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壮大な独り言、あるいは傷と絶望を抱えた人たちへのラブレター

どうも、「普通になれなかった人間」シンリです。

今回の記事は、壮大な独り言であり、傷と絶望を抱えた人たちへのラブレターでもあります。

私は今まで、主にTwitterで、仲良くなった人たちの悩み相談に乗ることが何度かありました。

精神疾患を抱えてしまった人。
過ちを犯して後悔している人。
悲しい過去を背負っている人。

顔も知らなければ本名も知らない人たちの、様々な話を聞いてきました。
一人一人違った過去があり、背景があるのだと、その度に実感しました。

自分自身はあまり話しやすいタイプの人間ではないと思うし、頼れる存在でもないと思うし、ましてやプロのカウンセラーでもないのですが……

私が心がけているのはただ一つ。
「なるべく相手を否定しないこと」。それだけです。

それも完璧とは言えないし、きっと、知らず知らずのうちに誰かを否定してしまっている点もあるのだろうと思います。

加えて、言葉足らずだったり、言葉がキツかったり、些か配慮に欠けているところもあると自覚しているので、そこは気をつけなきゃいけないなと思っています。

様々な話を聞いて思うこと。

人は、その内側に抱えた傷や絶望も含めて、その人なのだと私は思います。

過去なしに現在は存在しない。
当たり前のことではあるのですが、我々はその当たり前をすぐ忘れてしまうのです。

だから、どんなに暗く重い過去を背負っていたとしても。
出来る限り、過去も現在もひっくるめて受け止めるのが大事なのかな、と考えています。

相手が、自分の思っていた通りの人間じゃなかったら離れていく、というのは、実に愚かなことだと思うのです。

表面だけじゃない、内面を私は見たい。

だけど、私は他の誰かじゃない、ただの一人の人間に過ぎない。

別の個体である他人のことを、100%理解してあげるなんていうのはきっと無理です。
何もかも全てを肯定して受け入れてあげられる聖母のような存在には、なれないんです。

私には話を聞くことしか出来ない。
何かをしてあげられるわけでもなければ、何かの役に立つ訳でもない。
そもそも、誰かを変えようと思うこと自体が驕りなのです。

話を聞いた結果として相手が生きる希望を取り戻したとして、
前を向けたとして、それはその人自身が頑張ったから。

私は無力なんです。
誰かの力になりたいけど。それすらもエゴに過ぎない。

誰かを救いたいのは、自分が救われたいから。
誰かを傷つけたくないのは、自分が傷つきたくないから。
誰かの絶望を受け止めたいのは、自分を受け止めて欲しいから。

何もかも、どうしようもないエゴなんです、きっと。

己の過去に悩み苦しんだ人は、報われて欲しい。
精神疾患を患ってしまった人は、少しでも穏やかに過ごして欲しい。
誰かを傷つけてしまって心から反省している人は、その分、他の誰かを笑顔にして欲しい。

悩んで、傷ついて、苦しんで、絶望した人たちが、幸せになって欲しい。

なんて、こう思うことすらも、私のエゴなんですけどね。

今、これを読んでいるあなたに幸あれ。

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