではない。館の者たちは皆そう思っている。
「前にユニコーンが迎えに来た時には、二度と会えないかもしれないと思ったのですから、帰って来てくれると分かっただけでもずいぶん違います。
 それに、今のルシャナは、もう誰にも止められません。それがあの人の使命なら、その留守を預かるのが私の使命なのです。あなた達が私たち家族を思ってくれているのは有り難いけれど。だから、わざと遅らせる必要はありませんよ。」
 クラリスは笑顔で語った。女性たちは、ルシャナの出立を遅らせて、家族と暮らす期間を延ばそうとしていたのだ。
「奥様・・・。知っておられたとですね。浅はかな真似をして申し訳ございません。」
 コルネリアが謝った。
「いいのです。それにしても、この衣装は変わっていますね。ほぐすと一枚の大きな布になってしまうのですから。ルシャナは、オルニアの民族衣装にとてもよく似ていると言っていました。でも、何故黒なのかしらね。」

「私の今の衣は、星の精ルシア様と同じものだ。
 本来、私たちが色を認識できるのは、それぞれの『もの』が色を反射して、それが私たちの目に入ってくるからだ。ところが黒だけは、そうした現象ではない。いわば、全てを受け入れているからこそ、そのものは黒く私たちには映るのである。それが、この衣が黒いという理由にあたる。そして、下に着る衣は白で、これは無垢な精神を表す。
 また、オルニアでは、このような黒い衣は最も低い地位にある者が着る。智恵の長者は、最も低い地位にいる者の如くに振る舞う。このことから星の精ルシア様は、この色を選ばれたのである。」
 彼女の疑問にルシャナは答えた。
「この次は何処に行くのです?」
「ウユニに行くつもりだ。星の精ルシア様に改めてお目にかかる。」

 ルシャナは、ナターリアに頼んで、ウユニへの定期交易船に乗せてもらった。ウユニへは片道五日かかる。そのあいだも乗組員たちへの説法と坐禅は毎日欠かさなかった。説法は短時間で、要点を絞って普通の言葉で行う。今すぐでなくても良い、いつか『あぁ、こういうことだったのだ!』と思い返してもらえば良いのである。
「覚者となられても坐禅されるのですか?」
 操舵手のダニエルが、彼自身の休憩時間に尋ねた。
「覚者となったから、ますます欠かせなくなるのだよ。坐禅は全ての基礎だ。手段であり、同時に目的でもある。」
「はぁ、そんなものですか・・・。」
 ダニエルは分かったような分からないような不思議な気持ちになって戻っていった。
(そなたにも、いつか分かる日が来る・・・。)

 やがて陸地が見えてきた。ウユニである。以前は瑠衣に乗せられて遥か上空から見たに過ぎなかったが、船から見ると、文字通り大きな陸地に違いなかった。
 港では、多くの人が交易船を待ち受けていた。ウユニの人々は、ずば抜けて勘が鋭い。ルシャナの尋常でない気配を感じて集まっていたのである。彼が船から下りると、すぐに駆け寄ってきて跪いた人物がいた。銀色の髪に黒い二本の角を生やした二十歳そこそこと思われる若者だ。
「遠いところをようこそいらっしゃいました!私はウユニ皇帝トヴァダと申します。生きたる覚者ルシャナ様、この国ではどうか我が家と思ってお寛ぎ下さいますように。」
 ウユニでは、国王のことを皇帝と呼んでいる。ルシャナは、その手を取った。
「皇帝トヴァダよ。私はただ覚者であるというだけで、人間である。何人も私に跪く必要はない。また、この地には、星の精ルシア様がいらっしゃる。そなた達は今すぐには私の弟子にするわけには行かぬかな。」
 トヴァダは答えた。
「いいえ、我が師よ。あなた様は将来、この地にご滞在され、我々を近くで見守って下さると、ルシア様から伺っております。良き師を得るに、早いに越したことはございません。」
 ルシャナは、彼を見た。
「ルシア様は、私が将来この地に留まると仰ったのか。分かった。それならば、まずルシア様からお許しを戴くことにしよう。案内あないをしてくれるか。」
「かしこまりました。」

