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ルシャナの仏国土 覚者編 16-18


一六.星の講義

 惑星ルシアは、このように語った・・・。

 人間ではとても数え切れないほど遠い昔、空間を占めていた闇を切り裂くようにして、一つの光が広がっていった。その過程であちこちに塵とガスとが渦を巻き、多くの星が生まれた。ルシアもまた塵とガスから生まれ、その時の流れで、自転しながらサルナート太陽の周りを廻るようになった。
 貯まった水が集まって海となり、あとは陸地となった。やがて、そこここに動き回る物たちが生まれ、その意思によって、様々に姿を変えてきた。空に憧れた者は翼を持ち、海を住処に望んだ者はヒレと鱗を、大地を踏む者は手足を持って暮らすようになった。人間もその一つだ。
 ただ、ルシアはその内部がマグマだけではなく、それと異なる力が溢れ、自転軸の両端から噴き出すと同時に吸い込まれ続けている。ルシアは、それを『法』、それが他に及ぼす影響を『法力』と名付けた。
 その法力によって人間や獣が影響を受け、形を変えたり、混じり合ったりしているのは、ルシャナがウユニ大陸で目にした通りである。また、彼はまだ知らないが、もう一つの自転軸の端にあたるライランカ大陸でも、人間たちの髪は藍色になっているとのことだ。

 さて、命は、全てそれぞれに役割を持って生まれ、それが尽きるとまた別のものになる。それでは命は何処から来て何処へ帰るかについてだが、それは星の内部深くにあって、魂たちはそこで一定期間休息して、また出てくる。その繰り返しなのだ。ちょうど星が塵とガスが集まって生まれ、やがて散ってまた別の星に生まれ変わるように。星のように大きなものも、草や蚊のように小さな命も、全て同じような過程を取る。この『循環する』という現象は、どうやら宇宙全体に共通する特徴であるようだ。

 それが故に、生まれること、病すること、老いること、死ぬことについて、喜ぶことも悲しむこともない。ましてや怒りや憎しみや、苦しみなどといった、一時の感情は、宇宙のことわりの、ほんの一部に過ぎない・・・。

 ただ、全ての現象には必ずそうなった理由・原因がある。善きことを為せば善き結果をもたらし、悪きことを為せば悪き結果をもたらす。それ故に、己が意思を思うように扱えるようになった人間は、よくよく注意して生きることができる数少ない生命体であって、その生を持てたことに常に感謝して生きる権利がある・・・。

「義務でなく権利なのですか?」
 ルシャナが問うた。
「そうだ。何故ならそれが出来るのがほぼ人間のみだからだ。怒り憎しみ過ごすより、他の者のために何かを為したり感謝したりしているほうが楽しく心地よいはずだ。それこそは人として生まれた者だけが有することが可能な権利である。
 さらに、人間にのみ『循環する運命』から離れる可能性が用意されている。それが『阿頼耶識あらやしき』だ・・・。」
「阿頼耶識とは、何ですか?」
「意識界の下に無意識界があるのだが、更にその下で働く感覚が存在する。それに目覚めた者は、記憶や身体を失うこと無く、生き続けるのだそうだ。それは今から一万年前に近くを通り過ぎた彗星から聞いた話だが。残念ながら、我が大地には、まだそのような人間は現れていないがな。

 さて・・・。ルシャナ、もうそなたにも『魂のゆりかご』を見せても良かろう。それが、私がそなたに話してきたことわりが事実だという証になるからだ。
 そこには、争い事もない、悲しみもない。それが先ほど瑠衣が口にした極楽浄土という場所だ。
 瑠衣、『魂のゆりかご』まで連れて行ってやれ。そなたにとっては、これが最後の務めとなるが。」
「畏まりました。」
 老人は再びユニコーンになった。
「待って下さい。最後の務め、とは、どういうことですか?」
 ルシャナが尋ねる。
「先ほども言ったことだが、命は全ていつか終わる。この瑠衣もまた、今その生を終える時を迎えているのだ。さあ、その生を終えるに相応しい大切な務めを瑠衣に果たさせてやれ。」
 ユニコーンも言った。
「そうだ。私は今、とても重要な務めを果たせる幸せに満ちている。行こう、『魂のゆりかご』へ!」

