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ルシャナの仏国土 覚者編 19-21


一九.オルニア統一

 ルシャナは、クラリスとルイーザを連れて、マリウス侯爵家を訪れた。そこで密かにラオプの国王夫妻に、ルイーザを見て貰いたかったのである。エーベルハルトもマルレーンも、ルイーザが生まれたことをとても喜んでくれた。
「初孫がそなた達のところとはな。シャルロッテが今八ヶ月なのだ。」
 エーベルハルトは、顔を綻ばせた。赤子はマルレーンの胸に抱かれてすやすや眠っている。
「それはおめでとうございます。健やかなご誕生を願っております。」
 ルシャナは礼を尽くして言った。
「ありがとう。しかし、私もそろそろラファエルに王位を譲ろうかと考えていた矢先に、今度はオルニアからの攻撃だ。ジョンキーユは取るに足らぬ国だが、何をしでかすか分からぬ国でもある。それに、背後には総典王国が控えている。老いゆく身に心労が尽きぬわ。」
 件のジョンキーユ王国と海峡を挟んでいるのは、ラオプのほうなのだ。
「エーベルハルト陛下、そのことについては、一つご報告がございます。私はこの度ナターリア陛下より参与に任じられました。ジョンキーユからの攻撃を止めるため、しばらくは、お国に幾度となくもお出入りをさせて頂くことになるかと存じます。」
 エーベルハルトの顔に明るさが宿った。
「おぉ、そなたがまたやってくれるのか!だが、此度は婚姻関係を結ぶ訳にはいくまい。もっとも、グロスアイヒェとは、たまたま結果がそうなっただけだと、そなたはそう申すであろうな。」
 国王は苦笑した。
「はい。仰せの通りにございます。・・・ところで、エーベルハルト陛下、たしか、お国にはオルニア出身の方がおいでと伺いましたが?」
「ああ。ゴーチエとサユリのことだな。会いたければ好きなだけ会わせてやるぞ。情報が欲しいのであろう?」
 エーベルハルトも、もうルシャナが何をしたいのかの察しはついている。
「御意。エーベルハルト陛下のお力を得られれば、それに勝る喜びはございません。」
「ふっ、上手く乗せるのぉ。分かった、分かった。近いうちにマールノード城に来るがよい。ナターリア殿にそのように伝えておく。」

 ゴーチエ・セギーと中塚沙友里は、共にオルニアからの亡命者である。ジョンキーユの海軍二等兵だったゴーチエは、訓練中に遭難。沖合いに流されて、総典王国領内の海岸にただ一人の生き残りとして打ち上げられた。それを見つけて介抱したのがその海岸一帯を所有する武藤家だ。その武藤家に仕えていた侍女の沙友里が、やがてゴーチエと恋仲になった。当然許される筈もなく、二人は決死の覚悟で小さなヨットに乗り込み、北側の海峡を抜けて、西のカルタナ大陸に辿り着いた、という訳である。
 カルタナ大陸では、二人にスパイの疑いがかかった。そこで、エーベルハルトは彼らを五年間、完全に城内に留めおき、オルニアの情報を話して貰うことにした。戸籍を作り、結婚もさせて、中庭のある部屋に住まわせている。十年経った今では部屋を出ることも許していた。
 ジョセフやナターリアが、ジョンキーユ王国で戦死者や餓死者が急増していると知っていたのも、その二人からエーベルハルトが得た情報だった。

 数日後、ルシャナはその二人と面会した。
「私は、グロスアイヒェの参与ルシャナ。此度はそなた達にいろいろ教えて欲しくて参ったのだ。今、ジョンキーユがラオプに攻め込んできているのは、もう知っているね。ジョンキーユと総典王国、それぞれどのような国なのか教えてくれ。」
 ルシャナの穏やかな口調と優しそうな雰囲気に、二人は安心して受け答えすることができた。彼らの話によれば・・・。

