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障害を抱えているように見えたとしても、それを揶揄するのは人として最低だという話。

どうも、「普通になれなかった人間」シンリです。

いつものようにTwitterを眺めていたら、あるツイートが流れていきました。
「一部の人間が許されると思って、広く使っている許されない言葉」として、「ガイジ」という言葉を挙げていたツイートです。

「ガイジ」とは、「障害児」の略語、蔑称です。
確かに、Twitter2ちゃんねる(5ちゃんねる)などでは、一部の人間が使っているところを目にすることもありますね。

ちなみに、インターネット上で似たような使われ方をしているもので、「池沼」(=ちしょう、「知的障害」の意)もありますね。

いずれにせよ侮蔑的で最低な言葉ではありますが、思うところがあったので記事にさせていただきます。

本題の「ガイジ」ですが、これ、私も言われたことがあります。

小学生~中学生だった頃、同級生の男子達から、肉体的な暴力だけではなく、言葉でのいじめもあり、そのような言葉を何度も投げつけられていた過去があります。

また、「ガイジ」とは少し違うのですが、初めて会った人から、「発達障害ありそう」「頭おかしい」的なことを言われたことがあります。

ちなみにその人はインターネット上の知人だったのですが、たまたま会う機会があり。
会うまでは好意的だったのですが、会った途端に手のひら返しされました。

いくらなんでも失礼にも程があるんじゃなかろうか。
物凄く悲しかったし、今でも許してません。

なお、Twitterでは相互フォローだったのですが、即ブロックしました。
そんなことを言う人とは二度と関わりたくなかったし、もう視界にも入れたくなかったので。

もし仮に障害を抱えているように見えたとしても、それを揶揄するのは、人としてやっちゃいけないことだと、私は思います。

そもそも、障害の有無を判断するのはあなたじゃなくて、医者だ。とも思います。

後にクリニックにて、ASD傾向あり・ADHDグレーゾーンとの診断を受けることになったので、結果的にあの人は正しかったのかもしれませんが、

それでも、「他人に面と向かって、(素人が)『発達障害ありそう』と言うのは正しいか」、と言われたら、それは正しくないと思います。
理屈じゃなく、倫理的な意味で。

「ガイジ」の話からだいぶ脱線した感ありますが、とにかく、他人に「ガイジ」とか「池沼」とか「発達障害ありそう」とか軽々しく言っちゃダメだよ、というお話でした。

それにしても、恨みや憎しみ、怒りというのは、時間が経っても消えないものですね。
まるで冷凍保存されていたかのように、思い出したら鮮明に蘇りますね。

なんだか私怨まみれの記事になってしまいました。
読んでくださった方、すみません。ありがとうございました。

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