 ルシャナを乗せた瑠衣は、火口をどこまでも下っていった。ルシャナには数時間か数日間か判らなくなるほどその時間は長かった。
「ずいぶん深いな。」
「あぁ。なんといっても星の中心だからな。」
「星の中心?!」
「そういちいち驚くでない。まあ、無理もないが。・・・あれがそうだ。」
 計り知れない大きさの塊が見えた。その中に数え切れないほどの光りの粒がある。
「私も間もなくこれらの一つとなる。」
 瑠衣は静かに言った。

 またはるかに遠い道のりを経て元の火口に帰ってきた。瑠衣から下りたルシャナに向かって、ルシアが話しかけた。
「ルシャナ、今から私がそなたの身体を借りて、瑠衣の魂を帰す。何分にも、実体を以て為さねば、事実は変えられぬからな。」
 ルシャナは言った。
「それでは、瑠衣殿の命を私が断つことになるのでは?気が進みませぬ。」
「そうか。そなたにも即座には全ての智恵を理解することはできなんだか・・・。しかし、『実践』して初めて『智恵』は『智恵』となるのだ。そなたは、今はただ私に身体を任せきり、事実をしっかり見届けておけば良い。」
 ルシアの幻影は、ルシャナの中に入った。
「瑠衣、これまでご苦労だった。これより、そなたの魂を帰す。・・・ルシャナ、よく見ておけ。これが魂帰しの儀式だ。」

 瑠衣が最期の言葉を述べる。
「あぁ、私は星のために尽くす者になり、今とても大切なお役目をも果たして命を終えることができる。なんと幸せな生涯を過ごすことができたのだろう・・・。ルシア様、本当にありがとうございました。ルシャナ殿、そなたとはまたいずれかの機会にお話しすることが出来たらと思う。それでは、さらばでござる・・・。」
 瑠衣の身体を、まばゆい光が覆う。ルシアが手をかざすと、光はその動きの通りに動き、火口の下へと消えていった。

 ルシアが抜けたルシャナの身体は、へなへなと崩れ落ちた。
「瑠衣殿・・・。」
 最初に問うた老人、迎えに来てくれたユニコーン・・・たった三度しか接してなくても、瑠衣は彼を導いてくれた恩人であった。
 ルシアは、優しく彼に言った。
「瑠衣は、そなたに送られて本望であったと思うぞ。そなたを始め数多くの者たちに善行を為したため、次の生はより善きものとなろう。あの者の幸せに想いを馳せるがよい。
 ・・・これにて、私とそなたとの対話も終わりだ。この場にて見聞きしたこと、またこれからそなたが思うままを、これより後に人間界全体に広め、人々の悲しみ苦しみを滅して救え。それこそがそなたの使命である。」
「ルシア様・・・。」
 ルシャナは、星の精を仰いだ。星の精の顔は、慈悲に溢れていた。

「新たにそなたを元の場所まで送り届ける者が来ておる。それに乗って行け。」
 後ろを振り返ると、巨大な鳥がいた・・・。

一七.帰還

 カルタナまでの帰り道、ルシャナは彼を乗せた鳥と一時間ほど話をした。
 鳥は、ガルーダと呼ばれる巨大鳥だ。およそ二百年前にあの火口で卵から孵化し、それ以来ずっとそこで暮らしている。食事は、彼を精霊鳥と崇める近くの人間たちが貢ぎ物として数日に一度持って来てくれる果物や肉類で、自分はその代わりに人間たちができないような大きな規模の作業を少し手伝ったり、ルシアから聞いた話を伝えたりしている。
 星の精ルシアとは、雛の頃からごく自然に会っており、何故か分からぬままに仕える形を取っている。
「本当に、理由が分からぬのだよ。あの方に会うと、知らぬ間に尊敬し、付き従う。心が安んじられて、ずっとお側に居たくなるのだ。」
 ルシャナは言った。
「それは、おそらく本能だろう。ルシア様は、なんといってもこの星の精。この星あっての私たちなのだからな。それに、あの方から教えられた事どもは、私にも全く正しく真実と映る。精霊鳥たるそなたに、それが感じられぬ筈がない。」
 ガルーダは感心した。
「なるほどな。そなたもさすがにルシア様が自らお選びになった者よ。私がずっとわからなかったものを瞬時に答えられるとは。」