 まず、オルニア大陸は今、総典王国がほぼ全土を席巻して統一目前である。国王は小田切家が代々受け継いでおり、現在の当主は一二代目の小田切兼政。広大になった領土から得られる莫大な穀物や農産物、家畜などで国民を潤して、更に支持を集めている。侵攻された土地の人々も、自分たちが元々の国民と同等の恩恵を受けられるようになると、小田切家を主君と仰ぐ。
「名君だね。」
 ルシャナがそう言うと、沙友里は誇らしげに頷いた。
「はい。あの方こそ、オルニア大陸を治めるに相応しいお方でございます。でも、ジョンキーユは・・・。」
 彼女の顔が曇る。
「どうした?ジョンキーユは違うのか?」
 ルシャナは、さらに優しく尋ねた。ゴーチエが答えた。
「ジョンキーユというところでは、人はただの駒でございます。・・・」

 ジョンキーユでは、古来から生まれや年齢などによって序列が決まってしまい、下の者は上の者に絶対服従しなければならない。特に君主は人々の最上位にあるのが当たり前とされている。それ故に、ただ農業指導者の家に生まれただけの、才覚のない者が農業指導をして、かえって収穫量を少なくしてしまったり、国王が軍を優先するあまり、農機具や漁船を全て軍の所属にして庶民の取り分を僅かにしたりしている。食べるものがなくなった人々は、翌年に植えるはずの種も草の根も全て食べ尽くし、暖を取るために山の木も取り尽くして、洪水が増えて畑も荒れ、ますます飢えていく。魚を獲ろうにも船の使用料を払えなければ海に出ることもできないのだ。また、それは下級兵士も同じで、配給はほとんど上層部に取られてしまう。
「総典王国に行くまでは、どんなに苦しくてもそれが普通だと思っていました。でも、それは間違いでした。私の家族も仲間も、みな飢えて死にました・・・。」
 ゴーチエは、声を詰まらせた。ルシャナは慈悲心を起こして、その肩を抱いてやった。
「辛かったのだな。今、ここにはそのようなことはない。安心して暮らすが良いぞ。」
「ありがとうございます・・・。」
 それにしても、ジョンキーユという所、国とは呼べぬほど酷いらしいな・・・と、ルシャナは思った。そういえば、二人に会う前に視察したジョンキーユの軍船も、海峡を超えてきたというにはあまりにも粗末な木造船であった。自刃した兵士達の遺体も骨と皮ばかりのようだ。・・・ジョンキーユは、そう長くはあるまい。

 同じ頃、オルニアの大部分を支配下に収めた総典王国の国王・小田切兼政は、オルニア統一の最終段階として、ジョンキーユへ侵攻しようとしているところだった。
 兼政自らが率いた総典王国の軍勢は、忍びの者たちに集めさせた情報から、国王がいつ何処で何をしているかを詳しく把握した上で、国王が確実に城に居る時を見計らい、一気に全軍を動かしてその居城を取り囲んだ。
 あまりの速さに、ジョンキーユの領民達は息を呑み、あるいは粗末な家に逃げて怯えるしかなかった。中には刃向かった者達もいたが、栄養失調でろくに戦えもせず倒れた。総典の兵達は、そんな彼らを憐れみ、食べ物を分けてやった。
「何故だ?何故助ける?」
「さあな。ただ人として見ておれんのだ。我が国は情け深く豊かだからな。」
 城は完全に包囲された。火矢が放たれる。ジョンキーユ国王シャルル七世は、それでも生きながらえようとして降伏を選んだ。だが、城を出てしばらく歩いたところで、何処からともなく走り込んできた農民の一人に体当たりされてその農民ともども井戸の底へ突き落とされた。
「国を食らい、肥え太った者よ、今こそ我らの飢えを苦しみを、命で償え!」
 農民は国王シャルルの頭を水の中に押し込みながらこう叫び、自らもそのまま溺死した・・・。
 そのことを聞いた兼政は、こう命じた。
「即刻、その農民の名を調べ、現場の井戸を完全に埋めて、その上に彼の正義を讃える碑を建てよ。
 そして、我が総典王国の名において、全ての飢えたる者達を救え!」