 ルシアがいる火口までは、サラサッタという翼を待った者が送ってくれた。彼女は、顔だけが人で、くちばしもあって、ほとんど鳥と言ってもよい姿だ。普段は荷物の運搬人として暮らしている。
「覚者ルシャナ様と皇帝陛下のご案内を任されるなど、これほどの光栄はございません。」
 火口に二人を下ろしてから、サラサッタは感涙した。
「サラサッタよ。今後とも功徳を積むようにな。」
 ルシャナはその肩に触れて言った。
「私は此処にてお待ちしております。」
 サラサッタは頭を下げた。全身が鳥の身では、それしか出来ぬのである。
「帰って来たな、ルシャナ。」
 星の精ルシアが姿を見せた。

 ルシャナは、その前に坐した。
「ルシア様・・・。私は生きたる覚者となり、多くの弟子を得ました。
 しかしながら、まだ生きているために、他の命を頂いて食していかねばなりません。今現在生きている者たちだけしか救えぬ半身の覚者であるのです。先ほどトヴァダ殿から弟子入りを請われましたが、あなた様がおられるこの地に弟子を得てよろしいのでしょうか。」
 ルシャナは自分が半身の覚者であると言ったのである。ルシアは微笑みを強くした。
「ルシャナよ。覚者となったそなたは、もはや私の半身なのだ。私も星の身で覚りを得ることはできたが、衆生を救うのが本来の覚者たる生き方である。
 そうして長いあいだ、私は覚者となる人間を待ち続け、ようやく一つの魂を救うことができた。それがそなたなのだ。そなたが人としての生を手放した時、その魂は法力でこの地に呼び寄せられ、私と全く等しき存在となる。その症候が、今のその姿だ。」
 ルシャナは初めて自分の未来を知った。覚者として、現在と過去は観ることができても、未来を観ることはできない。未来は、彼自身が説く通り、各々の行いによる結果が生じて刻々と変化していくものだからだ。しかし、基本的にある程度定められた運命が存在することも、彼は感じ取っていた。
「私がルシア様と等しくなる・・・。」
「そうだ。そして全ての命を見守り、必要なときには覚りへと導き、輪廻転生の苦しみより救うのだ。臆せず道を進め。
 ウユニ皇帝トヴァダよ。此処より東に十六里の地点に新しき城を築け。そして、その中心に空の部屋を設けておけ。時が来ればルシャナは法身ほっしんとなって、直接そなたとそなたの後継たちに指針を与えることになる。」
 トヴァダは平伏した。
「星の精ルシア様、有難きことにございます。仰せのままに。」

 ルシャナが言った。
「サラサッタよ。この身を港に運べ。私はそこで法を説き、その場にいる全てを私の弟子としよう。」


<星法心書・黒衣品こくいぼん


 そして私は以下のような考えに至る・・・。

 私は人としての生を手放した時からの己が運命を知った。星の精ルシアは、人としての法身を私に定めたのだ。それ故に私は黒衣を纏う。智恵の長者は、地位低き者の如く振る舞うのである。

 私はもはや生じることも滅することも無い。滅しなければ生じることはないのだ。
 そして、諸々の人々に救いとなる智恵を伝える。救いを差し伸べ続ける。ちょうど、今にも崩れ落ちそうな崖にいて追いかけっこをしている子供たちを、ご馳走がたくさん用意されているなだらかな丘の上に呼ぶ父母のように。

 港に戻った私は、その場で法を説き、ウユニにて多くの弟子を得た。
 私をルシアの元に送迎したサラサッタは言った。
「師よ。私には正しく坐禅することはできません。」
「サラサッタよ。そなたは今、尊きことを問うた。そなたにはそなたなりの坐禅をすることが出来るのだ。その身を整え、呼吸を整え、目を閉じて、心を整えよ。それが正しき坐禅である。また、全ての所作の中にも禅を含めよ。無意識の内に善きことを成せるようになるのだ。
 そなたは、その身ゆえに却って本来の坐禅を知りうる機会を得たのである。」
 自分を取り巻く環境を変えることは難しいが、自分の行いや考えは即座に変えることができる。よって、人々よ、善きことを成し、悪きことから逃れよ。それが、運命の歯車を善きことのほうに回す力となるのである。恐れず道を進め。

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