 館の前に着いたのは夜だった。ガルーダは、ルシャナを下ろすと普通の鷹と見分けがつかないほどに小さくなり、彼の肩に乗った。
「悪いが、一晩だけ泊めてくれ。夜は目が見えにくい。また、私は瑠衣殿のように、人間の姿にはなれぬのだ。」
 館を旅立ってから、どのくらい経っているのだろう・・・。その時のルシャナには、普通の時間の感覚が無くなっていた。
 彼は門を叩いた。中の気配が何やら慌ただしい。
「ルシャナ・フォン・トラオベである!門を開けよ!」
 門番のマテウスが小窓から顔を出した。
「だ、旦那様!お帰りなさいませ!只今お通しいたします!今、奥様が産気づいておいでです!」
「何?!」

 ルシャナは、慌ててクラリスの部屋に駆け込んだ。中では、コルネリアを始めとする女性の使用人たちがベッドを取り囲んでいたが、彼が扉を勢いよく開けて入ってきたのを見ると、直ぐさま道を空けた。彼はベッドに近づいた。
「クラリス!」
 彼の声に、クラリスは反応した。手を伸ばす。
「ルシャナ・・・?ルシャナなのね!・・・あぁ、よかった!今、貴方の子が産まれるのです。・・・」
 彼女は痛みに耐えながら、夫の手を握った。ルシャナもその手をしっかり握って離さなかった。ガルーダは彼の肩から離れて、窓の淵に止まった。
(本当は、たまには変わった場所で静かな一夜をと思うたが、どうやらそうもいかぬらしい。・・・ルシア様はきっとこれをご承知の上でルシャナ殿を帰されたのだ。)
 ルシャナは、コルネリアに尋ねた。
「産婆はどうした?」
「先ほど呼びにやらせたのですが・・・。それにしても、旦那様、よく今夜お戻り下さいました!奥様も安心されていることでしょう。」
「そうだ、私が旅立ってから、どのくらい経つのだ?今の私には、今が何年の何月何日なのか分かっていないのだ。」
「そげんでしたと。旦那様がお立ちになってから、年はまだ変わっておりません。今日はカルタナ暦一四四〇年の一二月二〇日でございます。実は、旦那様がお立ちになった数日後に、奥様がご懐妊二カ月と分かりました。」
「そうであったか。」
「その時、私がもう少し早く分かっていたらと申し上げたところ、奥様は、旦那様はきっと何が起ころうとも行かれたであろうと仰って・・・。」
 コルネリアはそこで感極まって言葉を詰まらせた。
「ありがとう、コルネリア・・・。皆の者も、留守中ご苦労であった!心より礼を申す。」
 彼は、その場の者たちに頭を下げた。そして改めて今まさに産みの苦しみに耐えている妻の顔を撫でてやる。
「クラリス、すまなかった。もう心配は要らぬ!私が付いている!頑張れ!」
 クラリスの顔に安堵の表情が浮かぶ。
「ルシャナ・・・。」
 産婆が到着し、赤子の元気な泣き声が響き渡った。女の子だった。ルシャナは、その子を『ルイーザ』と名付けた。

 ルシャナが帰ってきたことと、娘が生まれたことは、直ぐさまキルシュヴァン城に伝えられた。
「ルシャナは、思っていたよりも早く帰ることができたのですね。さっそく話を聞きたいところですが、今は家族で過ごさせてあげましょう。」
 ナターリアが言った。
「そうだね。私がそのように手紙を書く。何か祝いの品も用意しよう。」
 ジョセフも同意見だった。
「ところで、ジョンキーユのことはどうする?とりあえずは、ラオプと組んで撃退するにしても、あまり戦闘を長引かせるわけにもいくまい。」
 この頃、隣り合うオルニア大陸西部の一国・ジョンキーユ王国が、海を越えてカルタナまで攻めてくるようになっていた。どうやら、オルニア大陸の内部では、まだ戦乱が続いていて、隣の大国・総典王国に飲み込まれようとしているようだ。戦死者を多く出している上に、国土の荒廃と農業政策の度重なる失敗が追い打ちをかけ、国民を養うだけの食料が確保できず、餓死者も急増しているとの噂が流れている。国王シャルル七世は、おそらくカルタナの豊かさに目を付けたのだろう。