 オルニアの統一は、こうして完了した。広大な大地には、溢れんばかりの農作物が実り、その一部を家畜たちがのんびりと食む。なんと美しい光景であろうか・・・兼政は、オルニアの平和を満喫していた。
 そこへ、海峡を挟んで隣り合うカルタナ大陸からの使者が到着予定との知らせが入った。そういえば、ジョンキーユはカルタナ大陸に攻め込んでいたという。その国の人々にしてみれば、様子を見たいと思うのも当然であろう。
 兼政は、その使者に会ってみることにした。使者は、ルシャナと名乗った。・・・

二十.総典王国


 今、ルシャナは、総典王国の国王の前にいる。
「お目にかかれて光栄でございます。私は、カルタナ大陸にあるグロスアイヒェ王国で参与を務めるルシャナ・フォン・トラオベと申します。」
 兼政は、使者を見た。やや白い肌、褐色の髪・・・自国の人々とは、見た目にも明らかな違いがある。
「遠いところ、誠に恐れ入る。私は小田切兼政。この国の国王でござる。」
「ここに来る途中で、この大陸全土を統一されたと伺いました。おめでとうございます。」
「その通り。ジョンキーユは滅び申した。今やこの大陸は総典王国そのものと言ってもよい。あなた方からはこの地はオルニア大陸と呼ばれているそうですな。
 私もあなた方の国について知りたいのだが、話してはくれまいか?」
 使者は、兼政を見た。
「ジョンキーユは、我が大陸に攻め込んでいました。甚だ失礼ですが、お国には、今後、他国に進出されるご予定はおありですか?」
 やはりそこが気にかかるか・・・。兼政は微笑んだ。
「それはござらぬ。我が国は豊かで、我々は満足を知っている。他に何を求める必要があろうか。また、一つの国としてまとまって維持していける範囲は限られている。他の大陸をも支配しようとすることはない。ご安心召されよ。」
 なるほど、この国王は確かに名君のようだ。それに状況は変わった。その言葉通りに考えても良かろう。・・・ルシャナは思った。
「それを伺い、安堵いたしました。もし国王陛下の思し召しがありますれば、今後は我が大陸の二つの国と平和条約を結んで戴き、交易をしたいとの、我が主君からの言伝でございます。我が国の名産品を幾つかお持ちしておりますので、是非ともお試しのほどを。」
「それはかたじけない。ルシャナ殿と言われたな、数日の間ここにお泊まり願って、ゆるりとお国のお話を聞かせて下され。私も、我が国についてご紹介しよう。」
「は。有り難き幸せでございます。」
 こうして、ルシャナはオルニア大陸にしばらく留まることになった。

 そして、話が落ち着いた頃を見計らって、ルシャナは小さな箱を取り出した。
「実は、貴国の方々がお二人、数年前にカルタナまで来られたようなのですが、見つけられた時には小船の中で既に亡くなっていたとのことです。せめて、形見だけでも故郷にと思い、持って参りました。もしご家族がいらっしゃいましたら、お渡し頂ければと存じます。」
 彼は、箱を国王に差し出した。兼政が箱を開けてみると、一振りの黒い小刀と太めのかんざしが入っている。兼政は、それを見て少し動揺しかけたが、それをルシャナには覚られまいとしたようだった。
「そうでござったか。分かり申した。後は任されよ。・・・」

 それにしても・・総典王国の人々が着ている民族衣装は、ルシア様と瑠衣殿がお召しになっていたものとよく似ている。何故だろう・・・。

 そうして幾度か話をしているうちに、兼政は『星法の書』についても触れた。
「貴国の名産品は、確かに素晴らしいものばかりでござるな。是非とも交易をしたいと、ご主君にお伝え下され。我が国からは、檜という芳しい木材と、米という穀物を特にお薦めしたい。貴殿も口にされた白い穀物が、それでござる。
 ところで、この書物の著者は貴殿になっているようでござるが?」
「はい。それは全て事実で、私が見聞きしたことをありのままに記述したものでございます。書物にあるウユニ大陸も、使節団が事実であることを証言してくれました。」
 とても誠のこととは思って貰えぬだろうと思い込んでルシャナは言った。ところが兼政は、彼をしばらく見つめてから、こう言ったのである。
「実は、翼と角を持つ馬の話は、我が国の伝承にもあるのでござる。しかも、その名は瑠衣。馬に姿を変える前は、誉れ高き名医であったと・・・。」
「えっ?!瑠衣殿が貴国の・・・?それに、伝承にも残るほどの名医であったと?」
 ルシャナは驚いて尋ねた。兼政は、その伝承を彼に話して聞かせた・・・。

