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【日本人に伝えたい!】世界の報道機関が人間の極限状況における驚嘆すべき行為と称賛し、元陸自幹部自衛官も感動した、32歳で殉職した海軍大尉の話

こんにちは。

元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。
幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。
現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。
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🌈皆さん、次のことを想像していただけますか。

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あなたは、潜水艦に乗船している艦長です。

その潜水艦には、あなた以外の乗組員が20名います。

あなたは潜水艦の艦長として、潜水艦と乗組員の命を預かっている立場です。

その潜水艦の潜航中、岩場に接触してしまい、エンジンを破損してしまいました。

潜水艦は、どんどん深海へと沈んでいき、とうとう深水約200mまで沈没してしまいました。

乗組員達を指揮して、何とか潜水艦を浮上させようとしますができません。

無線も途絶えてしまい、外部との通信もできません

絶体絶命の状況です。

更に悪いことに、破損した部分から艦内に海水が浸水してきました。
そして、艦内の酸素も徐々に薄くなってきました・・・

艦内の酸素が薄くなるにつれて、周りの乗組員達が、1人、2人・・・
徐々に静かに息を引き取っていきます。

そして、あなたもどんどん呼吸が苦しくなっていき、意識が薄れてきました

とうとう最期の時を迎える時が来ました

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質問です。

🌻 あなたがこのような極限の状況に置かれた時、潜水艦の中で何を考え、どのような行動をして『死』を迎える準備をしますか?

今回は、陸上自衛隊で受けた教育の中で、未だに心に残っていて、是非、皆さんに紹介したいお話を記事にしました。

僕は、陸上自衛隊で、恐らく100以上の『精神教育』を受けてきました。
殆どの教育内容は忘れ去ってしまっています。

しかし、この話は、10年以上前に精神教育とは全然関係のない授業の中で、教官から話していただいた話ですが、未だに鮮明に心に残っています

この話は陸軍ではなく海軍の話です。

ーー 酸素が徐々に無くなり、確実に『死』が待っている極限の状況の中で、潜水艇の艇長として、死の直前まで日本海軍の潜水艇の発展を祈りながら32歳という若さで殉職された『佐久間勉』海軍大尉の話です。

彼の遺書や殉職した乗組員たち精神は世界各国で絶賛され、未だに佐久間の命日には慰霊祭が開催されています。

⏩ 佐久間勉海軍大尉について

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佐久間勉は、1879年3月に福井県三方郡八村(現在の若狭町)で生まれました。福井県立小浜尋常中学校、攻玉社を経て、海軍兵学校(期別は29期)に入学し、1901年に卒業しています。

後に内閣総理大臣を務めた米内光政(在任期間:1940年1月16日 - 1940年7月22日)は海軍兵学校時代の同期生でした。

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1903年に海軍少尉に任官して日露戦争に参加しました。その際は巡洋艦の乗組員でしたが、戦後は水雷術練習所の学生として水雷母艦などで勤務をしています。

1906年、第6潜水艇隊で副長を務め、1908年には第6潜水艇隊艇長に昇格しました。

そして、1910年4月15日、佐久間の乗った海軍第6号潜水艇が山口県の新湊沖で潜航訓練中に沈没し、14名の部下とともに殉死しました。

現在でも第6潜水艇慰霊祭が岩国市装束町で開催され、海上自衛隊の隊員が儀仗を行っています。

⏩ 潜水艇事故の概要

1910年4月15日午前9時38分、山口県岩国新湊沖において、潜航作業を開始したが、浮力過大により上手く先行できなかったために10時45分潜航を再開。

この際、開放状態なった通風筒から海水が浸入してしまい、バルブを閉鎖しようとしたがバルブのチェーンが外れてしまったため、海水の浸入と配電盤等が冠水したことにより動力を失い潜水艇は深水18mの海底に沈没してしましました。

乗組員達は、艦内の排水を試みたものの、配電盤の冠水による電灯消灯のために暗闇での作業となり、作業は進捗しませんでした

これと同時に、配電盤が冠水したことで一酸化炭素などの有毒ガスが艦内に充満。14名の乗組員全員がガス中毒により死亡しました。

⏩ 死の直前まで綴られた佐久間大尉の事故分析

旧文のため少し読みづらいですが、佐久間大尉が日本海軍の潜水艇の発展のため、死ぬ間際まで事故の分析を記録したものです。

図1

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。さすれば我れ等一つも遺憾とするところなし
沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり
沈据後の状況。
一、傾斜約仰角十三度位 
一、配電盤つかりたるため電灯消え電纜(ケーブル)燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり
十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ
一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む
電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す
溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す
一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、この辺深度は十尋位なれば、正しきものならん
一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ
我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)
公遺言 謹んで陛下に申す。
我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ
右の諸君によろしく。
一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生
十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 
十二時四十分なり・・・