 ルシャナは、しばらくのあいだ妻と子供に付き添いつつ、葡萄畑の管理に当たった。畑に坐することも再開した。
 星の精ルシアから学んだことは、やはり大きく、それまでに見ていたこと、考えていたことが、すっかり変わっているかのようだった。空は青く、大地はよく肥え、冬でも葡萄の木は命を感じさせてくる。目には周りの色が飛び込んでくるように見え、遠くの小さな音もよく聞こえる。食器棚の引き出しも、少しでも空いていようものなら、すぐ目に付くようになった。

 王室には、すぐにでもご挨拶に出向かねばと思いつつ、赤子と妻が心配で離れられない、そんな日が三日ほど過ぎた頃、キルシュヴァン城から、ナターリアとジョセフからの手紙と祝いの品々が届いた。
 手紙には、祝いの言葉に添えて、しばらくは家族の元にいてあげなさい、との暖かい言葉が多く記されていたが、三ヶ月ほど前からオルニア大陸からの攻撃を受けているとも書かれていた。
「オルニア大陸からの攻撃だと?」
 これは彼が思いもしない事態だった。カルタナの二国は防戦に努めるであろうが、おそらくそれだけでは収まるまい。

 祝いの品の中に、筆と大量の紙が含まれていた。王室がそのように意図したものかは分からぬが、何か書いてみよう。ルシア様が仰っていたではないか、見聞きしたことや考えたことを広め、苦しみ悲しみを滅し、人々を救え!と・・・。
 ルシャナは、筆を執った。その書物の名は『星法の書』。それは結局、彼の死まで九回に分けられて書き上げられる書物となった。

一八.星法の書

 『惑星ルシアの精から、私はこのように聞いた。』
 星法の書は、このような書き出しで始まった。それに続く本文の前半部分は、この前々章と重なるので割愛するが、とにかくルシャナは、星の精ルシアの言葉を一言一句たがうことなく正確に記録に残そうとしたのである。
 そしてそれに続けて、自分自身の見解を、
 『そして、私は以下のような考えに至る・・・』
という形で述べて、読み手にどこからがルシアの言葉で、どこからがルシャナの個人的な見解なのかを分かりやすく伝えた。以下は、その見解部分である。後に、最初の見解となるこの部分は『 宇宙品うちゅうぼん』と呼ばれた・・・。


<星法の書・宇宙品>

 そして、私は以下のような考えに至る・・・。

 かようにして、我々が立っているこの大地は、実は丸い。太陽が、アルムとイスカがそうであるように、闇たる宇宙の中を、一つの球体として一つの輪を描いて回っているのである。そのことは、水平線の向こうから近づいてくる船が、その帆の上から見えてくること、星々の動きなどから、充分に証明できる。
 ただ、我々が立っている惑星ルシアの特質として、北と南、双方の自転軸から物質を超えた力が噴き出し、また吸い込まれていることが、ルシアから説かれた。ルシアは、それを『法』、法が影響するところを『法力』と名付けたとのことだ。

 私が推測するに、法あるいは法力は、物質的な世界とは異なる『異空間』のものではないかと思われる。何故なら、物質的な世界では、星の中心はマグマという高温物質で満たされている筈だからだ。だが、私が見に行った『魂のゆりかご』付近は、星の中心にあるにも関わらず少しも熱さを感じなかった。これは法の働きを担う『魂のゆりかご』が、我々がいるこの空間とは違う処にあることを意味しているのではないだろうか。

 かようにして、我々人間には、はるかに及びも付かぬ規模の『営み』が存在することを、我々は知らなければならぬ。たとえ王であろうと全てを知り尽くすことは不可能であると知るべきだ。そのことを弁える者こそが真の賢者、智恵の主である。
 そうして、それを認識し、考えることができるのは、ほぼ人間だけであり、人間はそれが出来る類い希な恵まれた存在なのである。故に、人間には『全てに感謝する権利』がある、とルシアは述べた。
 全ての生命体は、何故生死を繰り返すのか。それは、各々が使命を果たすためだ。あるいは『生きる』ことそのものが使命となっている者もあるやもしれぬ。故に、他の人間が勝手な理由でその命を絶つことは許されぬことになる。