 遠い遠い遙かな昔、この地でもまだ幾つもの勢力が絶え間なく戦いを続けていた頃のことだ。医者たちも怪我人や病人のところを寝る間も惜しんで廻る毎日だった。その最中にあって、名医の誉れ高き瑠衣は、体が幾つあっても足らぬほどだった。そのうちに彼はこう願うようになった。
「あぁ、もっと速く走れたら、もっと多くの患者達のところに行けるのに!疾風を行く馬の如くに!いや、それでも足らぬ!翼で空を飛べたら!」
 幾年もの年月が過ぎても、彼の思いは強くなる一方であった。そして、彼が天寿を全うしたと思われた時、彼の足の先は蹄と化し、みるみるうちに翼を持った馬の姿となって大空へ消え、それきり帰って来なかった・・・。

「瑠衣殿・・・。」
 ルシャナの目からは涙がこぼれていた。そうか、瑠衣殿はもともと人であり、多くの人を救い続けたが為に、その縁でルシア様に仕える身になり、人の姿にもなれたのか。
「書物によると、貴殿はその方のことをとても大切に思われているようでござるな。ご心中お察しする。」
 兼政は、静かに言った。
「彼は、私にとって恩人なのです。今はもう姿を見ることはできませんが、私の心には彼が付いてくれているような気が致します。・・・
 国王陛下、私にはお国の民族衣装が、瑠衣殿と似ているような気がしておりました。ただ今のお話を伺い、それも納得がいきます。ここは、瑠衣殿の生まれ故郷だったのですね。」
「そうなりますな。そして貴殿がこの地に見えられたのも、偶然ではないのかも知れませぬ。
 これからも、時折は遊びに来て下され。貴殿と話していると、私は心が安らぐのでござる。」
 ルシャナは、瑠衣のことを思い、万感の思いでオルニア大陸をあとにした。

 ルシャナは、使節の役割を果たすと、帰りの船に乗り組んだ。陸地が見えなくなってから、或る船室の扉を静かにノックすると、二人の人物が顔を覗かせた。ゴーチエと沙友理だった。
「本当に、良かったのかね?」
 二人は彼の前に平伏して言った。
「ルシャナ様、私どもはあなた様になんとお詫びとお礼を申し上げたら良いか。・・・これからは、私どもは総典王国の者ではなく、あなた様の完全なる臣下でございます!」
 実は、駆け落ちの話は嘘で、この二人は総典王国の隠密だった。国王直轄の忍びである。何年も何年もラオプの街中を調べ廻ることができる日を待っていたのだが、エーベルハルトは警戒して一向に城から出してくれる気配を見せない。そのうちに、ルシャナと話す機会ができ、自分たちがルシャナやエーベルハルトを欺いていることに堪えられなくなり、ルシャナに全てを打ち明けたのだった。
「それなら、死んだことにしよう。名を変えて、別人として生きるのだ。エーベルハルト陛下には、私から伝える。私の葡萄畑で働いてくれ。そこならば見つかるまい。」
「ルシャナ様・・・。」
 そういう経緯の後で、ルシャナは二人を船の航路の案内役にしつつ、ひと目でも故郷に別れを告げさせたくて船に乗せて来ていたのだ。

 カルタナに帰ったルシャナは、エーベルハルトとナターリアに許可を貰い、二人をそのまま葡萄畑の使用人とした。エーベルハルトは、代わりに総典王国の詳しい内情を明かすことを条件にしたが。ルシャナにも二人にも、そんな条件はどうでも良かった。
 ラオプ・グロスアイヒェ両国が、それぞれに総典王国と平和条約を締結して交易を始めたのは、それから数ヶ月後のことだ。・・・