ちなみに夏目漱石は、佐久間の遺書を『名文』と称賛しており、
与謝野晶子は追悼の詩を読んでいます。

⏩ Mr.Kの感動ポイント

人によってそれぞれ感じ方は異なると思いますが、僕自身がこの事案を知った時(ちょうど佐久間大尉と同じくらいの年齢)、彼の凄さを感じたことについてまとめたいと思います。

この時、佐久間大尉はまだ32歳です。

🌈 潜水艇を失ったことを天皇に謝罪し、部下の遺族への配慮を求める

艦内にガスが充満して、意識が薄れていく中、訓練中に潜水艇を1隻失ってしまったことに対する明治天皇への謝罪を記載するとともに、「艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり」と乗組員達の状況の記録や、「我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ」と、明治天皇に対して乗組員遺族が困窮しないように配慮を求める遺書を書き残しています。

🔴 自分が死ぬ間際に、天皇や自分の部下の家族にまで配慮できるでしょうか?

死の恐怖と向き合いながらも部下の家族にまで配慮した、その見事な姿勢は日本のみならず諸外国をも感動させました。

🌈 自分の使命を全うするため最期まで詳細な記録を残す

上記の遺書を確認していただければ分かる通り、当時の潜水艇の事故原因を亡くなる直前まで詳細に分析しているんです。

12時30分に、呼吸が苦しくなってきたことと、ガソリンをブローアウトしようと努めていましたが、ガソリンで酔ってしまったと記した後、12時40分で遺書の記述が終わっているため、絶命したことがわかります。

🔴 亡くなる10分前まで生きるための努力をするとともに、後世の潜水艇発展に寄与すべく力を振り絞って事故記録を書き続けているんです

🌈 争った形跡無く、綺麗な状態で発見

潜水艇が引き上げられ、ハッチが開放された時、殉職した乗組員達は、ほぼ全員(14名中12名)が自分の持ち場を離れることなく死亡していたそうです。

また、持ち場以外の場所にいた乗組員(14名中2名)も潜水艇の修繕を行っている途中で息途絶えていたことが確認されています。

実は、過去に発生した世界の潜水艦での事故では、争った形跡なく自分自身の持ち場を守って亡くなるという事案は非常に珍しいようです。

🔴 欧米などにおける同様の事故の大概のケースでは、潜水艇が引き上げられた際、死ぬ間際に、乗組員同士で我先に脱出しようと争い、殺し合った形跡が確認されたというケースが殆どだったようです。

当時、潜水艇が引き上げられた際、事故調査委員達はハッチを開けた瞬間、乗組員同士が争った醜態をイメージしていましたが、
そのような凄惨なイメージとは逆に、最期まで自分の持ち場を守り抜いて絶命した姿が確認されたことに非常に驚いたそうです。

当時、佐久間及び乗組員の対応は、世界の報道機関が人間の極限状況における驚嘆すべき行為として伝えました。

当時の日本人、日本海軍の精神的な強さを世界に知らしめた事故でした。

佐久間大尉の指揮・統率の凄さ、乗組員達との信頼関係の強さもこの事故から窺えます。

⏩ 最後に

僕が現役の陸上自衛官だった頃は、教育機関や部隊でも『精神教育』と言って心を育成する教育があり、自分自身の『死生観』などについて考える機会が沢山ありました。

しかし、現在は民間企業勤めとなり、自分自身の『死生観』について考える機会は殆どありません。陸上自衛官時代よりも危険な地域で仕事しているのですが・・・

健康であれば、日常生活の中で『死』を意識することは殆どありません。

『終わり』を意識しながら日々生活していくと、だらだらと無駄な時間を過ごすことが少なくなります。日々の生活に充実感が出てきます。

皆さんも、この機会に、是非『終わり』を考えて生活してみてください。

きっと、日々の行動が変化してくると思いますよ。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.K

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