 また、ルシアは「善きことを為せば善き結果が、悪事を為せば悪き結果が起きる」と述べた。それは私自身も感じて止まぬところである。
 そして、各々の命が尽きた時、魂たちは、その生涯において自ら成したところにより、より善きところへ、あるいはより悪き結果へと変わるのである。私は魂を受け入れている『魂のゆりかご』を、実際に見た。それは惑星ルシアの中心で、魂たちを静かに優しく包み込んでいた。ルシアの命により、それを私に見せてくれたユニコーンの魂が、より善き処へ生まれ変わることを私は祈念する。

 ただひとつ、生命の繰り返しから抜け出る方法がある。善きことを限りなく積み重ね、その歓び楽しさを尽くしきって、意識界の下の無意識界さらに下の阿頼耶識に到達せしめることだ。生死を超え、静かな境地に入ること、このことより幸せなことは、おそらく無い。

 それ故に、人々よ!善きことを為せ。悪きことから逃れよ。
 善きことを見、善きことを聞き、善きことを嗅ぎ、善き言葉を話し、善きことを味わい、善きことを行い、善きことを思え。己の内なる声に耳傾けて、他でもなき自分自身の中に宝玉を見いだすことに気づくのだ。
 それこそが宇宙のことわりかなうことだからである!

――――――――――――――――

 ルシャナは、書き上がった文書を携えて、キルシュヴァン城に向かった。
「お陰様にて、星の精ルシアからさまざまなことを学ばせていただきました。
 その折に聞いた話を詳しく記録し、書き留めたものを本日お持ち致しましたので、お目通し頂ければと存じます。」
 と、彼は言って、「星法の書」を献上し、口頭ではそのあらましを述べた。ナターリア、ジョセフ、ミヒャエル等と政府要人、城の使用人たちが、彼の報告を聞いた。

 ナターリアが皆を代表して口を開く。それも国王の役目だ。
「おおよその様子は分かりました。その書物にはより詳しい内容が記されているのですね。あとから読ませてもらいます。
 ルシャナ、よくここまで深くこの星の意思を聞いてきてくれました。
 私たちは、今までこの星のことや宇宙をあまりにも知らなすぎました。私はこの国において貴方の言葉を証明するために、その極南にあるというウユニ大陸に使節団を派遣しましょう。
 それで、貴方自身は『阿頼耶識』に目覚めたのですか?」
 ルシャナは応えた。
「いいえ、おそらくはまだでしょう。星の精から直接教えを受けたからといって、宇宙のことわりをすぐに身につけられるとはいえません。現に、私は今、己の妻と子を他の人々よりも愛おしく思うのです。真に人の平等、命の平等を実感するには至っていないのです。」
 ミヒャエルが言った。
「ルシャナよ、それは人として当然のことではないのか。また、そこから始めなければ、何のための法となろう。己も己の肉親もまた人なのだ。愛することを厭うこと勿れ。」
「公王陛下・・・。」
 ルシャナは頭を垂れた。ナターリアが言った。
義父上ちちうえが仰る通りだと、私も思いますよ。これからも貴方が考えたことを、私たちに伝えて下さい。この文書は、これから私たちが目を通してみて、妥当だと思えたら、本として出版しましょう。国の内外に広く知ってもらうのです。」
「は。有難き幸せ。」

 傅く彼に、ナターリアは微笑んだ。ジョセフが言った。
「ところでな・・・。手紙にも記したように、今度はオルニアの小国が我が大陸に攻め寄せてきておる。
 ナターリアや父、それに皆とも相談したのだが・・・そなた、今一度参与を務める気はないか?私は特に希望している。」
「ジョセフ公卿殿下・・・。」
 ルシャナが周りを見渡すと、目が合った者たち全てが彼を温かく見、頷いた。それはこの人々の一致した希望なのだ、と彼は思った。
「畏まりました。可能な限り、そのお役目を果たせるよう努めます。」
 周りから拍手が湧き起こる。ナターリアが最終決定を下した。
「ルシャナ・フォン・トラオベ、本日よりそなたを参与とします。その生涯尽きるまで参与の務めを果たすよう。」
 特命ではない。正式な参与だということか・・・。

 それから間もなく「星法の書」出版のための準備が始まり、外務大臣を団長とするウユニへの使節団がカルタナの名産品を積んだ船で旅立っていった・・・。

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