 そして、初夏のグリュンヒューゲルの葡萄畑では、結い上げていた髪を切り、周りの人々ともすっかり馴染んだ一人の植木職人見習いとその妻の姿があった。妻が女中頭のコルネリアと一緒に弁当を運んでくる。
「旦那様!皆さん!お昼ご飯をお持ちしました!」

<星法の書・国家品>

 そして、私は以下のような考えに至る・・・。

 全ての生命体は、何らかの使命を帯びて生きているという点において、互いに平等である。『生きている』ことが、全く共通しているからである。
 私は、人々のあいだに序列を設けた国が存在したことを知った。しかし、人間界よりはるかに大きな視点から考えれば、そのような序列は無意味である。更に、それによって、才無き者が人や物の動きを裁くとすれば、なお一層の不幸の種となろう。

 ましてや『国のために』人々に対して何某かの悪事を為すのは、全くの無意味である。何故なら『国』とは、単に人々が暮らすために人間の誰かが作り上げた手段に過ぎず、実体が無いものだからである。
 例えば、野原に生えていた藁を編んで庵を成したとしよう。人はそこで暮らし、その庵が古くなったり、他の場所に移ったりする場合には、その庵をほぐして去る。あとには『野原』のみが残るのだ。国とは、所詮その庵のようなものに過ぎない。生まれる時、人々は国や時、周りの環境を自分で選んで生まれることはできない。それ故に、それらの外的要因によって、差別化されるべきではない。
 『差別』は明らかな悪事であるが、社会的秩序を保つためにもし何らかの『区別』が必要であるならば、その基準は、その人が自ら為した行為や考え方によらねばならぬのであって、環境や生命そのものによるべきではないのだ。
 考え方にしても、人は己が外から受けるものに左右させるため、正しく知識を持つこと、正しく行動すること、それ以外に大切なことはない。この場合の正しさとは何か。それは、中立公平である。その人の心が向かう真の良心である。刹那的・個人的な幸福ではなく、恒久的・普遍的な幸せを願う心から出るものである。

二一.覚変化

 再び、オルニア大陸・・・。
 国が一つになっても、人々の心が必ずしも一つにまとまった訳ではなかった。最貧国ジョンキーユを取り込んだことによって、他の地域からその分の負担を求められることに不満を抱く者が出てきたのだ。特に、油井岡ゆいおか領を治めていた田所家では、兼政を支持した隠居の幸修ゆきなおと、家長の幸隆ゆきたかとの間で確執が生じていた。
「我が御主君は小田切家。兼政様は大陸統一を果たされた偉大な方であるぞ。何の不服がある?!」
 隠居は息子にそう諭した。田所家は古くから小田切家に直接仕えてきた旗本の中でもひときわ大きな家柄である。
「しかし、此度の年貢増額には、かのジョンキーユ復興のための費用も含まれているというではありませんか!非道の限りを尽くして自滅したも等しい国のために、何故に我らが負担を強いられるのですか!」
 息子は納得せずに父に食い下がる。
「ジョンキーユは滅んだ。その地は、今や我が国なのだ。そこに暮らしているのは、かつての悪政のために苦しみ抜いた、我らと同じ総典王国の領民なのだ。助けて何が悪い!幸隆、一度かの地を自分の目で見てこい。見て来てから、ものを言うが良い!」
 幸隆は、かつてのジョンキーユがあった土地へと向かった。現在は小田切家直轄になっている、その地までは馬でも十日かかる。

 領の境には大きな川が流れている。ジョンキーユの人々がいくら飢えても国から出なかったのも、実は出なかったのではなく、この川が行く手を阻み、なおかつ見張りの兵がいて、国から逃れようとする人々を残らず射殺していたからであった。数ヶ月前の攻略の際には、予め組んでおいた橋を、夜間に一晩かけて川岸に運んで進んだのだ。そのことは幸隆も参戦していて知っている。統一後、そこに立派な橋が架け直されたのは、言うまでもない。現在も、むやみな流出を食い止めるために兼政が差し向けた兵が立っているが、彼らは人々に支援が来るまで待つように説得し続けている。

「これは・・・。」
 彼は、改めて草一つ生えず荒れた畑と痩せ衰えた人々を見た。獣の姿もない。その時、一人の若者が彼ら一行に気づいて話しかけてきた。
「もし、そこのお侍様方・・・何か食べ物を下さいませんか・・・。」
 幸隆は、少し考えた。すぐにでも分け与えたいが、そうするときっと他の者たちも次から次へと続き、自分たちは帰れなくなるだろう・・・。咄嗟にこう言った。
「悪いが、私は視察に来ているだけで、ここにいる全員に与えるほどのものは持ち合わせていないのだ。しかし、我らが帰って報告すれば、我が領内からも支援する用意がある。とりあえず、子供だけを集めて来なさい。まず今日のところは子供からだ。その道理は、そなたにも分かるであろう?」
 若者は、村の子供を十五人ほど連れてきた。幸隆はその子たちに食べ物を分け与えて、その場で食べさせた。あとから大人が取り上げてしまうのを警戒したのだ。そして、馬に与える飼い葉を残して、自分たちの兵糧も無くなった。
「我が名は、田所幸隆。この地より遠く離れた地を治めている。しばし待てば遠からず私と同じように遠くからも、近くからも、そなたらを助ける者たちが大勢来よう。それまでの辛抱だ。必ず来る。待っておるのだぞ!」
 若者と子供たちは、一様に頭を下げた・・・。

 幸隆は、そのまま十日間も何も食べずに馬だけを食わせながら走って帰った。十日ぶりの飯は殊の外うまかった。他の兵たちも同じだ。かの地の人々は、いつまでと考えるとも及ばず、この飢えと向き合ってきたのか・・・。彼は心を痛めた。
 城に備蓄してあった米のおおよそを積み出し、また豪華な装飾品を小田切家や諸侯に買い取ってもらって米や木材、鍋や釜や肉に変えて、かの地に戻った。
 その間は何も考えなかった。

 再び帰ってきた彼を、隠居は殊の外褒めた。
「幸隆、ようやった!これからも、支援は行わねばな。」
「は。父上の仰ったことが分かりました。この城も、金に換えられればと思うほどです。」
「そうだな。これから我が家の家訓は質素堅実と慈悲と致そう。」

 田所家が旧ジョンキーユ領民に施しをしたという話は、兼政のみならず諸侯にも瞬く間に伝わった。兼政は、すぐに幸隆を呼び出して、こう言った。
「そなたがこのあいだ家財を買ってくれと言ってきたのは、ジョンキーユ領民に施しを為す為だったのだな。その心掛け、誠に天晴れである。褒美を取らす。何か望みはないか?何なりと申すが良い。」
 幸隆は答えた。
「恐れながら、上様に申し上げます。我が居城を買ってはいただけませぬか?それも支援に使いとう存じます。」
「何っ?城を売ると申すか?」
「は。」
 兼政は、しばらく考えていたが、急に笑い出した。呆気に取られた幸隆に近づく。
「はっはっはっ、此奴め、やりよるわ。愉快愉快!その願い、聞き届けて遣わす。
 これより、新しき館をそなたの領内に建てさせる故、そこに住め。城は取り壊して、その建材を旧ジョンキーユの地に用いよう。・・・そして、そなたにこれを進ぜる。宝の書だ。」
 兼政は、幸隆に『星法の書』の写本を手渡した。
「そなたが為したことは、この書にある『善きこと』に当たろう。今後とも励めよ。」
 そして、田所家への年貢額を元通りにして、その徳に報いた。それを知った諸侯は、彼に倣って飢えた人々を進んで支援するようになった。中には欲得ずくの者もあったかも知れないが、ほとんどの者は、彼の献身に心打たれるか、支援の仕方を知ったが故の行動だった。
 支援が集まり、旧ジョンキーユの人々は、全て飢えから救われた。人々は総典王国に忠誠を誓った。もう大丈夫だと判断した兼政は、その地に新たな館を築き、その地を幸隆に封じた。飛び地ながらも田所家の家禄は二倍になり、大名格に上がった。だが、それは領民に最も慕われているのが幸隆であることを、兼政は見抜いていたからなのである。

「上様、この度は格別のお計らい、誠にありがとうございます。・・・」
 大名格になって初めての謁見の日、幸隆は平伏した。
「気にせずとも良い。私にはそなたが為した施しが美しく映ったのだ。その報賞である。そなたの行為は、国の内外に我が国の情け深さを広めた。それは、やがては我が国の揺るぎない盾となろう。ルシャナ殿のように、な。」
 幸隆は、ルシャナに会ってみたくなった。
「うむ。ルシャナ殿にもそなたを引き合わせたい。書状を認めよう。」

 幸隆は、ルシャナに会うと、まず『星法の書』について讃辞を呈した。そして、疑問を感じていた箇所について問うた。
「ルシャナ殿のお心は、おおよそ理解できるつもりでござる。しかしながら、静かに坐すということが、分かりませぬ。どのような意味なのでござるか?」
 ルシャナは微笑んで言った。
「意味などはありませぬ。ただ、そのままです。幸隆殿、何日間か、土の上に直に座ってみられませ。ただ静かに、自分の息のみに集中するのです。
 しかし、私も今、貴方から教えられました。無意識のうちに善きことを為していた・・・。それこそが、本当の慈悲。本当の智恵だと。」

 その時だ。空から妙なる音律と共に、風のように澄みわたる声が聞こえてきたのは。
「善きかな善きかな。ルシャナ、そなたは見事に法を全く正しく会得した。そなたは今、生きたる覚者となったのだ。」
 ルシャナの眉間には黄金の髪が渦を巻き、頭髪全体は瑠璃色に変わった。着ていた衣服も変容して、黒いオルニア風の衣装になった。
「これは・・・ルシア様と同じもの・・・!」
 機転を利かせたカルタナの侍女のひとりが彼に鏡を差し出す。幸隆はルシャナに自分の顔を見るように促した。
「貴方様のお顔も変化していらっしゃるでござる。・・・どうか私を貴方様の一番弟子にして下され!ルシャナ様!」

 そして、その場に居合わせたカルタナの使節団一同や兼政も、覚変化を目の当たりにし、揃ってルシャナの弟子となった。この時以来、彼らを含めて、ルシャナの教えを広める者たちは、仏弟子と呼ばれる・・・。

  <星法の書・覚変化品>

 そして、私は以下のような考えに至る・・・。

 私はこのようにして法を会得し、生きたる覚者となった。顔や髪の変化、着ていた衣まで変容したことは、私には思いもよらぬ現象であったが、その時に聞こえた妙なる音律と声は、おそらく宇宙そのものの奏でる言葉であったのだろう。

 ルシア様から教えを受けてなお、私には気づけなかったものを、オルニアの幸隆は補ってくれた。
 それは、無意識のうちに善きことを為していた、という心の土壌である。意識的に善きことを尽くすと、やがてそれは無意識の土壌に種となって置かれ、阿頼耶識に智恵の花を咲かせる縁となるのだ。
 つまり、このこともまた、善きことを為せば善きことの種となる『因縁のことわり』の現れなのである。

 また、教える者、施す者は、実は自らもまた教えられ、施される者でもある。全ての者が互いに他の全てから影響を受けて変わっていく。人はそれぞれの瞬間に出会い、やがて散っていく。そのあとにはその人と出会ったという記憶と、ふれあったことによる影響、変化が残るのだ。
 それだから、人々よ、その刹那の出会いに感謝し、その因縁に思いを馳せよ。

 故に私は、私に足りなかったものを教えてくれた幸隆を、私の最初の弟子としよう。全ての命ある者たちに覚者となる可能性が含まれているように、彼にもまたその可能性が見出せるからである。

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